大学生六人行方不明事件 ⑥

「九鬼さん。貴方たち一族は、どうして人喰い鬼の封印を管理し続けたんですか?」


「……っ、そ、それは、先祖代々——」


 濁った池の水の様な暗い瞳を慌てふためきそうになるのを寸前で押しとどめているかのような若々しさを失いつつある老人に向ける。


「先祖? ああ、のことですか」


「——貴様ッ! どこでそれを……」


 椅子の下から取り出したライフルを秋吉に向け、すぐさまに発砲——


「はいはい。落ち着いて下さいよ。俺たちはあんたらの依頼を怪異庁を通じて受けた、ただの探偵です」


 しようとしたが、それは銃全体に絡みついてきた漆黒の液体によって封じられる。


「お前……その腕は……」


「おや? 気づきました? すごいでしょ、これ」


 ドロドロと液状化した己の腕を掲げてみせる男に村長は思わず腰が抜けてしまいそうになる。しかし、それはできない。何故なら、液体は既に部屋中に蜘蛛の巣を張ったかのように広がっていて、それは銃どころか村長の体全体にも張り巡らされていた。


「あ、そうそう。家の周りを取り囲んでる人たちも今、貴方と同じ状況ですよ」


「…………」


「九鬼家は本当に凄い。神様から命じられたというよりは押し付けられた仕事を先祖代々受け継いできたんですから。これは褒められるべきですね」


 先程はこの男の似合わぬ笑顔に思わずお茶を噴いてしまったが、今は違う。


「だからこそ、そろそろ解放されたいですよね」


 彼の右腕が完全に溶け、右鎖骨から右胸さらに首の右側半分が溶け、下あごから顔の右半分が段々と液状化していく瞬間を強制的に見せられている。

 この現状から早く脱出したい。解放されたい。

 しかし、それは叶わない。


「貴方たち九鬼家は炎水村と名付けられたこの地に縛り付けられている一族なのですから」


 引き金にかけていた右人差し指を何とかして動かそうとした瞬間。


 ズシン、とした重い地鳴り。


「な、なんじゃ……お前、何をした……」


「何も。ただ、俺の相棒があんたらを縛り付ける原因になっていた人喰い鬼を処分したような気はしますけどね」


 村長の部屋を中心に張り巡らせていた漆黒の液体が時計を巻き戻したかのように探偵の体に戻っていく。


「ま、とりあえず。窓の外を見て下さい」


「…………お前、まさか……」


 窓の外に広がっていたのは、夢にまでみた光景だったのかもしれない。


 何故なら、この瞬間、九鬼総司は炎が燃え広がる森を見て笑っていたのだから。




 人間の肉体を乗っ取るという形で復活した人喰い鬼は正直言って動きが単調すぎてつまらなかった。

 先程は距離を詰めた一瞬のうちに彼の右胸を自分の右腕で貫いてみたが、これは秋吉が森から抜け出すための時間稼ぎでしかない。


「……っ、くそっ……!」


 両手でがっちりと一樹の腕を取り、自らの体を後ろに引くことで抜けだそうとする姿に一樹は顔をしかめるということもなく、ただ楽しそうに笑っていた。


「お、良い感じに抵抗してくれるんすね」


「……っ!」


 そんな抵抗など虚しく、一樹は右腕を抜く。すると、乗っ取ったはずである肉体を未だ上手く扱えていない様子の人喰い鬼がそのまま地面へと落下——


「ちょっとだけ引っ込むっす」


「――――っ……!」


 する寸前に振り上げた右足で中段蹴りを決める。


 一樹としては道端に落ちている石ころを蹴るような軽い感覚で蹴ったのだが、どうやら加減を間違えてしまったらしい。


「あー……木が倒れたっす……まあ、どうせ森ごと燃えるだろうし、問題ないっすね」


「お、俺は、何を……っ!」


 大きな衝撃を受けたことで一時的に鬼から人間へと切り変わった彰大に近づき、そのまま右手で顔を掴む。


「土浦彰大くん。キミ、お兄さんに掴みかかって怒りをぶつけたみたいっすけど、無駄に終わったすね」


「…………」


