17.ひとりぼっちの奮戦

一閃。


愚直に真正面から飛びかかってきた鏡像を一体、切り伏せる。

大きなものは先日ヘリオを襲ったほどのものから、小さなものは人間の赤子程度の大きさのものまで。不恰好な腕を生やし、デタラメにヒトの目と口を貼り付けたモヤは、湧き出すように鉄格子の奥から姿を見せ続けている。


「くっそ、鬱陶しいんだよ!!」


浮遊して襲いかかる小さい鏡像を避けながら、ヴェルは何度目かわからない悪態をついた。


魔導人形たちは障害物が居ると行進を止めるようになっているのか、鉄格子の部屋に寄って行ってはヴェルの側で動きを止める。

彼らの影で鏡像が隠れることもあり、正直にいえば邪魔でしかない。だが壊すことによって生じた残骸が足場を失わせる事を考えると、全てを一緒に切って回るのは逆に非効率的だった。

すでに数体は犠牲になってはいるが、倒すと砕けて消える鏡像と違って魔導人形達は転がったままだ。


障害物ヴェルと距離が開いた魔導人形は、思い出したかのように行進を再開して部屋の奥へと入っていく。胸像たちはそんな彼らに目もくれず、ただひたすらヴェルを執拗しつように追いかけていた。手当たり次第に襲う知能しかないといえ、生き物とそれ以外との見分け程度はつくらしい。


ヴェルにとって、現れている鏡像の質自体は問題ではない。何故なら、昨日倒した程度であればヴェルでも苦戦せずに倒すことができるからだ。問題は……


「これ、減ってんのか……?」


問題はその数だ。


ヴェルはこめかみを伝った汗を乱暴に拭い剣の柄を握り直した。

今はまだいい。まとまって襲ってきてもまだ対処できる自信はある。だが、もし鏡像が目の前のヴェルとは"別の餌"を察知したら?終わりが見えないこの波に、自分の体力の方が追いつけなくなった場合は?

町の様子と動けずにいたグレゴリー、傷を負った姉の姿が脳裏をよぎり、ヴェルは言いようのない空寒さを感じた。


「なんもないはずって言われてこれとか、俺らが何したってんだよ!」


次々に口をついて出る文句は心からのものだったが、同時に自分を奮い立たせるためのものでもあった。

赤子ほど小さい鏡像が一塊になってヴェルの頭に飛びかかる。ただ剣を振るうだけでは、撃ち漏らした個体に頭を齧り取られて終わりである。


一瞬の判断。

ヴェルは大きく左腕を振り上げると、一拍の間も置かずその腕を振り下ろした。


「ァア"ッ」

「ゴボッ」


頭上に現れた水が、腕の動きと共にヴェルの目の前で地面へ強かに打ち付けられた。高さはなくとも滝のように激しく落ちる水圧に、鏡像たちは飲み込まれ床へと縫い付けられる。水は一瞬で全てが床へと叩きつけられたが、鏡像が起き上がる前に蒼い刃がその身体を流れ作業のように貫いていった。


「そうやって目の前に飛び掛かってくれんのは助かるよ。楽だからな」

「ェ"……」


巻き込まれた最後の一体の口に剣を突き立てる。余韻を感じる暇はない、直ぐに抜き取って刀身にいくらか付着している水滴と赤黒い液体を振り払った。


ぱりん。


足元から小さく音が鳴る。見なくともわかる様子にわざわざ目を向けることはせず、ヴェルは身体の正面で剣を構えてじりじり距離を詰める鏡像たちを見回した。


ニーファはこれだけの数を隠していたのだろうか───


ヴェルは思考する。

また一体、目の前に跳ね飛んできた鏡像を左下から斜めに向かって切り上げた。モヤのようなその身体が2つに断たれるのを確認すれば、もう後は目をやる時間も惜しい。振り上げた勢いのまま、死角からぬらりと手を伸ばす大きめの鏡像に向かって剣を薙ぐ。踏み込みもなく右腕だけで描かれた蒼い軌跡は一瞬不安定にブレた。


