50.一方その頃

 既に崩れた道は戻ることはできなかったが、幸いディランが正しい道を把握していたおかげで目的までの大体の方角を知ることができた。あとは、その方向へ向かって進むだけである。


 進むだけ、と言葉にするだけならば簡単なことだ。しかし母なる島エンブリオス到着当初にディランが言ったように、逸れた道にはトラップが存在した。

 彼らが進んだ先には主に、落とし穴や矢などの典型的な罠に加えて道を塞ぐ石人形ゴーレムが配置されていた。石人形ゴーレムは単純な魔術で作成でき、一度作成すれば壊れるまで命令を遂行する優れものである。勿論、クロスタもディクシアも十二分に知っている存在だった。


 そんな障害があった中、"進むだけ"を簡単にしたのはその2人の存在が大きい。


「アリィたちは、無事でしょうか」


 ディクシアの杖が、クロスタによって四肢をもがれた体躯の中心にある核を破壊する。

 石人形ゴーレムを文字通り石に還したクロスタとディクシアは、ディランの呟きに顔を見合わせた。


 通ってきた道には同様の石塊が雑多に転がり、狭い通路を圧迫している。

 ディランはそんな蹂躙の痕跡を眺めながら胸に羽を当てる仕草をする。


「アリィも僕と同じで、簡単な魔術しか使えないのできっと戦えません。守護者様を疑うつもりはないのですが……」

「追いかけると言っていた」


 不安が滲むディランの言葉を、クロスタが少ない語彙で諭す。それでも心配そうな表情を崩せずにいる彼へ、小さなため息とともにディクシアが答える。


「心配しないで下さい。僕たち守護者が、こんな簡単な障害で躓くなんて殆どありませんから」

「ですが」

「仮に何かあったとして、彼女なら身を挺してでもアーリィさんを守るはずですよ」


 彼女、がレッセを指すものでないことは明白だ。

 身を挺してという物騒な話が出たにも関わらず、その声音に心配は含まれていない。ディランもそれを感じ取ったのか、怪訝な顔をしてディクシアへと視線を向けた。


「ご心配、されないんですか?」

「アーリィさんの手助けをすると決めたのも、ここについてくるという選択肢を選んだのも彼女自身です。自分で蒔いた種を責任持って刈るのは、当たり前のことですよ」

「……手厳しいのですね」

「これでも付き合いは長い方ですので。彼女にはどれだけ苦労をかけられたか」


 徐々に寄った眉間の皺を指で押さえ、ディクシアは躊躇いなく歩を進めた。同じように迷うことなく進み始めるクロスタを、慌ててディランが追いかけた。


 先ほどシリスたちが落ちていった直後は焦る様子を見せていた2人だったが、切り替えは早かった。罠を退け、時折出てくる鏡像をも退けながら、ディクシアもクロスタももはや振り返ることはなかった。


