35.抱えている問題について

 始めの一度だけ、車体は大きく揺れた。


 続いて羽ばたきのような音が大きくなり、ゆっくりと車体は地面を離れていく。


 完全に浮上した機体。

 するりと滑るように、浮石車エアモーバーは動き出した。壁のない吹きさらしの出入り口から外へ出ると、先ほどの広場が少し下の方に見える。十分に建物から離れたことを確認して、男が操縦桿を手前に引いた。


「凄い、どんどん高くなる」


 足を動かせば景色が後ろに流れていくように、浮石車エアモーバーが上昇するにつれて景色は下へ下へと流れる。シリスが助手席からわずかに身を乗り出せば、地面を歩く人々の姿が徐々に小さくなっていくのが見えた。


 ヴェルが一緒じゃないことが少し悔やまれる。たとえなし崩しに外務員になったのだとしても、こんな経験をしたなら彼だって目を輝かせるに違いないから。ちょうど今頃、別の世界に降り立っているのだろうか。


 ある程度高度を上げたところで浮石車は上昇を止め、代わりに小走り程度の速度で前進を始める。


「あんたらの世界には浮遊石がないから、空飛ぶのに魔術使うしか方法がないって聞くな」


 ぶっきらぼうな口調ながら、男は自ら口火を切った。


「魔術はからっきしだから分からんが……。よしんば浮いたとしても数秒程度なんだろ?」

「ディ……後ろに座ってる茶髪の彼、めちゃくちゃ飛べますよ、数分くらい。っても、障害物が多いとダメらしいんで、こんな建物だらけのところは専門外だと思いますけど」

「へえ!だとしても大したモンじゃないか?天才とやらか?」

「そう、頭良いんです彼」


 男の言葉は賞賛半分、嫌味半分といったていなのに対して、彼女の言葉は純粋にディクシアへの賛辞だ。

 ね?と、後ろを振り向いて笑いかけたシリスに、ディクシアは虚を突かれたように目を見開く。急に誉め言葉が飛んでくるとは思っていなかったのだろう。乗り込む直前の不機嫌な顔のままではあるものの、そっぽを向いてあらわになったその耳はほんのりと赤みを帯びていた。


 同じく、嫌味を含ませていた男も目を丸くした。彼の反応からすれば、怒声の一つでも返ってくると思ったのかもしれない。


「嬢ちゃん、良い性格してるな」

「それも誉め言葉です?」

「そう受け取ってもらってかまわねえよ」


 男は苦笑いで返すと、ちらりと目線を前方上方へ向ける。


「───そうだな、さっき聞かれた話の答えも返してやんねぇと」



 見上げる上空にはまだ街並みが連なり高く伸びていた。


「あんたらが今から参加する儀式がどういったものか知ってるか?」

「大きな鏡を使うもの……なんですよね?」

「そうだ。あんたらに請け負ってもらうのは、鏡を取り扱うときの警備ではあるが、まあ……そりゃ名目だ」

「名目?」

「この儀式で使う鏡は毎年新しいものを作る。そんで人目に触れさせず、布をかけて保管する。でけえ鏡を使う手前、あんたらの目付が必要だって話さ」

「あ、名目ってそういうこと」


 途中で首を捻ったシリスだったが、最後の言葉を聞いてようやく合点がいったように拳で手のひらを叩いた。


 つまり、のだ。


 彼らは性質上、ヒトの負の感情を映した"鏡"を媒介に白の世界へ顕現する。リンデンベルグの件に関してその限りではなかったが、それに関してをいえば例外中の例外の話だ。


 いくら鏡を使用するからといって、そもそも何も映したことがなければ鏡像の経路になり得るものでない。つまり、本来守護者の存在は必要ない。男の言う通り大きい鏡を使用することへの保険といった方が正しいか。

 ディクシアが言っていた新人にこそ適した任務というのも、そういう理由からなのだろう。納得した顔のシリスを横目で確認して、男は話を続けた。


「大事なのはそっからだ。儀式で使った鏡はどうすると思う?」


 その答えを持っていなかったシリスは、たちまち言葉に詰まって振り返った。後部座席では無表情で腕組みするクロスタと、そっぽを向くのをやめたディクシアが行儀良く座っている。