「っだあああ!!」


だが、ヴェルは持ちうる限りの膂力と意地で最後まで振り切った。

ヴェルに伸ばされていた腕は天井へ向けて大きく飛び、両断とまではいかずと黒い体躯は中程まで裂けて、勢いよく赤黒い液体をぶち撒ける。飛沫はヴェルの頬を汚し、程なくしてパキパキと音を立てて剥がれ落ちた。


───魔導人形の出入りによって開く鉄格子、その奥に存在していた鏡像の群れ。閉塞した空間では共喰いをしていただろうに、それでも数が多い。


鏡像は人形には全く目もくれていなかった。今のようにヴェルがいる事を察知して出てきてはいるが、そうでなければおとなしくしていたのだろうか?人形を追いかける様子はないことから、出入り口の開閉に合わせて偶然出てきた個体が町に出たのか?

それならパレードの時間に現れて混乱をきたすだろう。なら、どうやって。


2体の鏡像が笑い声を上げながら壁を登り、上からヴェルに向かって跳んできた。

虫の腕のようにも見えていたが、本当に虫のように縦横無尽に動けるらしい。

1体目を横薙ぎに、その勢いのまま身体を捻って2体目も切り伏せる。次に跳んでくるものがいないかと柄を握り直しながら上へと目線をやり、そこでヴェルは1つの結論に至った。


「ダクトか」


天井に定間隔で設られたダクトから、ファンの音が落ちてくる。

1体の小さな鏡像が、偶然か浮遊しながらそこへと向かい四角い穴に吸い込まれる。


「ァア"ッ」


そしてファンの回転に巻き込まれ、ズタズタになった身体を撒き散らしながら落下した。落ちてくる途中にその破片は光沢を放つものへと変化し、空気抵抗を受けながらサラサラと散らばっていく。

偶然にも人形と共に出てきた鏡像はダクトを通ろうとし、運良く抜けられた個体が町へと送り出される。それであれば、これだけ鏡像がいても町で出会う頻度がそう多くなかったのも頷ける話だった。


「全部が全部、巻き込まれて死んでくれるんだったら楽なんだけど……さっ!」


語尾と共に左手を振り上げる。

球体ではない、円錐状に生み出された水が先端を中心に回転し、水飛沫を上げながら一列で捉えた3体の鏡像の中心を穿った。

ヴェルは希望を述べるが、きっとそう上手くはいかないだろう。実際にここにいる鏡像が一斉にダクトに向かったとすれば何体地上に放たれるのか。そもそも、ホールの扉も壊してしまったから開けっ放しだ。これは不可抗力ではあったが、今となってはあまり褒められたものではない。


「はぁ……はぁ……これ、奥に何があんだよ……?」


襲撃に次ぐ襲撃。休む間もなく剣を振り続けたせいか、ヴェルの息は少しずつ乱れ始めている。

鏡像は未だに奥の部屋から姿を見せ続けていた。そんなに広い空間があるのだろうか?それとも、鏡像が湧き出したる何かがあるのか?


確認をするべきなのだろうが、現状では不可能に近い。鏡像の群れの中に突っ込むこと自体はまだ可能だ。けれど、上がりはじめた息で途切れるかもわからない襲撃を、何処まで耐えられるのか懸念される。それに、今はヴェルが部屋の入り口近くにいるからこちらに向かってくるが、ヴェルから離れた鏡像達は姉やグレゴリーのいる部屋に向かうだろう。


「はっ……ジリ貧ってやつ……?」


口の端に笑みを作るが、ヴェルの表情にかげりが差した。

思うようにヴェルに喰らいつけない苛立ちか、食欲をただ刺激されるだけの鏡像の一部は共喰いを始めたものもいる。ヒトを喰らうよりも成長はしないため、ヴェルにとっては数を減らしてくれて願ったり叶ったりなのだが、それでも減る数は本当に僅かだ。