 ディランの言った厳しい、というワードにディクシアは特に反論もしない。しかし淡々と歩みを進めながら「ただ」と、彼は唐突に続きを口にした。


「クロの言ってたように、追いかけると言ったならシリスは追いかけてくるでしょう。───不本意ながら、彼女の行動力に対しての信頼はありますから」

「だから、俺たちは進めば良い」


 とても単純な答えだった。

 決して普通のヒトならば信頼という一言で片付けられる状況ではないというのに、ディクシアもクロスタも追いかけると言った彼女の言葉を微塵も疑う様子はない。

 身の上を語ったわけではないにも関わらず、3人の中に築かれてきた関係が永く深いものだとディランへ理解させるには十分だったようだ。


「……あの方は女性なのにお強いので───」

「そこは関係ない」


 食い気味に、クロスタがその言葉を否定する。


「どうしようもない生まれつきの性質を引き合いに出すべきじゃない。あいつはあいつだから強い、そうだろ?」


 同意を得るように投げかけられた問い。


「そう、だね」


 その矛先のディクシアは一瞬だけくしゃり、と顔を歪め、しかしクロスタの言葉を否定することはなかった。


「……悪い。ディクのはまた、別だ」

「いいんだ。君のいうことも正しいよクロ」


 彼が"女性"という生まれ付きの性質を苦手にしていることを思い出したのだろう。

 きまり悪く自らの無配慮を謝罪するクロスタに対し、ディクシアは微笑んで見せるものの、その歯切れは悪かった。





 足を止め、束の間の沈黙。



 それを破ったのはディランだった。


「でも羨ましいです。そう言ってくれるヒトがいたから、彼女もボクに気遣いの言葉をかけてくれたのですね」

「シリスが?」


 母なる島エンブリオスに向かう道中でディランとシリスが何か会話をしていたのを眼下には捉えていたが、その内容まではディクシアも把握していなかった。

 何がどうあってその話になったかは分からないが、彼らはそれなりに踏み込んだ話をしていたようだ。


「ええ。他人と比べるでもなくボクは、ボクだと。……肯定を口に出してもらえるのは、思った以上に嬉しいものですよ」

「……言ったのは俺らじゃない」


 今度はクロスタの歯切れも悪くなった。


 彼らの返答にディランは目を見開き、そして少しだけ切なそうに笑った。


「何があったかは分かりませんが、過ぎたことだとしても口に出して言うべきですよ」

「……善処する」

「ええ、そうして下さい。心の中で気遣ってるだけでは、相手に届いてないと思った方がいい。自分だけしか自分を肯定していないと信じ込んでしまうのは、とても苦しいことですから」


 それは、自らの経験による助言だったのか。

 ゆっくりと瞳を伏せ、再度金の瞳を覗かせたディランにはもう切なさのカケラも残っていない。

 彼は誰よりも先に歩き出し、その羽を正面へと向けた。


「風が出てきましたね、そろそろ外のようです。恐らくもう目的地に着くでしょう」


 ディクシアとクロスタが導かれるように彼の後を追い、開かれた通路の先を見上げる。そこには、初めに目にしていた霞む建物が荘厳な空気を漂わせながら姿を現していた。

 一見、神殿に見えなくもない細やかで繊細な装飾を施された壁は明らかに他と一線を画している。


 ディランは躊躇いなく扉を開けて中へ入り、続く2人も足を踏み入れる。中は単にだだっ広い空間で、彼らが入ってきた道以外にもいくつか扉があった。その内いくつかは中途半端に開くか、破られたような形跡がある───おそらく、が通った痕だ。それが何かは、先ほどの出来事を考えるに容易に予想はつく。


 中央に近付けば、ぽっかりと大きく口を開けた穴と幾つもの浮遊する足場が目に入った。


「奥に光が見えますか?あれが目指す浮遊石です」

「深いですね……。足場を使うことも出来なくは無さそうですが」

「ええ、ですから適度に羽を使いながら下りるのが良いかと。ですが」


 ディランが視線を向けた先には、何かが通った痕跡の残る扉。

 彼らは正しく理解していた。鏡像が現れているとすれば何が1番原因として考えられるのか。どこが1番怪しいのか。


「下には同じくらいの鏡像がいるかもしれないということですね」

「恐らくは。先ほどの群れは、この足場を登って出てきたと考えるのが妥当かと」


 ディランの答えにディクシアが唸る。


「昨年の儀式で新しい鏡が割れ、尚且なおかつ鏡像が生まれているというのであれば、恐らく下には古い方の鏡が残っているのでしょう」

「理解しております」

「鏡像の経路になり得た原因はさておき───鏡に溜まった力を解放せずに割れば、

どうなるのでしょう?」

「それはボクにも……。ですが、世界中の浮遊石を充填させるだけの力です。危険だとは思います」

「やはり、そうですか……では、力の解放には時間が掛かるものなのですか?新しい鏡の設置は急ぎませんか?」

「いいえ、設置はいつでも可能です。儀式も、数分あれば可能かと」


 ディランの返答に、ディクシアは数度視線を彷徨わせたあと顎に手を当てる。少しの間、長いまつ毛を伏せていた彼はひとつ頷いて瞼を開いた。

 紺碧よりも深い、澄み渡った青がクロスタへ向いた。


「行くのか」

「ああ。理想はシリスたちがいる事だけど……囲まれさえしなければ2人でも適度にやれるだろう?」


 疑うことない問いに、クロスタは迷わず頷いた。ディクシアの端正な顔に、目も醒めるような微笑みが浮かぶ。


「いくらここが外界と隔絶されていたとしても、これだけの数を生み出す経路をそのままにしておくわけにはいかない」

「そうだな」

「とにかく僕たちは儀式が行えるようにディランさんを守る。それが済めば速やかに鏡を砕いて───全部倒せなくても良い、とにかく元凶を取り除くことを優先しよう。シリスたちがいつ合流してくるかもわからないからね」

「わかった」


 鏡を砕いてしまえば、そこから鏡像が新たに生まれることはない。それこそ、不意を突かれなければ、数分程度の防衛戦は2人にとって決して不可能なことではなかった。

 前衛を担える者が合流できれば尚更状況は良くなるのだろうが……彼女たちと再会する目処すら立たない現状では、とにかくこれ以上鏡像を増やさないことが優先事項だ。

 本来なら問答無用で鏡を割るのがベストでも、何が起こるかわからないリスクを被るべきではないとディクシアは判断した。


 彼らは頷き合って振り返る。


 未だ沈黙を貫く黒穴はまるで生き物のようにただ大きく、大きく口を開けて彼らを待っていた。

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