 まずクロスタに助けを求める目線を投げるも、彼は無言で首を横に振ってディクシアを見やる。

 つられてシリスも目を向ければ、2人分の視線の圧に押されたディクシアが仕方ないとでもいうように肩を竦めた。


「この町の真上くらいに母なる島エンブリオスという場所がある。儀式の半分は青の広場で祈りを捧げる儀式だけど、残り半分はそこへ鏡を奉納するのが大きな目的になる」


 指し示す先を追って目線を上げれば、青空。

 雲はないが、代わりにいくつかの島々が浮かんでいるのが見える。


母なる島エンブリオスは通年乱気流に覆われていて、1年のうち1日……儀式の日だけ周囲の気候が安定するんだ。ただ、そこに行くのは選出された有翼種と祭司の2人だけ。だから、僕たちは儀式の半分には関与できないんだよ」


 確かに、資料の中にそういった類の情報が書いてあった……ような気はする。しかし、今回は任地を伝えられてから今日までの期間の大半を、シリスはヴェルを宥めすかすのに費やした。

 都合良く様子を見に来たクロスタが連れ出してくれたおかげで、昨日になってようやく資料を確認したばかりだ。

 慌てた末に、頭に入れてあるのは重要そうな項目だけ。細々した部分は目に入れたはずだが、記憶に残るのは朧げなものばかりだった。


 そもそも趣味として日々書物やら資料を読み漁り、その知識のほとんどを我が物として蓄えているディクシアとは、土台持っている情報量に差があるのは仕方ない。


「君たち、本当にしっかり資料の確認はしたかい?」

「一応、重要そうなところだけはちゃんと確認したよ。ここが浮遊する島から出来てる世界だとか、儀式が年に一度で鏡を使うとか、住んでるヒトの種族とか」

「本当に上澄みだけじゃないか……」


 ディクシアが頭を抱えて眉根を寄せた。モゴモゴと何か口の中で言っているようだが、シリスは敢えて耳を傾けるのはやめる。どうせまた痛過ぎる言葉なのは、彼女も分かりきっているのだから。


「隅の隅まで見て、ひとつひとつの関連までを把握してこそ情報は活かせるんだ。興味自体はあるんだろう?なんでもっと意欲的にならないのかな」

「あはは、仰るとおりで……」


 ヴェルの事を抜きにしても、だ。


 正直事前に己で調べるより、わからないことはその場で彼に聞いた方が早いから……というのも理由のひとつだった。が、流石のシリスもそれを口に出しては言おうとは思わなかった。素知らぬ顔で、単に情報収集がおろそかだったと誤魔化す。


「おっと」


 男が操縦桿を右に切った。前から向かってきた有翼種の女性にあわやぶつかる───事もなく、余裕を持った距離で車体は彼女の横を通り過ぎる。


「ちっ」

「?」


 すれ違う瞬間、忌々しげな舌打ちが聞こえた気がしてシリスは思わず彼女を振り返った。背中から白い翼を生やした姿は、振り返ることもなく町の奥へと消えていく。天使にも似ているが、尾が靡く彼女はおそらく"空翼人アラサリ"に違いない。清麗な見た目と舌打ちの印象が噛み合わず、思わず自分の後ろに座るクロスタへ目線を投げかけた。

 何だ、とでもいうような表情の彼に、何も聞こえなかったのだと察する。シリスの気のせいだったのかもしれない。


母なる島エンブリオスにはな───」


 男が話を再開したところで、シリスの意識はそちらに引き戻された。


「あそこには、全ての浮遊石の源になるデカい浮遊石がある。奉納の儀式ではその横に鏡を置いて石の力を反射させるのさ」

「それはどんな仕組みなんですか?」


 後ろからディクシアがやや身を乗り出した。その目にさっきまでとは違う明らかな興味が見える。彼もこれについては知らなかったらしい。

 男は「さぁ?」と肩を竦めた。


「仕組みなんて考えたこともないな。ただ、母なる島エンブリオスの浮遊石の力は鏡に反射する。石は反射した力を取り込んで更に大きな力を放つ。すると1年経つ頃に貯め込まれた力は、えらいデカくなるって寸法さ」


 片手は操縦桿を握ったままの男が、片手だけで身振り手振りを加える。小さく指をぐるぐる回していただけが徐々に腕を大きく回す動作になり、男の言う浮遊石の力を窺わせる。

 男の言葉を受けたディクシアが席に座り直した。少し落胆しているようにも見えた。


「まず祭司が溜まった力を解放する。するとデカくなった力は世界中の浮遊石に充ちるのさ。次に古い鏡を砕く、そんで最後に新しい鏡を置いて全ての儀式は終了だ……本来はな」