「あのお兄さんのことっす。ちゃんと謝ってくれたんでしょう」


「……そう、だ……だ、いきさ、んは……」


「キミが喰い殺したっす」


「…………っ、お、俺が……」


「正確に言うと、キミは利用されたんすよ。あの村長さんに」


 掴んでいる手の指先に力を入れ、電流を走らせる。


「思い出して下さいっす。キミはどうして金城大輝さんと一緒にこの村に来たんすか?」


「そ、れは……」


「その記憶、見せてもらうっす」




 人喰い鬼に肉体を支配されつつある彰大あきひろは既に人間だった頃の意識と記憶が曖昧になっていた。

 だが、目の前の少年によって呼び起こされる。

 母と過ごした記憶。

 学校での記憶。

 そして、この村に来るきっかけとなった腹違いの兄である彼——金城大輝と話したあの日を。


『俺の母さん。お前のお母さんとは姉妹でさ、実は俺、お前のこと知ってたんだよ。

 お前は確かに世間から見るといわゆる妾の子ってやつだけど、俺はそう思ってない。

 腹違いでも兄弟だ。だから、いつか会えると信じてたし、会いに行こうとも思った。

 けど、お前に会いに言ったその日、お前のお袋――美夜みやさんは俺にこう言ったんだ。


「本当は私があなたのお父さんと結婚する予定だったの。だけど、私の体が弱くてね。子供一人妊娠するのも難しいかもしれないってお医者さんから言われたの。

 だから、姉さんにその役目を押し付けてしまった。姉さんはもっと自由に生きるべき人だったのに。私のせいで。

 そうして、姉さんは大悟さんと結婚してあなたを生んだの。本当に良かった。

 あの人の血を受け継いだ子が生まれてきてくれて、本当に。

 私も本来ならあなたたちと一緒に暮らす予定だったの。けど、もしもの事を考えて、私は父とあなたのおじい様に頼んで、戸籍上では他人という事にしたわ。

 父もおじい様もそこまですることはないって言ってくれたんだけど、私は姉さんもあなたのお父さんのことも好きだから身を隠すように普通の人に紛れて暮らすようにしたの。

 名前も母の旧姓に変えて、小さなアパートで暮らしたわ。これでもお嬢様だったから最初はかなり苦労したけどね。

 そうやって、パートを三つぐらい掛け持ちしてたある日、大悟さんが突然訊ねてきたの。父にもおじい様にも住んでる場所も何も伝えてないのに――どうやって調べたのかは大体想像つくんだけどね。

 で、夜だったから二十四時間営業のファミレスで話をしたの。

 お互いに最初は黙ってたんだけど、そしたら、大悟さんが「調子はどうだ?」とか「困った事はないか」なんて言ってくるの。他にも 最近、何か楽しいことはあったか、なんて、本当にとりとめもないことを話したわ。楽しかった。だからなんでしょうね。昔、付き合ってた頃を思い出してしまった私たちは過ちを犯してしまった。

 妊娠したの。あの子を。そのことは話すつもりはなかったし、一人で産もうと思った。けど、そうしなかったらしなかったで、大悟さんが探偵かあるいは自分の部下に調べさせるのはわかりきってたから、自分から話したわ。

 正直、堕ろすように言われるかもって思った。けど、意外なことにね、産んでほしいって言ってくれたわ。もちろん、姉さんからも。本音を言うと、あの夜のことを姉に正直に言ったのかと思うとちょっとムカついたんだけど、あの人、嘘吐くの下手なのよね。政治家のくせに。

 世間から見ると私たちの関係って、きっとおかしいのよ。それでも、私は嬉しかった。

 二人が私を――私と産まれてくる子供を何としても護るからって。

 おかしいわよね。ホント。

 だから、彰大を産んだの。一時は帝王切開するかもなんて言われたけど、無事に産むことができて、産まれてきてくれて――……本当によかった。

 二人がいてくれたから、そして、彰大が笑ってくれたから、私は苦しくても辛くても耐えられた。

 だけど――ねえ、大輝くん。一年前に出た週刊誌の記事、覚えてる?

