18.最奥の部屋にあるモノ

「あたしもグレゴリーさんも追いかけられなかったのに、よく頑張ったよね。ひ、と、り、で」

「……自分が油断した事をまず反省しろよな」

「じゃあ君が勢いで突っ込んでったことも反省してよね」


頭を撫でていた手を止め、シリスは床に転がるヴェルの剣を拾った。よく見るとその右手は白い布で覆われていて、肩から吊るしてあるようだった。動かないようにか、上から更に白い布を巻いて身体に固定されている。

痛々しい様子だが当の本人はけろり、としてヴェルに剣を差し出す。


「足、痛い?」

「痛くて泣きそう」

「そうやって言えるうちは大丈夫ってグレゴリーさんが言ってた」


差し出された己の武器を受け取り、ヴェルはもう一度しっかりとつかを握ってみせた。

もう掌から嫌な汗は乾ききり、しっかりと掴むこともできる。足も少し動かしてみたが確かに痛みはあるものの、傷は浅く動くことに支障はない。むしろ姉が元気に動いている姿と先ほどの状況から助かった興奮とで、痛みなんて殆ど感じなくなっていた。


「すまんヴェル!遅くなって……無茶をさせたな」


軽口でじゃれ合っていた双子の元へ、巨躯を揺らしながらグレゴリーが走ってくる。シリスがここに来た時点で察することができたが、彼もまた拘束を解いて動くことができたのだろう。

先ほどの閃光と野太い声で大体予測はついていたが、その姿を見るとまた違った安心感がある。


───が、



「グレゴリーさん……なんで半裸なんすか……」

「はんっ……違う、これにはワケが……」


近付いてきたグレゴリーは上半身に何も纏っていなかった。惜しげもなく晒される鍛え上げられた肉体が、明るくない照明の元でも輝いて見える。同性のヴェルでも惚れ惚れするような仕上がりだが、今この場で脱いでいる意味は全くもってわからなかった。


ヴェルのジトっとした目線に、慌ててグレゴリーが手を振って弁解しようとする。


「あたしの腕固定する布が無くて、引っぺがしたの」


シリスがなんでもないかのようにグレゴリーの弁解を引き継いだ。示すように左手で固定された右手を軽く叩く。

確かに、よく見ると腕を固定しているのは包帯ではないようだ。理解したところでどこか複雑な気持ちは消化する事はできず、ヴェルは呆れた目でシリスを見やった。シリスの言葉選びも悪かったのかもしれない。


再会を一通り味わい、ヴェルは鏡像に向き直る。乱れていた息は少しずつ整い、疲労は残るが落ち着きを取り戻した身体はまだまだ動けそうだ。

先程までとは違い、姉と師がいることで不安や焦燥は無いに等しかった。

閃光に大勢の同胞を散らされた鏡像達は暫くその場で静止していたが、危険を感じる本能よりも目の前の餌が増えたことによる食欲の方が勝ったらしい。徐々に動きを再開し、3人に向かって距離を詰めてくる。


「多いね」

「減ってる気がしなかったんだよな。多分、奥の部屋になんかあると思う。……俺、頑張ったと思わね?」

「うんうん。ご褒美にグレゴリーさんにまた奢ってもらお」

「……仕方あるまい。今回は返す言葉も見つからないからな」


前方にヴェルとシリス、後方にグレゴリー。

各々が役割を確認しながら方針を固めていく。


「俺が大半を散らすから、お前たちは詠唱の間を稼いでくれるな?」

「じゃあその後あたしは出来る限り奥への道を開くから、ヴェルは細かい撃ち漏らしとかの相手をお願い」

「はいよ。初手はどうする?」

「それは勿論……」


双子がグレゴリーを振り返った。似た顔が同じ表情でにやにやと笑っている。その笑顔に何か不穏なものを感じ、グレゴリーは眉を顰めた。


「「グレゴリーさんはさ、興味ない?



