46.同じ温度を感じることができたなら

「シリスの家族はどんなヒトたちなの?」


 歩き始めてすぐ、話題を転換しようとしたのか唐突にアーリィがそんなことを言った。まだ少し沈んだ様子が拭いきれない彼女に、シリスはそれに乗ろうと口を開く。


「普通に比べると人数は多いけど、よくある家族だと思うよ。父さんに母さん、下に弟と妹がたくさん。そのうち1人はあたしの双子の弟」

「双子だったの!?」


 食いつきの良すぎるアーリィの反応に、シリスの方が面食らった。丸い目をさらに丸く見開き、澱みのないきらめきで見つめられると金鷲というよりも梟に見えなくもない。思わず苦笑を浮かべてしまうほどだ。


「そうそう珍しいことでもないっしょ?」

「有翼種はほとんど双子がいないから珍しいよ!双子ってことは、顔もそっくりなの?」

「んー、一応性別が違うから、どちらかって言えば男だった場合のあたしというか」


 性差はあるゆえ並んで立ってもどちらか分からなくなることもない。かといって、単に姉弟きょうだいだというのもしっくり来ない。

 説明をしようにも、自分たちを表す言葉は双子以外何も考えたことはなかった。

 だが、敢えてヴェルを双子の弟以外で表すとすればきっと、これしかない。


「なんというか片割れ、かなぁ」


 居ることが当たり前で、居なかったらと考えるだけで心の半分が欠けてしまうような存在。

 勿論、ついこないだではあるものの、お互い成人した立派な大人である。ずっと相手のことを考えてばかりいるわけでもなければ、片時も離れないなんてことはない。今だってそうだ。

 それでも何かとつけて考えてしまうのは、根底で彼を自分の半身だと───産まれる前に母の胎内で分かたれたもう半分だと認識してるからかもしれない。


「……なんて。中身は実際、普通の姉弟きょうだいと変わんないと思うから面白くもないだろうけど」


 多分、おそらく、きっと。ヴェルもそう言う。

 産まれ方が少し変わってるだけで特別なことなど何もないのだから。ただ、お互いへの愛着を強く持てるような基盤があるというだけ。


 彼は今、どんな場所での任務をしているのだろう?幼馴染であるクロスタとディクシアはシリスと共に配属された為、内心、独りで寂しがっていたりしないだろうか。

 弟のことを考えると胸にしんみりとした寂しさを覚える。シリスは軽く頭を振って話題をアーリィに対するものへ切り替えた。


「アリィはひとりっ子?」

「うん。でも昔はディランがよく遊びに来てたから、お兄ちゃんって感覚は大体わかるかな。パパもディランの事を息子みたいだって言ってたし」


 アーリィが不意に目を向ける先に、彼女と似て非なる鳩羽色が揺れている。

 金の瞳は彼だけでなく、その隣に居た"誰か"を見つめるかのように細められた。


「アリィのお父さんって、どんなヒト?」


 深い意図はなかった。ただ、シリスは純粋に知りたかったのだ。

 昨年の儀式を失敗させたといわれる人物ではなく、有翼種たちに裏切り者とそしられる人物でなく、アーリィが見つめる先の父の姿をただ、知りたかったのだ。


「パパは……」


 少し悩む様子を見せながら、アーリィが口を開く。


「パパはちょっとドジでガサツで、生活力がなくて、記憶力もなければデリカシーもないヒトだよ」

「おっと思ったより辛辣な評価出たな?」


 密かに隣で聞いているクロスタが吹いた音が聞こえた。


「パパはね、歩いてると何でもないところで転ぶし、だからって飛んだら天井にぶつかることも少なくないの。そのくせ周りに注意することもないし、たまにご飯を作ってくれたと思ったら焦がすし。そのことを忘れてまた同じ失敗をするし、部屋にはノックせずに入ってくるし───」


 つらつら挙げられるアーリィの父、ヴィクターの欠点。聞いているだけだと駄目な部分しかないように思えるが、アーリィの口調には優しさがありありと滲んでいる。


「でも、ワタシの気持ちを1番大事にしてくれる。ママが空に還ったときも……自分だって大声で泣きたいはずなのに、ワタシが落ち着くまではずっと静かに背中をさすってくれてね。小さい時から、何かあってもすぐ怒るんじゃなくてまず話を聞いてくれたの。私の失敗も笑って許してくれて、何がダメだったのか一緒に考えてくれてさ。逆にいい結果を出したときにはケーキを買ってきてくれたり……。2人でホールケーキとか考えなさすぎだよね?」

「良いお父さんじゃん」

「えへへ、ワタシもそう思う。ゲルダを友達だって紹介したときも何の抵抗もなく受け入れてくれて───親戚の金鷲人ハーピーがみんな翼があることに誇りを持ってたから、ディラン以外はあんまり無翼のヒトに好意的じゃなくて。でも、一緒にを作り始めたときには流石ワタシのパパだと思った」


