狂愛。 ①

 幼い頃から私は土浦家の人間として英才教育が施されることが決まっていた。


 両親が用意してくれたレールに乗り、従い続けることで私は将来政治家になることが決まっていた。


 他の人間とは違う。


 私は選ばれるべき人間なんだ。


 そう思って生きてきた。


 だから、体の弱い妹のことなんてどうでもよかった。


 姉妹の仲は冷め切っていた。


 だけど、妹はいつも私に笑いかける。それが気に喰わなくて彼女の白い頬を殴ったことがある。

 赤く腫れあがる妹の頬。このまま泣いて許しを請うてくるのだろう。そう、思った。


「……っ!」


「お姉ちゃん」


「な、なに……?」


 泣いて許しを請うどころか殴り返してきた拳は案外重く。奥歯が取れてしまった。


「ばっかじゃないの。あの二人に従っていい子ちゃんぶって、そんで、どこぞのクソ御曹司と結婚すんでしょ」


「そ、それの何が悪いっていうのよ!」


「つまんなー……あのさー……私、金城先輩狙ってんだよね~」


「は? 急に何を……」


「金城家って代々政治家の家系だけど総理大臣に近い位置にいるの。てことはさ、金城先輩とアタシが結婚すれば、お姉ちゃんはお父さんとお母さんが敷いているレールよりももっとすごいレールに乗って、女性初の総理大臣も夢じゃない! って、もっとさー……うまく考えなよ。アタシを邪魔者扱いするよりも、どうせなら利用しなよ」


「え? え……?」


 これがあのか弱い妹なのか。と疑いたくなるぐらい、そこにいるパジャマ姿の美少女は生気に満ちていた。


「アタシは病気だけど、そんなん手術すれば治る! だから、政略結婚的なことはアタシが全部引き受けるから、お姉ちゃんはもっと自由に生きなよ!」


 その言葉通り、妹は心臓の手術に成功し、私と同じ高校に入学し、当時から注目されていた金城大悟に近づいた。


 私も交えて三人で話すようになり、その付き合いは大学生まで続いた。


 やがて時は流れ、妹と金城くんは婚約し、私は政治家としての道を歩む―—はずだった。


「美夜……ッ!」


「ごめん……お姉ちゃん……ごめんね……」


「美夜……何で、何でアンタばっかり……こんな目に……」


 彼女の心臓は完治していなかったらしく、再び手術することとなった。


 だから、私は大切な妹を護るためだけに金城くんと結婚した。


 世間から見ると妹の恋人を奪った最低の姉に見えるだろう。実際、結婚を発表した際には世間から酷いバッシングを受けたものだ。

 それでも、妹に生きていてほしいから。ただ、その一心で、彼と結婚し、子供を作り、政治家として活躍する彼を懸命に支え続けた。


 そうして、再手術により体調が良くなった妹は旧姓の土浦に戻り、私たちの元から去って行った。




「美夜……よかった、生きていたんだな……」


「大悟さん……こんなところ誰かに見られたら……」


「そんなことはどうでもいい。俺は君を護るため、お姉さんと結婚してしまった。本当は何があっても俺が君を護りたかった。だけど、あの時は政治家として駆け出しだったから——本当にすまない」


「いいのよ。ねえ、大悟さん」


「何だい」


「今、幸せ?」


「……ああ。幸せだ」


 出て行った美夜は隣町のアパートで一人暮らしをしていた。そんな二人を車の中から見ていた私の心中は浮気された人間が抱く嫌悪感や嫉妬は無かった。本来であれば彼女こそが彼の傍にいるべきだったのだから。


 しかし、その一夜の過ちで二人の間に子供ができてしまった。


 そのことは当然、マスコミや関係各所に知られないよう極秘に動き、難産ではあったものの無事男の子が生まれてきた。


 いつか、色んなことが落ち着いて家族全員で暮らせるようになるといいなと思い始めていた。


 家族全員で? 私は正妻であの子は愛人なのに? いや、それは世間が勝手に決めたことで私たちにとって、そんなこと関係ない! だけど、これを知られてしまったら——……


「ダメ……美夜が晒しものにされるなんて……そんなの絶対に許さない……」


 どうにかしないと。ただ、強く念じた。私たちの幸せを邪魔する者たちを消さなくては、と。


 歪なのかもしれない。それでも。愛する妹の近くにい続けるために私は——


「怪異、アプリ……ご案内? 何よ、これ……」


 深夜まで書類作業に追われていた時、ふと携帯端末を起動させると謎のURLが送られてきていた。

 その時の私はどうかしていたのだろう。こんなもの無視すればいいだけなのに、気づけばインストールが完了していた。


「使い方は……って、何これ? 開かないんだけど……? まあ、いいや。疲れたし、寝よ」


 隣にある仮眠室で眠りにつく。明日は久しぶりに妹と話ができる。ただ、それだけの些細な日々に胸を躍らせていた。




「そっか……彰大くんはもう高校生か、時間が流れるのって早いわね」


「そうね。姉さん。そっちも元気にやってる?」


「元気よ——なんて言いたいんだけど、昨日深夜まで作業してて結構眠いのよ」


「大丈夫? 無理しないでね」


「わかってるって。あ、ごめん。ちょっとトイレに行ってくる」


「はーい」


 今、思えば、私は何故あのアプリをインストールしてしまったのだろう。そして、自分の携帯をテーブルの上に置きっぱなしにしていたのだろう。そのせいで妹は——


 トイレから戻ってきた時、妹の様子が少し違っていた。


「姉さん。よかったら、今から私の家に来ない?」


「ん。いいよ。何なら、近くのスーパーで夕ご飯の買い物でもしてく?」


「いいね。ちょうど買いたいものもあるし」


 その時、妹がカレーの材料以外に縄を買っていたことに気づくべきだった。この何でもない時間があまりにも幸せで、ずっとこうして笑い合っていたいと願ったばかりに私は彼女に殺されかけ、抵抗した結果。


「美夜……何で……そんな……あ、あぁ……」


 まるで何かの力を得たかのように動き回っていた縄は彼女の首を絞め上げ、そのまま天井に吊るし上げた。

 首吊り自殺のような姿で苦しみもがき続けていた妹はやがて事切れたかのように動かなくなり、怖くなった私はその場から逃げ出した。


「はっ……はっ……はぁ……っ!」


 無我夢中で逃げ出してきたせいか、気づけば怪異庁が立ち入り禁止区域に指定している場所に来てしまった。

 霊感などなくても分かるぐらい恐怖じみた何かを感じた私はこの場から一刻も早く逃げ出そうとしたが足が動かなかった。


『そう恐れるな。人の子よ』


 凛とした耳に入ってくる声に視線を上に向けると、そこにいたのは白髪の長い髪と狐耳。そして特徴的な九本の尻尾。神話の本で見たことがある畏れるべき存在。


『なあ、人間。お前、大切な人をもう一度蘇らせたいと思わぬか?』


「そ、そんなの無理です……私はただの人間で……」


『そうさな。まあ、そうだろうよ。では、もし、お主がそういう気になったら、もう一度ここにおいで。その秘術を私自ら伝授して差し上げよう』


 九本の尻尾をなびかせ、彼女は去っていった。



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