第三市 横浜横須賀戦争
「美味い、美味い」
思わず、大声を上げて言葉に出る。横須賀名物の海軍ライスカレーを供されていた。
まっ黄色のルーはスパイシーでありながら甘く、牛肉、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎという具材が映える。そして、このルーとともにご飯をもりもり食べるのだ。これ以上の幸せが世の中にあるだろうか。
アクセントの福神漬けの甘しょっぱさもいい。
「気に入っていただけて何よりですな。我ら海軍では海上生活で曜日感覚を失わないように、こうして毎週金曜日にはカレーを食しているのです」
ムリョーがそんなことを言う。単に休みの前日は片づけが簡単なカレーにしたとも聞くが、真偽はわからない。
「美味しいです!」
モモちゃんは私以上の食欲で、何杯もカレーをお
ドドーンっ
急に軍艦が揺れる。攻撃を受けているのだろうか。
「ちっ、横浜のやつら、もう反撃に出おったか。
総員持ち場につくのだ。迎撃するぞ!」
ムリョーの言葉に従い、船員たちが一斉に動き始めた。
そして、私たちを船室にと案内する。来賓として守ってくれるらしい。ありがたい。
しかし、ムリョーに案内されて着いた場所は奇妙な部屋だった。薄暗く、奇妙な匂いが立ち込めている。部屋中には奇怪な文様が描かれており、その中央には祭壇のようなものがあった。
来賓室というよりは邪教の儀式を行う場所のように思える。
「この部屋は一体……?」
私がムリョーに問いかけると、ムリョーはにたりとした笑みを漏らす。
「くくく、愚かですよ。神奈川県民に純正な人間がいると思っているなんて。
異人と化したのは横浜の民だけではないのです。我ら、横須賀の軍人もまた異人の血に侵されています。
ですが、困ったことがありました。海の神に捧げる人間がいなくなってしまったのですよ」
その言葉を聞き、直感する。そうか、こいつは俺たちを海の神とやらへの生贄にしようとしているのだ。
「畜生っ! モモちゃん、逃げ……」
そこまで言おうとして、急激に全身から力が抜ける。言葉を発することはおろか、立っていることすらできなくなり、ぐにゃりと床に伏した。
「何のためにカレーを食べさせたと思うのですか。あなたたちから反撃する力を奪うためですよ」
ムリョーは会心の笑みを浮かべる。
「これで、ついに海の神を召喚することができる。そうすれば、横浜の有象無象などもはや敵ではないのですよ。我が横須賀の力になれることを光栄に思い、神の供物となるのです」
そして、高らかな笑い声を上げた。勝利を確信したのだろうか。
けれど、俺はそれが間違いであることを知っていた。
「あのー、悦に入っているとこ悪いんですけど、あたしは無事なんですよ」
モモちゃんは平然と佇んでいた。それを見て、ムリョーは驚愕する。
「なぜっ!? なぜなんですか、なぜあなたは倒れていないのです!?」
こめかみに人差し指を当てながら、モモちゃんが答える。
「だって、あたしが食べたのは船員のみなさんが食べてたカレーですもん。全部のカレーに毒を盛るわけないでしょ。ムリョーさんからもらったカレーはゴロちゃんにあげちゃった」
笑みを浮かべていたムリョーの顔が憤怒に変わる。そして、軍刀を抜き、振りかぶった。
いや、毒入ってるって予想してたカレーを俺に食わせたんかい。
「猪口才! 直接、その動きを止めるまでよ」
それでも、モモちゃんは余裕の表情を緩めない。
「あたしがお相手してもいいんですけどねぇー。男の人って立たせてあげないと、機嫌悪くなっちゃうから」
別にそんなことはないんだけどね。
そう思いながらも、俺はムリョーの背後から近づき、ムリョーを羽交い絞めにした。もう解毒は終わっていた。
「ま、まさか、お前まで……!」
モモちゃんはカレーの毒を分析して、特効薬を作っていた。そして、前もって私に注射していたのだ。
なんで、急に注射を差すのかと思ったが、そんな理由だったのか。
「よし、逃げよう」
ムリョーは意識を失った。へなへなと倒れこんだムリョーを確認すると、モモちゃんに目配せし、甲板に上がる。
◇ ◇ ◇
その場所は死屍累々であった。軍人たちが砲弾を受け、あるものは血を流し、あるものは焼けるように、命を失っている。
何があったんだろう。不思議に思いながらも、あることに気づいた。
「この
奇妙だが、軍艦は海に浮かんでいなかった。空中に存在しているように思えた。
「ふふっ、やっぱり。イチローさん、無事だったのね」
モモちゃんのその言葉でようやくピンと来た。
軍艦は飛んでいるのではない。持ち上げられているのだ。鎌倉の大仏によって。だとすると、その操縦者はイチロー兄さん以外にありえない。
もしかすると、軍艦への攻撃もイチロー兄さんが始めたことなのだろうか。
「ゴロー、モモ、無事に脱出できたようだな。よし、地面に降ろす。舌を噛むなよ」
ドシーンっ
地響きが鳴る。軍艦が地面に叩きつかれたようだ。
そして、私たちの前に大仏が現れ、その手のひらを差し出した。俺とモモちゃんがその手のひらに乗ると、そのまま大仏はどしんどしんと移動し、人気のない場所で降ろす。
そして、大仏からイチロー兄さんが姿を現した。
「生きてたんだね」
俺はつい瞳を潤ませてしまった。だというのに、イチロー兄さんは涼しい顔のままだ。
「ああ、横浜県民の暗黒空間から脱出し、大仏を修理したところで、君たちが軍艦に連れ去られたのが見えたんでね。救出に向かわせてもらった」
本気で心配したというのに、なんなく脱出したらしい。俺はてっきり命の危機かと思っていたのに。
イチロー兄さんは大仏と向き合う。そして、その頭を撫でた。
「鎌倉の大仏も、ついに真の役割を果たすときが来たんだ。
平和のためのな」
そう言うと、再び大仏に乗り、飛び立った。大仏の足の裏がバーニアとなり、飛行する。そのまま、横浜と横須賀の戦争の中心点に向かった。
そこでは両陣営の軍人たちだけでなく、金太郎もまた俺たちを追って現れている。
その中にあって、鎌倉の大仏は突如として輝き始め、やがて爆発した。
爆発の威力は凄まじく、金太郎も戦争中の軍人たちもすべてを飲み込み、そのまま消える。
鎌倉の大仏はその力で戦争をやめさせたのだった。まさしく御仏の慈悲がもたらした業といえよう。
「え、あ、いや、これは……」
俺は何かを言おうと思ったが、やめた。もはやイチロー兄さんの無事なんて、心配するだけ無駄だと思ったのだ。
「おーい、君たち!」
ほらね。イチロー兄さんが手を振りながら近づいてくる。
「その辺に船はないか? それに乗って、海底に沈んだ千葉県に行くぞ」
声が響いた。それに従い、俺たちは周囲を見渡す。破損した軍艦がいくつも流れているのが見えた。
まさか、こんなボロボロの船で千葉まで行くというのか。俺には嫌な予感がしてならなかった。
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