幾度も幾度も、鏡像達は飽きもせず本能のままにヴェルへと口を開けて向かってくる。

数えることすら無意味な数を

切り伏せ、

穿ち、

断ち、


何体目かの鏡像が音を立てて割れた。


「はぁっ、はぁっ……」


あつい。


拭うことすら疎かになって、流れる汗が顎を伝って鉄の床で跳ねた。悪態に気力を割くことすら惜しくて、ヴェルは無言のまま眼前を睨み付ける。汗で湿る顔に髪が張り付いて鬱陶しい。金糸の隙間から覗くみどりの瞳は未だに強い光を宿しているが、その奥には隠しきれない焦燥が宿る。


焦る気持ちを更に煽るように、視界の端で数体の鏡像が今までと違う動きを見せた。


「……おい、そっちは……!」


何度向かっても喰らいつけないヴェルに飽きたのか、それともを嗅ぎつけたのか。

鏡像の思考なんてヴェルに理解はできないが、間違いなくヴェル以外を目指してホールの入り口に向かう姿勢を見せたことだけは間違いなかった。

ここに来て恐れていた事態が起ころうとする前兆に、疲労にも侵されたヴェルの焦りがピークに達する。それが、いけなかったのだろう。


「い……っ」


右足に走る痛みに、ヴェルは思わず苦痛の声を漏らす。目線を下に向けると、いつの間にか小さな鏡像が太腿のあたりに齧り付いていた。

まだ小さく力もない鏡像だからか、すぐに肉を抉り取って……とはいかないようだ。それでも喰らい付いたヒトの味に歓喜しているのは分かる。自身の足へ落としたヴェルの視線が自分を見ていることに気が付くと



にぃ



と、全ての目が笑みの形に細められた。


「〜〜〜ッッ!」


ぞわぞわと背筋に悪寒が走り、首元にまで鳥肌が立つ。痛みよりも気持ち悪さが全身を駆け巡り、思わず引き攣った喉から声にならない悲鳴が漏れた。


ヤバい。


悪寒で強張った手がこの場で何よりも大切な武器を取り落とす。それを見て周囲の鏡像が一斉に距離を縮めて来たのが見えた。

殆どパニックを起こしそうな頭で、ヴェルは最後まで思考を巡らす。


やってしまった。考えろ、考えろ、どうすればこの状況を好転させられる?


硬直した身体に、四方から節くれだった腕が伸ばされた。


「───裁きの雷ディヴァインボルトォ!!」


ホール全体を揺らすような、低く野太い声が響き渡った。

白い閃光が一瞬で視界全体を塗りつぶし、あまりの眩しさに悪手ながらも思わずヴェルは瞼を閉じる。直後、間髪を容れず轟音が鳴り響き空気を激しく振動させた。爆発とはまた違う轟き。

雷鳴。

そんな音が響く最中。本来ならば肉声なんて聞こえるはずがないのに、その声だけは切り取られたかのように明瞭に聞こえた。


「誰の弟齧ってんだああぁァ!!」


足の横を何かが凄い勢いで通り、わずかな風圧を感じる。同時に、齧り付く歯の感触から足が解放された。

痛みだけはジクジクと残るが、それはさほど気にはならない。それよりも、今はこれ以上ないほどの安心感の方が強くて力が抜けそうだった。

ぐ、と堪えて閃光が消え去るのを待つ。程なくして瞼を通して伝わる明度は落ち着きを取り戻し、ヴェルはすぐに目を開けた。


瞼まで貫いた強い光に視界は一瞬眩んでいたが、世界はすぐに色を取り戻しその像を結んで瞳に飛び込んでくる。

目の前の黒い群れの大半が自分を中心に消え去り、まだ残る群れも戸惑うように遠巻きから距離を詰められないでいた。


その黒い光景を前に、見慣れた金糸が舞っている。


「ごめん、遅くなった!」


くるり、と振り返ると金色の合間から申し訳なさそうな翠色の瞳が姿を覗かせる。見慣れた色。自分と同じ色。

先程まで焦りでいっぱいだった気持ちがいでいくのをありありと感じ、ヴェルは眉尻を下げながら小さく笑う。


「本気で遅ぇよ」


悪態をつかれ、それでも隠しきれない弟の安堵を感じ取ったシリスは似た顔で笑い返す。彼女は精一杯腕を伸ばしてヴェルの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

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