 姉さんたちは本当に悪くないの。

 悪いのは過ちを犯した私よ。

 それでも、その過ちを許してくれた二人を私は恨んでもないし、ましてや憎んだりなんてしてない。それは本当よ。

 なのに誰から聞いたのか、それとも誰が漏らしたのかは知らないけど、随分とデタラメな嘘八百としか言いようのない記事が出たわね。

 連日の報道もコメンテーターの言葉も本当に嘘ばかりで嫌になった。

 けどね。あの二人がはっきりと否定してくれたから、あの時、私やあの子に記者がつくようなことはなかった。おそらく、父とおじい様が裏で手を回したと思うの。

 けど、ここ一ヶ月かな。妙な空気があるのよ。何というか……誰かに見られてる嫌な空気が。

 私はね。表立って言えはしないけど、一応は貴方の叔母よ。だからこそ、今は会わないで。彰大はもちろん、甥である貴方を巻き込みたくないの。

 こうやって話してる時点でもう巻き込んでしまったかも知れないけど、気をつけて」

 ってな。お前のお袋はお前を護るためにこの事実を一生隠し通そうとしてたんだ』


『…………じゃあ、何で、母さんは……』


『アレは自殺じゃない。怪異アプリだ』


『……は?』


 言い逃れるための嘘なんじゃないかと一瞬疑ったが、どうやら本気で言っているらしい。腹違いの兄を名乗る彼はさらに続ける。


『これを見てくれ』


 バッグから取り出した一冊の本。


『黄色い付箋があるだろ。そこを読んでくれ』


 言われるがままに従い、ぱらりとページをめくる。


『怪異アプリの噂。パソコンをコンパクトにしたようなスマホが流行り始めた昨今。こんなアプリの噂を聞いたことはあるか?

 あるよな。番号分かるだけでショートメールが送れちゃう便利な時代。

 なのに、その内容は至ってシンプル!

 力が欲しいか――なんて、少年漫画で読んだことあるような展開っ! くぅ~~いいねぇ! 面白い☆

 アプリの配信先は送られてきたURLをタップしないと分からないが、一方でこんな噂もある。

 深夜四時四十四分四十四秒にアプリストアにアクセスすると狐面のアイコンが現れる。それを見ると――……』


 その先は書いてなかった。


『これシリーズ化してて、お前が今手に取ってるのはサードシーズン。怪異アプリの噂は三年ぐらい前にも聞いたことあるんだが、ここ最近になってSNSで流行り始めてる』


『……クラスメイトが面白がってネタにしてたのを見たことはある』


『だろ。で、その噂の怪異アプリに関係してる可能性がある村があるらしい』


『村? ホラーの定番って感じですね……』


『やっぱ信用してねーな。分かる。怪異アプリはその情報が出るたびに何か規制くらったのか分からんが、関連情報が出ては消えてくんだよなー……』


『で、俺の母さんが自殺したこととアプリの関係性って』


『結論を急ぐな若者よ。サークルのメンバーで情報持ち寄って考えてみた結果。

このアプリの正体はマインドハックなんじゃないか、という』


『……マインドハック……えーと、催眠術みたいな感じですか……?』


『そんな感じだ。アプリをダウンロードしたという体験談的なものを語ってる掲示板があってだな。そいつらに共通していたのが、記憶喪失だ』


『記憶、喪失……』


『ああ。ベッドで寝てたはずなのに、いつの間にか学校の屋上に立っていたり、橋から飛び降りようとしたり、自分で自分の首を絞めそうになっていたり、危険なものだと自分の首に包丁を当てていたっていう人もいたらしい』


『それは単に寝不足なんじゃ……』


『俺もそう思った。寝不足は認識力の低下を招き、判断を鈍らせるからな。だが、美夜さんが自殺するような人じゃないってことは息子であるお前がよく知ってるはずだ』


『……確かに。母さんの様子に変わったところは何もなかった』


『だよな。俺がこの話を聞いたのは、お前と会う二週間前だ』


『…………』


『お前が俺を憎む気持ちは分かる。だったら、俺を利用してみないか』


『え? その……俺は……』


『どちらにしろ。今ここにジッとしていても何にもならねえ。親父とお袋がマスコミ対応してる今のうちにあいつらが来たくても来れない場所で息抜きしねーか?』


『息抜き……?』


『そう。息抜きがてら怪異アプリが本当に実在するのかしないのか、を検証しに行くんだよ』


『……まさか。次の本のネタ?』


 もう一度、先程のページを見てみると、先程は見落としていた『次回予告』の文字が。


『ああ。半分は調べ終わったんだが、やっぱ実際行って話聞いてみないことには面白い記事書くことはできねーからな!』


 ちょうど祭りがあるらしいから村長さんに連絡して手伝いがてら取材するんだ、と自分にはないフットワークの軽さに驚いた。


『美夜さんの死の原因に怪異が関わってんなら、お前はそれを知りたくないか』


『…………知りたい、です』


 真摯な瞳で見つめてくる兄に気圧されたわけじゃない。これはあくまでも真実を知るために利用するだけ、なんて自分に言い聞かせる。


『よし、決まりだな。あ、そうそう。俺たちが兄弟ってのは、みんなには内緒にしておこう』


『ですね』


『俺たちの関係は……そうだな……SNSで知り合った都市伝説大好き仲間ってことで』


 こうして、俺は腹違いの兄とその仲間たちと一緒に炎水村へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る