第三市 巨人 VS 白いライオン、秩父山脈の決戦
飯能アルプスは険しい山系である。
アルプスとは伝説で語られる山脈だ。一年中雪で覆われ、ヨーデルと呼ばれる歌声が絶えることなくこだまし続けているという。山羊という伝説の獣が跋扈しており、その獣を利用してチーズという食物を精製するらしい。それを行うのが雪山に適合した蛮人たちだ。
そのアルプスになぞらえられるほどの山系である。当然の如く万年雪に覆われ、山道は険しい。どうにか雪山用の装備を整えたからこそ、越えることができたというものだ。
だが、その後に、さらなる地獄が待ち受けている。秩父山脈である。
秩父は関東の険と呼ぶべき大山脈であり、さらにそこを越えた場所に、幻とまで称される地、群馬があるといわれている。
「その通り、ついに我々は群馬の地に足を踏むことになる」
イチロー兄さんの眼鏡が光った。それだけの意気込みということだろう。
しかし、俺はというと、そんなことは到底思えなかった。
「イチロー兄さん、わかっているの、群馬だよ。あんな場所なんて行かないほうがいいよ」
その言葉にイチロー兄さんは不思議そうな表情をする。
「ゴロー、お前は群馬がどんな場所か知っているのか?」
その回答に俺は慌てた。顔面が蒼白になっているのが自分でもわかる。
「そんなの、知っているわけないよ。あんな怖ろしい場所のことなんて!
それに、その前に秩父を越えるなんてできると思うの? 春日部でも言ってたじゃない。ここ数百年の間、誰も越えられたものはいないって」
俺のその言葉に返事をしたのはイチロー兄さんではなく、モモちゃんだった。彼女は全国観光ガイドブックを開いている。
「それは大丈夫です。この本に秩父の攻略情報も載ってますから」
はあ? なんなの、その本。山の攻略情報って一体何なんだ。
「だったら、群馬入りは確実だな」
イチロー兄さんが納得したような声を出す。俺の与り知らぬ場所で、このまま先へ進むことが決定しているようだ。というか、誰も撤退する意見を検討すらしていないじゃないか。
「ゴロちゃん、安心して。群馬に着いたら焼き饅頭おごってあげるから」
いや、そんなことじゃないから。でも、焼き饅頭って言葉には少し惹かれる。
すでに、イチロー兄さんは歩き始めていた。モモちゃんは俺がそれについていくよう、せっついている。
このまま群馬に行かなくてはならないらしい。うう、怖ろしい……。
◇ ◇ ◇
ゴクリっ
思わず唾を飲み込む。足場の狭い道を進んでいた。道から一歩でも踏み外すと、切り立った崖の下に落ちることになる。
見ないようにしようと思っているが、つい崖の下を見てしまう。高い。怖い。思わず、身がすくむ。
しかし、すくんでいては危険が増すばかりだ。どうにか、姿勢を正し、おっかなびっくりだが、どうにか先へ進もうとする。
ドンっドンっドンっ
奇妙な轟音が響いた。
「ひぃっ」
思わず、情けない悲鳴を上げてしまう。けれど、その場で
俺は必死の思いで、崖の道を通り抜け、少し広場になっている場所まで辿り着く。そして、地面に手をついて、さらなる振動に備えた。
「あれは白い獅子か」
イチロー兄さんがぽつりと呟く。それを聞いて、モモちゃんが全国観光ガイドブックをめくった。
その視線の先には巨大な白いライオンがいる。ライオンは周囲の木々を踏み潰し、山を砕きながら、こちらに近づいていた。
「あの白いライオンは所沢に拠点を持つ私設軍隊の守護神のようです。なんでも、数奇な運命により東京都民に救われた白いライオンをその軍隊が買い上げたとか。
ただ、あれは……」
最後に、ライオンの頭部を見て言い淀む。異物があったのだ。
「あれは
思わず呟く。千葉県に続き、埼玉県でも神奈川県民を見るとは随分と奇妙なことだ。
もし、俺の予想が正しいなら、ムリョーが白いライオンを連れ出し、俺たちにけしかけているのかもしれない。
イチロー兄さんは白いライオンを一瞥すると、にやりと笑う。
「所詮は二次元の存在のようだな」
確かに、白いライオンはアニメのようだった。しかし、そうでありながら三次元への干渉力が強い。
なんという筆力だろう。筆力の厚みが高いのだろうか。
「なぜ、埼玉県民が二次元に逃げ込んだかわかるか?」
突如、イチロー兄さんの問いかけが響いた。
俺は考えるまでもなく答える。
「それはアニメ振興のためだったんじゃないの? 二次元人になれば、それだけ儲かるんでしょ」
俺がそう答えると、イチロー兄さんは鼻で笑う。
「それは埼玉県民の言っていたことだろう。違うな。
埼玉県民は埼玉をさいたまと書いた。ものぐさなんだ。つまり、二次元に逃げ込んだのは、三次元の煩わしさを厭ったからだろう。
どれだけ筆力が強かろうと、あの白い獅子もまた面倒さから逃れるために生まれた存在。そんなものに東京都民である私が負けるわけにはいかない」
そう言うと、スーツの胸ポケットから万年筆を取り出した。万年筆の先端はイチロー兄さんの気迫に応じて輝き始める。
「光を!」
イチロー兄さんが万年筆を空に掲げると、輝きは閃光となる。閃光は雲を貫き、その空の裂け目からは巨大な光が降り注ぐ。
光を浴びたイチロー兄さんが銀色に輝き、巨大化した。
「じぇやっ!」
巨大化したイチロー兄さんが雄叫びを上げる。
そして、そのまま白いライオンに打撃を加える。正拳が顔面に入った。その一撃でライオンに苦痛の表情が浮かび、頭に乗っていたムリョーは吹っ飛ばされる。
――ガァァーっ
白いライオンが吼える。そして、イチロー兄さんの拳に噛み付いた。
だが、イチロー兄さんは動じない。噛まれた腕をそのままライオンの喉元まで進ませる。ライオンが苦しそうなを呻き声を上げると、噛み付かれたまま背負い投げる。
――グガァァっ
くるりと白いライオンは姿勢を立て直した。そして、イチロー兄さんから距離を取る。
そこをイチロー兄さんは突く。
「でやぁぁっ」
腕から光輪を生成すると、ライオンに向けて投げつける。だが、白いライオンは口から風を吹き出し、光輪は弾かれ、イチロー兄さんに返ってくる。
「ぬんっ」
イチロー兄さんに戻ってきた光輪はその身体を切り裂き、全身に血がにじむ。さらに白いライオンは猛攻を仕掛ける。白いライオンの牙が迫った。
イチロー兄さんは白いライオンの口を押さえ、どうにか逃れようとするが、ライオンの勢いはいまだ止まらない。
「でぇいっ!」
咄嗟の一撃だろうか。イチロー兄さんは膝を上げ、ライオンの口下に膝蹴りを見舞う。
――ガガァァッっ
これには白いライオンも堪ったものではない。思わず嗚咽を漏らす。
そこにイチロー兄さんが追撃する。さらなる蹴りを入れ、ライオンの体勢が崩れたのを確認すると、腕を交差させ、光線を放った。
「せいちっ!」
その光線は白いライオンを焼き尽くし、消滅させた。
それを確認すると、イチロー兄さんは頷き、その姿を縮小させる。いつものイチロー兄さんに戻った。
「これで埼玉は制した。心置きなく進めるな、群馬へ」
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