第五県 未知なる恐怖、群馬

第一市 裾野は長し赤城山

 真っ赤な紅葉が続く。ここは赤城山。群馬を代表する山系であり、その名の通り、一年を続けて紅葉が乱れ続ける場所である。


「いろいろな山群が並ぶ群馬だけど、その中でも特別な山なんだって」


 モモちゃんが全国観光ガイドブックを眺めながら、言葉を連ねる。

 確かにその名の通り、紅葉の舞う、美しい場所だ。しかし、底知れない恐怖を感じる場所だった。


「ほう、恐怖か。それはどこから来るものなんだ?」


 イチロー兄さんが口を挟んだ。

 その言葉には疑問とともに興味があるのが感じ取れる。いや、兄さんはこの恐ろしさがわからないのか。この群馬という土地に染み付いた言いしようのない恐怖を。


「…………」


 俺は言葉にはできなかった。一体、何が怖ろしいのか。それはとても言葉にできることではないのだ。


「フン、言葉にできないのか。ゴローらしくもないな。それが群馬の土地の魔力だとでもいうのか」


 イチロー兄さんの呆れたように溜息をついた。だが、それに反応するようにモモちゃんが声を上げる。


「おかしいです。これ、何が書かれているんでしょう」


 素っ頓狂すっとんきょうな声が響いていた。モモちゃんが唖然とした表情で全国観光ガイドを見つめている。


「グンマーグンマーグンマーグンマー……。

 これは落書き? 狂ったように書き連ねられています。何のために、誰が書いたの……?」


 その訴えを聞き、俺は全国観光ガイドブックを覗き込んだ。群馬の観光を説明した文章や写真の上に、「グンマー」という得体の知れない言葉が書き殴られていた。


「何これ、どういう意味なの?」


 さすがに意味がわからない。俺はモモちゃんに問いかける。当然、わかるはずもない。

 だが、それをイチロー兄さんが「フフッ」と鼻で笑う。


「悪ふざけだろ。気にしてもしょうがないさ」


 そんなものかなあ。俺にはどうしてもその言葉が耳にこびりついて離れない感覚があった。


     ◇   ◇   ◇


 山を越え、長い裾野を通ると、やがて市街地が現れる。


 ぞくっ


 背筋が冷えるものを感じた。ここは群馬だ。得体の知れない恐怖心が全身を奮わせる。

 町並みは埼玉と同じく、東京を模倣したようで、ビルがあり、店があり、民家があった。だが、その一つ一つに不気味なものを感じる。

 この恐怖の源泉がどこにあるのか、いつそのベールが剥がれて真実の姿を現すのか。俺は恐ろしさで心臓をバクバクさせながら歩いていた。


「ここは高崎という都市まちのようです。群馬の交通の要所に位置していて、商業の中心地であり、工業も盛んのようですね。それでいて自然も身近にあるとか。理想的な場所のようですね」


 モモちゃんが全国観光ガイドを読み上げた。

 その言葉を受けて、イチロー兄さんが周囲を見渡す。


「さすがに東京ほどとはいかないが、なかなか良さそうな土地のようだな。

 それに群馬県人もいるようだ。話しかけてみるか」


 そう言うと、近くにいた群馬県人へと話しかけに走っていった。

 ちょっ、待てよ。相手は群馬県人だぞ。そんな気安く話しかけていい存在であるはずがない。どんな怖ろしい本性を隠しているかもわからないんだ。

 俺の焦る気持ちとは裏腹に、しばらくしてイチロー兄さんが戻ってきた。五体満足のようである。手には奇怪なドリンクを手にしていた。


「ハッハッハッ、東京都民だと名乗ったら、親切にも飲み物をくれたぞ。キャベツサイダーだそうだ」


 そう言って、俺とモモちゃんにビンを渡してくる。緑色の液体からシュワシュワと炭酸が湧き上がってきていた。

 一口飲んでみる。青野菜の爽やかな香りが漂い、キャベツの甘さが広がる。炭酸の刺激が喉を伝わった。

 はあ、やっぱり群馬県人は得たいが知れないや。どうして、こんなものをありがたがるのか。


「ハハッ、キャベツ味のサイダーだな!」


 イチロー兄さんが身も蓋もないことを言う。だが、本当にそんな味だ。


「なんか、不評ですねー。あたしは好きだけどなー」


 なぜかキャベツサイダーを気に入ったらしいモモちゃんがふてくされたような声を上げた。

 そんな人もいるらしい。


「いや、私も美味いと思っているぞ」


 マジか。


「そらなら、これはどうだ? 味噌こんにゃくおでんだ」


 イチロー兄さんがまた何かを買ってきた。串に三角型のこんにゃくが刺さっており、味噌が塗られている。その名の通りのものだ。

 ぱくっ

 こんにゃくの柔らかくも歯応えのある食感。それを思い切り噛み付くことで、噛み切る。すると、こんにゃくの朴訥とした味わいとともに、味噌の濃厚な風味と味わいが広がる。

 食べ応えがある。美味しい……といえば美味しい。


「ハッハッハ、こんにゃくを味噌で味付けしたような味だな」


 そのまんまなことを言う。でも、そうとしか言いようがないのもわかる。


「これはハズレない味ですよねー」


 モモちゃんも当たり障りのない言葉でお茶を濁したようだ。

 そうこうしながらも、次第に高崎の中心地を過ぎ、やがて、高崎を越えた。周囲に畑が広がるようになっていた。

 鮮烈な青い香りが一面に広がっている。これはネギだ。


「ここは下仁田です。ネギの名産地としてその名が轟いており、ここのネギはすべてすき焼きの具材になるのだとか」


 すき焼き!

 その素敵な言葉は俺を夢中にさせた。その響きに俺は全身が震え上がるのを感じる。食べたい。

 思うことはイチロー兄さんも同じようだ。その目が輝き、光線が解き放たれていた。いや、目からだけではない、耳からも鼻の穴からもわきの汗腺からも光が放たれているのだ。


「すき焼きを作ろう!」

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