第二市 房総八犬士

 太陽は相変わらず照り付けていた。

 どうにか、半グレ半魚の群れからは逃れることができたものの、そこからはひたすらさすらう日々である。千葉のどの辺りにいるのかも判然としなかった。


「あ、暑い。喉が渇いた……。何日も何も食べていないし、俺たち、このまま死んでしまうんじゃ……」


 怖ろしい想像が脳裏に焼きついてくる。このまま、海の上で野垂れ死にしてしまうんじゃないだろうか。

 俺は渇きと飢餓にさいなまれながらも、ガタガタ震えていた。


「なんだ、ゴロー。そんなことで苦しんでいたのか」


 はあ? あろうことか、イチロー兄さんは涼しい顔をしている。それはモモちゃんも同じだった。まるで苦しんでいる様子がない。

 モモちゃんは藁のような塊を取り出すと、俺に渡してくる。


「はい、これ落花生。千葉県の名物なのよ。イチローさんが海底で拾ったんですって。

 ゴロちゃん、食べてなかったのね。気づかなくてごめん」


 それは硬い殻で覆われた豆のようだった。


「落花生はその名のとおり実がると地面に埋まる。その殻には高い機密性と保存性があるのだ。海底でも無事に保存されているようだな。

 それに、食ってみればわかるが、栄養たっぷりで一粒で十日間は生き延びられるぞ」


 なんだ、その仙人だか仙猫だかの食べ物みたいなものは。

 俺は半信半疑になるが、それにすがるほかない。殻を剥き、露わになった豆を口の中に放り込んだ。


 ぼおんっ


 腹の中で豆が膨らんだような感覚があった。それとともに、飢えはおろか、喉の渇きさえ満たされていくものを感じる。絶望的な感情は一気に消え去った。


「ひどいよ、イチロー兄さん、なんでこんなものがあるのを黙っていたのさ」


 俺の抗議に対して、イチロー兄さんは笑いながら返事する。


「ハッハッハッハ、私たちには食欲も喉の渇きもなかったからな。お前が腹減っているなんて思いもよらなかったのだ」


 ぐぬぅ、そんなものだというのか。

 だが、次の瞬間、さらなる問題が発生する。


 ドゴーンっ


 船体が揺れる。轟音が響いた。

 なんだ? これは何者かの攻撃を受けているのか。


「げひひひひ、見つけたぞ! 東京もんがイキがりよってよ。者ども、かかれ!」


 それは半グレ半魚の大群であった。俺は再び絶望感に苛まれる。こんな大勢の敵を前に生き延びることができるとは思えなかった。


     ◇   ◇   ◇


「くそっ、しつこい奴らだ」


 俺は甲板の上を走り回る。砲弾の入った木箱を台車で運び、砲塔に装填した。そして、手当たり次第にぶっ放す。

 敵は多い。そんな滅茶苦茶な砲撃であっても命中する。しかし、敵は多い。砲撃で数を減らしても、まったくもって焼け石に水であった。


 モモちゃんは操舵室に移動し、全速力で船を進めるが、それでも半グレ半魚たちを振り切ることができないでいる。

 そして、イチロー兄さんはというと、甲板に立ってなにやら半グレ半魚に向かって演説をぶっていた。


「ハッハッハ、無知蒙昧な千葉県人たちよ、よくぞ来た。私は東京都民のイチローだ。いや、なに、拍手はいいぞ」


 誰も拍手なんてしていないのに、そんなことを言う。それでいて、自分の妄想の中の拍手に気をよくしてさらに喋る。


「我々、東京都民が君たちに文明文化というものを与えようと思う。

 例えば、これだ。東京落語。東京にはこれほどの話芸があると思えば、君たちも話術を磨きたいと思うことだろう。

 それにこういうのもあるぞ。東京前寿司。食べてみれば頬っぺたが落ちるぞ。おお、そこの真鯛の半グレ半魚君、君みたいなのを薄造りに捌いてだな。東京どぶろくでキューとやるのだ。

 どうだ、素晴らしいだろう」


 どうやら千葉県民たちに東京文化を教えたいらしいが、まったくの逆効果だ。怒らせているばかりである。


「イチロー兄さん、そんなことを言って油売ってないで、砲撃したほうがいいよ。それか船の燃料をくべてくるとか」


 俺が苦情を言うと、イチロー兄さんはかぶりを振った。やれやれとでも言いたげな風であり、まるでこちらが馬鹿なことを言ったみたいだ。


「ゴローよ、そんなのもう遅いぞ。千葉県民たちはもう船に上がり始めている。白兵戦の用意をするんだ」


 パァンっ


 そういうと、イチロー兄さんは咄嗟に拳銃を取り出し、背後に迫りつつあった半グレ半魚の頭をぶち抜いた。

 見ると、わらわらと甲板の上にまで、半グレ半魚たちが上がってきている。陸に上がるとスピードが鈍るらしいが、それでも軽々と船を上がってこれるのだ。凄まじい怪力を持っているといえるだろう。

 こ、怖い。私は甲板のすみに逃げて、ガタガタ震えた。


――案ずるな。私たちがついている。


 奇妙な声が聞こえた。それは、かつて海底で聞いたものと同じように思える。

 それと同時に、「ワンワンワン」と犬の鳴き声が聞こえた。


 だが、現実は甘くない。ガタガタ震える私を半グレ半魚の一体に見つかってしまう。半グレ半魚はのったりとした動きで、金棒を持ち上げると、私に向けて振り下ろす。


「ワウッワウッ」


 犬の鳴き声だ。それと同時に、突如犬が現れ、私を襲う半グレ半魚の喉元に噛み付いた。

 ブシュッと血が噴く。犬に噛み付かれたように見えたが、一人の侍がその刀で半グレ半魚の喉元を切り裂いていた。


それがし犬塚いぬづか信乃しの八犬士はっけんしの一人にそうろう

 愛刀、村雨丸むらさめまるはその名の通り、鮫の力を宿らせておりまする。魚類には滅法に強い」


 その侍は女性と見まがうほどの美少年であった。その美しい顔に似合わず、鮫のような獰猛な剣捌きである。瞬く間に、無数の半グレ半魚を打ち砕いていった。

 まさに死屍累々。まるで死神のように半グレ半魚たちの命を刈り取っていく。


 辺りを見渡すと、侍は一人だけではなかった。何人もの侍、いや犬士たちが半グレ半魚たちを相手に大立ち回りをしている。その活躍で瞬く間に半グレ半魚たちはその数を減らしていった。


「いや、犬士ってなんなんだよ」


 思わず口に出る。正体不明の侍たちであったが、どうやら味方ではあるようだ。

 半グレ半魚たちが千葉県民の負の側面であるとすれば、八犬士は千葉県民の正の側面といえるだろうか。


「ふふ、もうすぐ着きまするぞ」


 犬塚信乃が声を上げた。その視線の先には陸地があった。

 あれは埼玉か。いや、まだ千葉なのだろうか。


「あの場所は勝浦! B級グルメグランプリの開催地、勝浦です!」


 モモちゃんが全国観光ガイドブックを眺めながら発言した。B級? グルメ? 一体、どんなものなんだ。

 八犬士たちは俺たちをどこに導くつもりなんだろうか。

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