水蒸気爆発ってやつ」」










激しい爆音が響き渡り、一瞬にして膨張し弾け飛んだ空気はとてつもない圧をもって鏡像の群れを吹き飛ばした。


「お、おおおお!?」


グレゴリーが展開したシールドは3人を覆い、爆風からその身を守る。しかし思ったよりも爆発のエネルギーが大きかったのか、タクトを掲げるグレゴリーの腕には筋と血管がありありと浮かんでいた。

ギシギシと、不可視のシールドが軋む音が聞こえるが3人の周りにはそよ風すら起こらない。


「い……きなり放つんじゃない馬鹿者どもが!?ギリギリだったぞ、ギリギリ!俺が耐えられんだら仲良く吹き飛んでいたぞ!?」

「いやぁ、詠唱無しでアレを防げるって流石っす」

「ありがとうグレゴリーさん。ってことで、あとは任せました」


やがて吹き荒ぶ爆風が緩やかに落ち着き、周囲は漂う水蒸気と塵で薄ら霧がかったようになった。

白く濁る視界の中でも黒い体躯はよく目立つ。グレゴリーが苦言をていするが、それを状況の鎮静と受け取りヴェルとシリスはグレゴリーを置いて飛び出した。


「お前ら……!くそっ、後でしっかり話し合いだからな!」


あっという間に遠ざかる教え子の背中に届くかもわからない小言を投げて、グレゴリーはタクトを水平に構えた。




魔術とは、言うなればエーテルの操作プログラムだ。

ヴェルやシリスがやってみせたように……例えば火球や水球を作るなど簡単な魔術を使う場合は、エーテルに魔力を流し込んで火や水などの性質を付与、好きな大きさに固めてしまうだけでいい。投げる、飛ばすことに関しては純粋な力だけで行うことだってできる。無論、双子はそうやって各々が球を投げていた。


だがそこに細かい指示を加えるときには別だ。


性質付与だけでなく、威力、操作、それら全てを計算し、魔力とエーテルを練り上げ、術として完成させる。例外としてヴェルが放った水の杭のようなものもあるが、あれは魔力の親和性と経験が成せる技だ。円錐を作り出すのも、回転させるための操作も、飛ばす方向も、威力も、ヴェルが今まで何度も行ってきたからこそ感覚で放つことができた。だが、もし複数個の杭を作り、大きさを変え、様々な方向に飛ばすとなれば全く話は違ってくる。


詠唱は、そのプログラム構築のイメージ補助───マニュアルとでも言えば良いか。なくても構わないが、あればそれだけ緻密な計算の元にプログラムを構築することができる。


その計算を瞬時に行い、ときに改変し、途轍とてつもない速さで練り上げ、術として完成させる事が出来る者が魔術師と名乗ることを許される。

そしてグレゴリーは、まごう事なく魔術師と言える実力の持ち主だった。


組み上がった魔術がタクトの先で踊る。

明滅する紫電しでんが弾ける瞬間を今か今かと待ち構え、膨張しては収縮する。それを確認して満足そうにグレゴリーは頷いた。


雷棘の荊ヴォルタールム


タクトを堂々と振り上げる姿は、指揮者が演奏を開始する様に似ていた。

振り下ろされると同時に放たれるのを待ち構えていたエーテルの奔流ほんりゅうが植物のように枝分かれしながら這い、伸び、ホールの床を覆っていく。

シリスとヴェルの進路を避けて鏡像の元まで届いた雷のつるが、その先端を一層激しく瞬かせた。


「貫け!」


グレゴリーが命じる。それが合図だった。


雷で形取られた蔦は雷光の速さで鋭い棘を茂らせた。その輝く切先は直上にいた鏡像達を逃げる間もなく貫き、一瞬にして縫い止める。

空気さえ穿つその鋭さで、霧は散らされ視界がクリアになっていく。奥には鉄格子の部屋の入り口とそこからまた出てこようとする黒い群れ、運よく棘を受けることのなかった鏡像がまばらに存在していた。

悲鳴を上げることもなく永遠に動きを止めた鏡像の群れを、大きく跳ねたシリスが軽々飛び越える。


「はあああ!!」


片手だけで扱うにはあまりにも重く見える大剣が、たけり声と共に力の限り振り下ろされる。跳び上がったことにより、通常よりも高い位置から落ちる剣尖けんせん。重力に従って勢いを増すそれは、空を切り裂く音を立てて雷棘で倒しきれなかった鏡像を脳天から易々と断ち切った。


断末魔は上がらない。


両断された鏡像が割れ始めるのを確認もせず、鋭い呼気とともにシリスは叩きつけた大剣を横薙ぎに払った。たった今ホールへ出てきたばかりの鏡像たちが裂かれ、分かたれ、振るった軌跡上に道ができる。


