47.退くより進むが易し
「つまんないわねぇ」
またしても口火を切ったのはレッセだった。
先と一緒で一字一句変わらない文句だ。数分耐えたから、もう配慮するのもやめたらしい。
景色はたしかに訪れたときとは姿を変えた。しかし、変わった後は再び同じものが続くだけであった。道は前よりも入り組み、分かれ道が増えているがそれだけだ。
彼女がいつ不満を言い出すのか、シリスとアーリィがこっそり賭けていたのは秘密である。
因みに、シリスの勝ちだ。
ディランは何度もこぼされる文句にも努めて落ち着いた言葉を返す。
「もうすぐ辿り着くはずですから」
「もうすぐって言って、後どれくらいよ?道は合ってるんでしょ?」
「半分の半分は過ぎたはずなので、もう少し……」
剣幕に気圧され、たじたじになるディラン。咎めたい気持ちと関わりたくない気持ちでせめぎ合っているのか、彼らに1番近いディクシアはレッセを止められずにいた。
その瞳がシリスとクロスタに向き、明らかにSOSと訴えている。
レッセを
また悪意のある言葉が飛んでくるのだろうかと嘆息しながら割り込もうとした時だ。
背中を走るぞわりとした悪寒。
考えるより先に、声が出ていた。
「先輩!」
「はぁ?なによぉ、またなんか言いたいワケ───」
「来ます!」
シリスが叫ぶのと、あたりの空気が一変したのは同時だった。
端的な言葉に反応できるのはさすが経験値の高い守護者、とでも言うべきか。
シリスに向けかけた鬱陶しそうな表情をすぐに通路の奥へ向け、レッセは太腿のホルスターからダガーを引き抜いた。ほぼ同時に、アーリィとディラン以外の全員が己の武器をそれぞれ構える。
「なんなの?何が来たって?」
「……聞こえません?アレの声」
しん、と音が止む。
誰も口を開かない。
風も通らない通路。張り詰めた空気に皆が呼吸を潜める中では、息遣いすら聞こえない。耳に痛いほどの無音が周囲を満たす。
「……何も聞こえないけれど……」
「油断するな」
暫く待つも何も起こらずディクシアが訝しげな表情で構えを解こうとした直後、クロスタが低い声で彼を叱咤した。
再びの静寂。
静寂。
静寂。
───けら。
始まりは、僅かばかりの"音"だった。
「っき……」
向かうはずの通路の奥の闇がどろり、と蠢いた。
───けら。
──ら、けら。
─けら、けら。
げら、げらげらげらげら。
「きゃあああああ!!」
突き上げるような悲鳴がアーリィの喉から迸る。だが、それを飲み込むかのように圧倒的な哄笑が怒涛のようになって押し寄せた。
ヒトのようでいて虫のようでもある細く節くれ立った手足を、めちゃくちゃに振り回す黒い体躯。デタラメに付いた幾つもの目は爛々と輝き、見つけた"餌"への悦びに満ちている。端を大きく吊り上げた口元から漏れ出る、耳障りな不協和音が空気を汚染する。
鏡像の波。
溢れんばかりのモヤ型が、向かう先の廊下から次々に姿を現した。
「こんなところにまで……っ!?」
「はああぁ!?鏡像どもがなんでここにいんのよぉ!?」
ディランの戸惑いを打ち消すレッセの叫びが、嗤い声とともに通路に木霊した。
「
初手に放たれたのは、ディクシアが素早く組み上げた術だった。
地面が揺れたと同時。目の前の通路の石壁が幾本もの杭へと姿を変え、鏡像たちの身体を穿った。
鋭い
「くそ、多いな……!」
悪態をついた彼に応えるかのように、割れ始める同胞の隙間からまだ無事な鏡像たちが這い出す。
「なんだコイツら……何処から湧いた?」
「考えるのは後!」
クロスタの疑問はもっともだったが、今は腰を据えて考えている状況ではなかった。手足をバネに勢いよく飛んできた1匹を、シリスは正面から垂直に叩き斬る。
視線だけを右へ向ければそちらへ伸びる分かれ道の奥でも、黒がぞわりと動き始めていた。
「ああもう!コイツらキモいからマジで最悪なんだけど……鳥くん!」
ふわふわと上から漂うように降りてくる小さな鏡像を素早くダガーで切り裂き、彼女はディランに向かって怒鳴った。
「今までもこうやって鏡像が襲ってきたワケぇ!?まさか隠してたとかじゃないわよねぇ!?」
「それならただの有翼種だけで儀式ができるはずがありません!」
アーリィを背に庇いながら、ディランも同じように声を荒げた。彼は怯えて動けないということもなさそうだが、アーリィが顔を真っ青にして震えている。
もっともなディランの返答に、レッセが大きな舌打ちを鳴らした。
「つまんないとは言ったけど、こんなのお呼びじゃないわよぉ!元の道に戻って……」
「───後ろも無理だ」