 アーリィの表情に、もう暗さはない。

 そこに浮かぶのは肉親への愛情と、光る思い出へのノスタルジア。溢れた愛しさが彼女の頬を伝い、顎から雫となって落ち、地面を穿った。


「パパは無翼のヒトとの亀裂を作って逃げ出すような金鷲人ハーピーじゃない。きっと誰かに嵌められて、みんなから裏切り者って言われてるから帰ってこれないんだよ」

「アリィ……」

「どこか別の場所でひっそり隠れてるのかもしれない。きっとそう。だってパパは案外逞しいもん」


 瞳は涙に濡れながらも声に震えはない。

 翼の先で涙を掬い、アーリィは笑ってみせた。今度は、力強く凛と気高い笑顔だった。


 シリスは、翼では吸いきれずに頬に広げられた涙をグローブで拭う。


 今まで一緒にいたはずの家族が突然消えて生死もわからない苦しさは、きっと経験したことのある者にしかわからないはずだ。


 シリスは弟と妹たちへ思いを馳せる。


 彼女の家は外務で保護者を亡くした子どもの養護を担っている。

 今でこそシリスを姉と慕って懐いてくれているきょうだいたちも、血の繋がらない"家族"の元へやってきた当初にはひたすらに泣いていた。

 

───ママはどこ?

───お家に帰りたい。

───お父さんが私を置いて居なくなるはずがない!


 親をうしなった悲哀。家族との思い出から引き離された寂寞せきばく。庇護してくれる者が突然消えた不安。

 シリスもヴェルも、出来るのは寄り添う事くらいだ。その苦しみを本当に理解できるのは、同じような経験をしたヒトだけなのだから。




 例えばそう、彼みたいな。





「それなら尚更、成功させるべきだな」

「え?」

「儀式。親父さんがいつ帰ってきてもいいように」


 唐突に飛んできた言葉に、アーリィがクロスタを見た。数えるほどしか口を開かなかった彼が喋ると思って居なかったのだろう、金の瞳は丸々と驚きに象られていた。


「信じてるんだろ、親父さんが何もしてないって。周りを黙らせるなら、あんたがまずそれだけの事をするべきだ」


 クロスタは言ってから、アーリィの顔を見下ろした。切れ長の瞳は無感情にも見えるが、そこに冷たさなどは一切含まれていない。

 2人の視線が噛み合い、互いに逸らされる事は無く、時は静かに流れ続ける。やがて、アーリィは涙も乾いた顔で笑った。


「そうですね、まずはワタシがパパの汚名を晴らさないと!」

「……そうだね。無事に終わらせて、大手を振って帰ろ?」


 元気よく頷いて、アーリィは力強い足取りで進んでいく。

 ペースを落とし、少しずつ彼女との距離が開いてから、シリスはようやくクロスタの顔を見上げた。


「なんだ」

「優しいじゃん」

「別に……」


 思ったままを口にしたつもりだったが、揶揄われたと思ったのかクロスタは苦々しい表情を浮かべて顔を逸らす。




 ───クロスタも、境遇は少しだけアーリィに近いものがある。


 彼には歳の離れた兄がいた。下手をすれば親に間違えられるほど年齢の離れた兄だ。


 そう。彼には兄が"いた"。

 全ては、過去の話だ。


 クロスタの兄は外務中に鏡像に襲われ、姿を消した。消したというのは正しい表現ではないかもしれないが、文字通りその姿は無くなってしまったのだ。

 遺体はなく、残されていたのはボロ切れになった服の切れ端と彼の使っていた一丁の銃のみ。


 生死もわからず所在も不明。


 そのときのクロスタの荒れ具合といえば、それはもう酷いものだった。

 兄が帰ってくると信じて、それでもどこかで湧き上がる疑いに心を乱され、シリスやヴェルにすら声を荒げたことだって一度や二度じゃない。双子にできることは、きょうだいのときと同じく彼に寄り添うことくらいだった。


 そんなクロスタも、兄が姿を消して1年もすれば徐々に落ち着きを取り戻していた。……諦めがついたともいえるかもしれない。

 残された銃に付着していたといわれるおびただしい血痕も、彼の諦めの後押しになっていたはずだ。


 彼はきっと、アーリィに過去の自分を見てしまったのだ───





「まだ望みがあるなら、大事にしといたほうがいいだろ」


 クロスタが望みを完全に捨てたのは、いつだったのだろう。

 希望を捨てた代わりに、鏡像に憎しみをぶつけるようになったのはいつからだっただろう。

 諦めた彼は、どんな気持ちでアーリィを励ましたのだろう。


「クロがいて良かったよ。珍しく長く喋ってたから、噛まないか心配だったけど」

「煩い」

「あたしよりも断然、というかこの中で1番気が利いたこと言えるんじゃない?口下手なのが痛いけど」


 沈みかけた空気を振り払うため次は本当に揶揄い半分に言えば、鋭い睨みつけが返ってくる。けらけらと笑って、小突かれる前にシリスはアーリィの後を追おうとする。


「───俺は」


 不意に手を引かれ、つんのめるようにしてシリスは足を止めた。

 振り返れば、クロスタが物言いたげな表情でシリスの顔を見下ろしていた。


「俺は、おまえらが側にいたから良かった」

「え?」

「言葉なんてなくても、救われてた。……それだけだ」


 サッと手は離れていく。穏やかさをたたえた目元はすぐ見えなくなり、代わりに後ろから僅かに赤らんだ耳元がよく見えた。

 クロスタはそのまま、シリスよりも先にアーリィたちを追って道を進み始める。



「……やっぱ優しいんじゃん?」


 寄り添うことしかできなかった後悔に、いつから気付いていたのだろう。

 分かりづらい友人の気遣いに思わず苦笑を溢し、シリスも急いでその背を追いかけた。

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