「後処理、任せた」

「了解」


短い会話だけ交わし、ヴェルはシリスの剣筋の届かなかった鏡像に向かっていく。その横を雷槍らいそうが通り抜け、ヴェルが向かう先の鏡像を確実に減らしていった。


機はこちらにあった。


相変わらず鏡像の波は途切れないが、最初とは違いその数は明らかに減り黒の密度は低くなる。





「これで……どうだ!」


そして3人が反撃に転じ、霧が完全に晴れる頃。


閃く赤が鏡像の腕を切り飛ばし、続く蒼が遮るもののなくなった無防備な身体に吸い込まれた。


ぱき、ぱき


亀裂が入ったその塊を容赦なく蹴り飛ばし、ヴェルは剣を抜き取った。先に体勢を直していたシリスの横に立ち、再度上がり始めた息を整える。


破竹の勢いで群れを蹴散らしていった彼らは、鉄格子が上がりきった入り口を抜けて部屋までの進行を完了させていた。ホールの光が届かない部屋内への踏み込みは僅かに双子を躊躇わせたが、後から追いついてきたグレゴリーの魔術によりその問題は解決する。


部屋の天井に幾つも生み出された光球が張り付き、部屋の中を照らしていた。照明のようなものはあるので、どこかで明かりをつけることはできるのだろう。ホールよりは狭いが、それでも十分な広さのある部屋には魔導人形達が等間隔に並んでその動きを止めていた。どうやら、ここは収容部屋のようだ。

整然と並んではいるがところどころ抜けがある。その場所に本来立つはずだった人形は、先ほどヴェルが鏡像と共に切り捨ててしまったのだろう。

そして、人形達が収容されたその部屋の最奥に明らかに目を引く物があった。


「……ガラス?石?」


シリスの疑問に、ヴェルも首を捻る。

後から追いついてきたグレゴリーもその物体に気が付き、部屋内の鏡像を雷の蔓で砕きながら唸った。


「わからん……が、あれが元凶で間違いないだろう。見ろ」


言われて2人も宙を舞う小さな鏡像を切り落としながら、目を凝らしてその物体を注視する。

それは黒い板のようなものだった。縦横ともにグレゴリーが縦に2人並ぶほどあるだろう大きさだが、完全な正方形というにはところどころ角が削り取られている。そして、注目すべきはその表面だった。


「……鏡面っすね」


磨き上げられ黒光りする板。その表面は、まるで何かを映すため磨かれたかのように滑らかで、そこには部屋の内部が鮮明に反射していた。その色に、ヴェルとシリスは奇妙な既視感を覚えたが、それが何かはすぐには分からなかった。


次の瞬間。その鏡面に波紋が広がる。


波打つ中心からぬらり、と黒いモヤが滲み出てその姿を現した。黒く磨き上げられた板のそれよりも更に暗くくらい色が身をよじり、ぼとり、と床に落ちた。


「あ"ぇ、え"エェ、ェ"」


産声のように上がる不協和音。

意味をなさない母音の羅列を吐き散らしながらデタラメに付いた幾つもの目が瞼を持ち上げる。


「あぇっ」


その瞳が開き切る前に、振り下ろされた赤と蒼が産まれたばかりの身体を貫いた。


「とりあえず調べるのは後にして割るぞ」


グレゴリーのタクトが板に向けられる。

タクトの先で、また鏡面が波紋を広げ始めた。今度は3つ同時に。

ヴェルとシリスは無言で頷き、グレゴリーの術を邪魔しないよう武器をしまって一歩後ろに下がった。


歌うように紡がれる言の葉にエーテルが応える。


雷槍サンダーブレード!」


声が部屋に響き渡ると同時にその野太さにそぐわない、か細い糸のような光が黒の板を斜めに貫く。何かを砕くにはあまりに頼りない光だったが、そう思えたのは一瞬の間だけだった。


突き刺さる細い光をしるべにして、青白い光が爆発的に膨れ上がって渦を巻く。強烈な閃光が壁と天井まで埋め尽くし視界一面が真っ白に染まった刹那、轟音と衝撃が部屋全体を揺らした。



察しよく耳を塞ぎ目を瞑る直前に2人が目にしたのは、青白い光の爆発とともに粉々に砕けて舞い上がる破片、そして鏡面から生まれることもできずに光に焼かれて塵と化していく鏡像たちだった。

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