 眼前に、大きな柱が現れた。

 もはや柱と言って良いかもわからないほどに太いそれは、一際高く空に伸び上がっている。側面に空いている長方形はおそらく窓だ。中で動く人影が、あちらこちらを行ったり来たりしている。それがあって、ようやくこれが円柱の"建物"であることが理解できた。


 引っ掛かりのある男の言葉にシリスは男へ問う。視線は男よりもの方へと向けられてはいたが。


「本来は?」

「ヴィクター……去年選ばれた鳥野郎の所為で、浮遊石の力が充されずこのザマさ」


 その言葉に、逸れていたシリスの視線は男へと戻る。


「そういえば、ギリギリで回してるって言ってましたよね」

「ヒトが扱える浮遊石は小せえもんだ。力を充填する事はできるが、エーテルを自力で浮遊力に変換する力はねえ。使うたびに溜まってる力は減っていくのさ。儀式さえ済めば、余りあるだけの力が溜まるんだがな」

「……もしかして、しくじったって……」

「ヴィクターって奴の所為で、去年は儀式が上手く終わらなかったんだよ。この1年、なんとか節制してやってきたが、そろそろ限界だ。今年も上手く終わんなかったら、俺たちみたいな浮石車エアモーバー乗りはみんな廃業さ。こんな高低差ある町で暮らしていくのも一苦労だろうよ」


 男が吐き出した重い溜息には、深い深い苦悩が込められているようだった。

 男が最初に見せた攻撃的な態度も、つまりは稼業を失うかもしれないという余裕のなさからのもののようだ。


「ヴィクターってヒト、実際どういう失敗をしたんですか?2人選ばれるってことは、もう1人……」

「死んだよ」


 淡々とした答え。

 あまりにあっさりした返事は、シリスの言葉の続きを喉奥に押し留めるほどに淡白だ。

 男の表情は変わらない。ヒトの死を口にしたというのに、前方を見たままのその顔はただただ"無"だった。


「死んだのは祭司の鳥だ。ヴィクターの奴が、奉納するはずだった方の鏡を叩き割って逃げたってことを伝えてよ───責任を取るっつって数日後に、な」


 それは命を絶たねばならないほどの事だったのだろうか?

 儀式がどれほどの重責か、思いを巡らせることしかできない。だが、男が話したように"生活の糧を奪う要因"を作ってしまったことは、抱えるには重い事実なのだろう。


「ヴィクターってヒトは、どうしてそんなことを?」

「おおかた予想は付くが、正直なところはどうでもいい。───鳥野郎どもの言い分なんて、知ったこっちゃねえってのが正しいか」


 最初に言葉を交わした時よりも一層に攻撃的な声音。


 浮石車エアモーバーの周囲を沈黙が満たし、しかし、その時間はそうも長く続くことはなかった。


「着くぞ」


 男がそう言えば浮石車エアモーバーの駆動音は徐々に低く小さくなり、やがて柱から飛び出るように備え付けられた足場にゆっくりと着地する。

 辿りついた足場からはすぐ内部へと繋がっており、目的の青の広場はこの最上部にあった。


「ありがとうございます、ここまで運んでくれて」

「言ったろ。何はともあれ、あんたらにはまず最初の儀式を問題なく終えてもらわにゃならんからな」


 男は停止した車体から降りず、そのまま懐から一本タバコを取り出して火をつけた。


「折角乗せてもらいましたけど……結局、あたしたちが何か手伝えることってあるんですかね?」

「叶うことなら、鳥野郎どもが今年の儀式を成功させるように、目を見張らせて欲しいもんだな。あいつら、俺たち無翼がいないと生活だって苦労するくせに、プライドだけは高ぇんだ。でも、守護者の意見ってなら耳を傾けることもあるかもしんねぇ」


 出来ることは最初から殆ど変わらない。結局、何だかんだと男の好意で連れてきてもらったようなものだ。

 男は紫煙をくゆらせた。長く吐き出した息はもうもうと白く広がり、男の口元を霞ませる。その口端は確かに吊り上がり、笑みの形を彼女らに向けていた。


「頼んだぜ、新米守護者の姉ちゃん。任せられそうだ」


 含みのある言葉。シリスがその真意を問う前に、男は背を向けて後ろ手を振った。


「こっから帰る燃料も勿体無えし、俺ァここで待ってるさ。またのご利用をお待ちしておりますよ、お客様」

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