不死者の嗤う聲 ③

 年齢の割に妙にやつれた女性が秋吉探偵事務所を訪れた。


 怪異にでも憑かれてしまったのだろうと思ったが、それらしきものは視えなかった。

 秋吉が趣味で買ってきた高級茶葉を使い紅茶を淹れる。


 鼻孔をくすぐる良い香りに刺激されたのか、膝上に置いていた拳に涙が落ちた。


 どうやら、かなりのワケありらしい。


 こういった対応に関しては現在おつかいを頼んでいる秋吉に任せているので、美月としては彼が帰ってくるまで待とうと思ったが、できるだけ冷たくならないよう心掛けて話しかける。


 すると——……


「ゾンビ、ですか……?」


「信じてもらえないと思うのですが……私、聞いてしまったんです……」


「行方不明になった旦那さんとの最後の通話で聞こえたんですね」


「はい……昨日の夜、今から帰るって連絡があって……会社から電車を使って帰ってくるまでの時間は二十分ぐらいだから、夕飯の支度をして待ってたんですけど時間になっても帰ってこなくて……気になって、電話したら……その、まるでゾンビのような低くてくぐもった……そういう何か、得体の知れない呻き声のような笑い声が聞こえて……ッ!」


 通話越しとはいえ、怪異の声を聞いたであろうことには間違いない。しかし、その例えがゾンビというのは——


「もしかして、奥様はその場に居合わせたりしました?」


 肩が大きく震える。どうやら当たりのようだ。


「…………浮気を疑ってました」


「浮気、ですか?」


「はい。仕事上、夫の帰りが遅いのはいつもなのですが、ここ数日は本当に遅くて……それでも、夫がそんなことするわけがないと信じてたのですが」


 携帯端末を操作し、自ら撮ったと思われる画像を見せてくる。


「後ろ姿のようですが……旦那さんと……お隣の方は……?」


 映っていたのはスーツ姿の男性と派手な髪色をした女性。互いに隣り合って歩いている所から察するに上司と部下のように見えるが——……


「浮気相手だと思っていた方です。実はこの写真を撮った後、夫に問い詰めてしまいまして、そうしたら、この方は最近面倒を見てる部下だと説明されました」


「なるほど。だとしたら浮気疑惑は消えましたね」


「ええ。本当によかった―—のですが……夫が行方不明になったのは一昨日の夜なんです」


「一昨日、ですか……旦那さんはその日仕事だったんですか?」


「はい。その日は仕事が早く終わったから定時で帰ってこれるって連絡がありまして、それで……先日疑ってしまったお詫びとして彼が好きな肉じゃがを作って待ってたんです」


「——ですが、旦那さんは時間になっても帰ってこなかった……というところでしょうか」


「はい……だから、気になって会社まで迎えに行ったら、残業で残っていらっしゃった方からもう帰りましたよ、って言われて……でも、何故か妙な胸騒ぎを覚えて、私は彼を探したんです」


「主にどの辺を探されたかは分かりますか?」


「繁華街と……あ、あの、その先にある風俗街に出た所で夫から電話がかかってきたんです」


「! もしかして、その時に聞いたんですか!?」


「……っ、はい……すごく苦しそうな声で……『今までありがとう。愛してる』って一言だけ……それで……その後は夫の悲鳴が聞こえて……それから……ッ!」


 突然、両手で耳を塞ぎ、倒れ込むように苦しみ始めた女性の背中にドス黒い瘴気が現れる。


「……い、いや……来ないで……っ! わ、わたしは…………いやぁっ! 何で、なんでよぉ……なんで、まだ、聞こえるの……? あなた……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 泣きながら彼女はそのまま気絶してしまった。




「なるほど……俺が京極さんとこに行ってる間にこういう状況になった、と」


「すまない。だが、彼女がどこで何を見たのかについては既に見当がついてる」


「ゾンビなんて日本にいるワケねーだろ」


「怪異の中でも上位に位置する力を持つ存在なら骨のひとかけらや肉片からでも生み出せる可能性はなくはない」


「この前言ってた九尾狐か?」


「九尾狐は生きてる人間を誑かすのは得意だが、死者を蘇らせるようなことはしないさ」


「どうしてそう言える」


「死んだ人間に意思はないからね。生きているからこそ人間は意思を持つ。そして、その人間の中でも信念の強い存在を誑かしてこその傾国の美女たりうるわけだよ。九尾狐は特に」


「……じゃあ、今回の依頼……になるのか? これは?」


「引き受けるよ。彼女は確実に不死者の声を聞いているし、その姿を見たんだろう……あの瘴気には覚えがあるしね」


 あの後、帰ってきた秋吉は依頼人が倒れていることに驚いたものの、冷静に怪異庁に連絡し、即座に現れた式神たちにより彼女は怪異庁が管理している寺に運ばれた。

 現在はそこに常駐している退魔師たちによって瘴気を祓ってもらっていることだろう。


「ところで秋吉。風俗街を出た先にある墓地の先にある工場跡に行ったことはあるかい」


「……え? あの、心霊スポットとかで若い奴らが肝試ししてるっていう、あの場所に? いや、さすがにあんな瘴気だらけの場所に行くなんて無茶でしょう」


「だよね。つい最近、怪異庁が立ち入り禁止区域に指定したぐらいだしね」


「そこがどうかしたんですか?」


「……いや、うん……そうだね。久々に実地調査でもしてみようかと思って」


「……はい?」


「一樹もそろそろ来るころだろうし、芦屋ちゃんには後で伝えておくとしよう」


「いや、美月さん。さすがに哀子の心労を増やすようなマネはやめてもらえません」


「大丈夫。確実な成果を上げれば、心労なんて無くなるさ」


 年下の幼なじみの心労メーターが更に上がりそうな予感はしたものの、とある事情によりこの場所から出ないようにしている彼女が外に出なければならないということは——……


「どもども~っす! 秋吉さ~ん、美月さ~ん」


 相変わらず空気を読むことなく扉を開けて入ってきた一樹の腕は先日修復された手袋を装着していたが、その両手首には緑色の数珠をしていた。


「おや、どうやら冬華が新しく作ってくれたみたいだね」


「はいっす! これなら、ゾンビをうまく焼けるはずっす!」


「そうだね。私はできるだけ本気を出したくないから、もしもの時は頼んだよ。一樹、あと秋吉も」


 よろしくね、と微笑む彼女に秋吉は幼なじみ怪異庁のトップの命日が近いような気がした。


(哀子、マジですまん……)


 

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