銃声。
ため息交じりに答えつつ、クロスタは力を込めて跳ねようとしていた鏡像の手を弾き飛ばす。体勢を崩したそれの瞳にダガーを捩じ込み、レッセも元来た道を振り返った。
わらわらと蠢く不定形の塊が、粘つく声を響かせながらこちらへと押し寄せていた。その中に、明確に何らかの生き物の形をした姿───ケモノ型だ。それも、数体。
モヤ型よりもさらに厄介なそれが、周囲を蠢くモヤ型を踏み潰しながら猛然と通路を駆けてくる。
「先輩、こっちならまだ!」
通り過ぎてすぐだった分岐点を見れば、そこにはまだ何の影も見当たらない。正規の道では無いはずなので、不用意に飛び込むべき道ではないが。
シリスが告げると、逡巡する間もなくレッセはすぐに決断を下した。
「退くわよ!」
決まるが早いか、クロスタが魔術を連発して大きな波を止めていたディクシアを担いで走り出す。軽く息が上がっているその様子では、自ら走るのは難しそうだ。
ディランも翼を羽ばたかせて飛び上がった───たしかに、飛べるのであれば彼らの脚では走るより飛ぶ方が速そうだ。
「アリィ行くぞ!」
「う、うん」
戸惑ったままのアーリィも、ディランに促されて羽を広げようとした。
「ほとぼりが醒めるか、どっか抜け穴があればさっさと戻るからね!ちゃんと周り確認しながら進むのよ新人くんたち!」
「ッッ───待って!!」
広げた翼で今まさに飛ぼうとした瞬間。続くレッセの宣言にアーリィは動きを止めた。走り出したレッセに飛び掛かるように縋りつき、彼女は大きな瞳に困惑を宿して声を震わせる。
「ちょっと邪魔なんだけど!」
「も……戻るって……。ここまで来て、まさかルフトヘイヴンに戻るんですか!?ここで戻ったら、もう今年の儀式が成功する見込みが……!」
「この状況でそんなこと言う!?アナタ、頭まで鳥なの!?」
「だって、パパが!パパが何か残してくれてるかもしれないのに!」
「はっ!」
嘲るような笑み。
レッセは躊躇いなく、自らにしがみつくアーリィの脇腹を蹴った。
「あぐっ」
「アリィ!」
「何よアナタも聞いてたんでしょぉ!?こんな状況でまだ儀式とか言ってるほうがイカれてんのよ!」
「それでも、いくらなんでも手を出すって……!」
「馬鹿に口で言ったってしょうがないのよ!これだけゴミどもが溢れてんのよ、"パパ"だってすでに跡形もなく喰われてるわよ!」
「先輩!!」
それは───それだって、たとえ苛立ったのだとしてもいま言ってはいけない言葉だ。
痛みで蹲っていたアーリィを抱え上げたシリスが、強い口調でレッセを咎める。だが、すでに放たれた言葉が無かったことにはならない。
シリスの腕の中で、呆然としたアーリィが見開いた瞳から大粒の涙を零した。
「パパが、もう、いない……?」
「アリィ、落ち着いて。考えるにしても今は安全なとこへ───」
「アナタも本っ当にウザいわ!ヒトに対していい顔ばっかり見せて、正義の味方気取り!?自己満足よ、自己満足!押し付けがましいのよ!」
苛立ちから怒りへ。アーリィの肩を持ったからか、そもそもシリスのことを元から気に入らなさそうだったからか。
彼女を宥めるシリスに対しても、レッセは吼える。ぎりぎりと、歯軋りの音すら聞こえそうだ。
「
「……」
言い返したいことはあれど、今の状況で口論してる暇がないのはシリスも十分分かっていた。
じくりと疼いた胸の痛みを押し殺し、取り敢えずは先に向かおうとアーリィを抱えながら立ち上がる。
「シリス、ぼさっとするな!!」
クロスタの叱責に、咄嗟に前へ跳ぶ。
一瞬前まで立っていたはずの床を、熊に似た形の鏡像の爪が抉る。容赦の無い攻撃に、悲鳴を上げたのは床の方だった。
分厚い石が砕け床板は見る間に瓦解し、それはシリスたちがいる場所からなおも先へと亀裂を伸ばす。
走り始めるには、遅かった。
身体が下に引っ張られる感覚。ダイレクトに重力を受け、踏み出そうとした足は宙をかく。
誰かが、何かを叫んでいた。
急速に遠くなる天井に向かって、シリスはあらんばかりの声を張り上げた。
「先行って!全力で追いかけるから───!!」
その声が届いたかは定かでは無い。だが今は再び声を張り上げる余力もなかった。
シリスは自らの攻撃で足場を無くし、同じように落ちながらも"餌"に向かって手を伸ばすケモノ型に片手で剣を振り下ろした。
もう片方の手で守るようにアーリィを抱えながら。
何度も、何度も、何度も。
衝撃。
暗転。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます