季節遅れの雪が俺の運命を変えた

春風秋雄

突然の雪にスタックした軽自動車

もうすぐ春が来ると思っていたのに、何なんだ、この季節遅れの雪は。そろそろスタッドレスからノーマールタイヤに履き替えようと思っていたところだが、まだ交換しなくて良かった。家までまだ20キロ近くある。雪はどんどん降り、もう20㎝は積もっているだろう。このぶんだと、30㎝以上になるかもしれない。時計を見ると20時を回っている。灯りもない真っ暗な山道で、車のライトに雪が反射して視界が悪い。さすがにこの雪なので、走っている車はほとんどいない。この山道を早く抜けたいと思っていたところに、路肩に寄せてスタックしている軽自動車をみつけた。ノーマルタイヤで走っていたのだろう。エンジンをふかしているが、タイヤが空転している。近づくと県外ナンバーだ。俺は無視して通り過ぎようかとも思ったが、こんなところで立ち往生しては可哀そうだと思い、その車の後に寄せて停車した。車から降り、軽自動車に近寄った。運転手は女性のようだ。俺は運転席の窓を叩いた。女性が少し窓を開ける。よく見ると、助手席に4~5歳の女の子を乗せている。

「ノーマルタイヤでは、この雪は無理ですよ。チェーンは持っていますか?」

「まさか雪が降るとは思っていなかったので、チェーンは持ってきていないのです」

「チェーンなしでは、ちょっと難しいですね。誰かに迎えに来てもらった方がいいですよ」

「実家には母しかいないのですが、その母が今入院しているので」

「他に誰か、親戚の人とか、いないのですか?」

「親戚はいますけど、電話番号を知らないんです」

「どちらまで行かれるのですか?」

女性が地名を言う。俺の家の少し手前の町だ。

「そこなら僕の通り道ですから、僕が家まで送りますので、車はここに置いたままにして、明日チェーンを買って取りにきましょう」

「いいんですか?」

「そんな小さなお子さんを連れて、こんなところで立ち往生したら命に関わりますよ」

軽自動車に乗せてある荷物を俺の車に移し、親子は後部座席に座った。俺はチェーンを買う時のために、スマホのライトを軽自動車のタイヤに照らし、タイヤサイズを確認してメモしておいた。車の後ろには、一応三角停止板を置いておいたが、そのうち雪で埋もれてしまうだろう。

子供も乗っているので、俺は慎重にゆっくり運転した。

「明日は、誰か車を出してくれる人はいますか?」

「実家に行けば親戚の電話番号はわかると思いますけど、車を出してくれるかどうか」

「じゃあ、僕が明日チェーンを買うのと、車をとりに行くのを手伝いますよ」

「そんな、悪いですよ」

「でも、いつまでも車をあそこに置いておくわけにはいかないでしょう?出来たら朝のうちに取りに行った方がいいです。それにあなたも車がないと不便でしょ?」

「そうなんですけど、お願いしてもよろしいですか?」

「明日は仕事がないので、構いませんよ。とりあえず連絡先を交換しておきましょう。今から言う番号にワン切りしてもらえますか?」

俺は運転しながら自分の携帯電話の番号を言った。すると、ハンズフリーで呼び出し音が鳴り、すぐに止んだ。

「僕は清水と言います。清水孝則です。お名前教えてもらえますか?」

「一色(いっしき)と言います。漢数字の一に色で一色です」

一色って、どこかで聞いた苗字だなと思った。しかし、旦那さんは県外の人なのだろうから、関係ないだろうと、その時は思った。


ルームミラーで後部座席を見ると、娘さんは寝ているようだ。

「実家はお母さんだけですか?お父さんは?」

「ええ母だけです。父は5年前に他界しました」

「お母さんが入院していらっしゃるということですが、ご病気ですか?」

「いえ、縁側から足を滑らせて落ちたらしく、足首と右手首の骨にひびが入ったようです」

「それは大変ですね。でも頭を打たなくて良かった」

「そうなんです。不幸中の幸いです。もうすぐ退院なんですけど、自分では家事が何も出来ないので、私がしばらく実家で手伝いをすることにしたのです」

「そうですか。でもその間、旦那さんは自分で家事をしなければならないので大変ですね」

「夫はいません。去年離婚しました」

「そうですか。余計なことを言ってしまいました」

「いいえ、大丈夫です」

「一色さんもこちらで育ったんですよね?」

「ええ、高校3年までいました。大学進学で県外へ出て、そのまま県外で暮らしています」

「ご兄弟はいないのですか?」

「弟がいたのですが、5年前に事故で父と一緒に」

「そうですか。それではお母さんは寂しいでしょう?」

「そうだと思います。離婚したので、身軽にはなったのですが、都会の暮らしに慣れてしまうと、こっちに帰ってくるのに抵抗があって」

「なるほどね」

20分程度で街中に入り、一色さんの道案内で一色さんの家に到着した。表札は「一色」となっているので、離婚して旧姓に戻したのだろう。一色さんは、カバンから鍵を出し、玄関を開ける。娘さんはすぐに家に入った。荷物を家に運ぶのを手伝い、明日10時半に来ると伝えて、俺は家に向かった。結局娘さんは一言もしゃべらなかった。


俺は、生まれてから現在に至る35年間、この街から出ていない。大学も自宅から通える大学に行った。大学卒業後も、地元の役場で働いている。都会暮らしをしてみたいと思ったこともあるが、俺はこの街が好きだ。

一色さんは、お父さんと弟さんを亡くしたと言っていたが、俺も親父はいない。俺が中学校2年生の時に病気で他界した。3つ年下の弟の健二と俺の息子二人を、お袋は女手ひとつで育ててくれた。お袋は小学校の先生をしていた。学校の行事などがあるときは、帰りが遅くなる。そんなときは、弟の面倒は俺が見ていた。俺はいまだに独身だが、弟は所帯を持ってアパートを借りている。だから、今はお袋と二人暮らしだ。


家に帰って、お袋に一色さんのことを話した。

「一色さん?どこに住んでいる人?」

俺は町名を言った。すると、お袋は戸棚から年賀状の束を取り出し、捲り始めた。

「あった。ひょっとしたら、この人の娘さんかもしれないね」

そう言って年賀状を俺に見せた。名前は一色圭子になっていた。一色という名前に記憶があったのは、毎年来るお袋の年賀状を見ていたからかもしれない。

「母さんとこの人は、どういう繋がり?」

「圭子さんは私が初めて担任を受け持ったときの生徒。結婚して苗字が一色に変ったのよ」

「小学校の生徒が、いまだに年賀状をくれるの?」

「この子は色々あったからね。たまにスーパーで偶然会うこともあるよ。旦那さんと息子さんをいっぺんに事故で亡くしてね。可哀そうだったよ」

間違いなく、今日会った一色さんのお母さんだと思った。

「そう言えば娘さんは大学を卒業すると、すぐに結婚したと言っていたね」


翌日、俺は弟の健二を電話で呼び出し、二人でカー用品店に行ってチェーンを買ってから一色さんの家へ行った。

「チェーン、買って来てくれたのですか?」

「だいぶん雪は解けていると思いますけど、まだノーマルタイヤでは走れないと思います。それで、チェーンをはめての走行は不慣れでしょうから、弟を連れてきましたので、僕と弟の二人で行って車を回収してきますので、車のキーを貸してもらえますか?」

一色さんは、申し訳ないと遠慮していたが、俺と弟の説得で、やっとキーを貸してくれた。

弟が行きの車の中で言った。

「一色さん、綺麗な人だね」

「そうだな」

「離婚して、今は独身なんだろ?兄ちゃん、頑張れよ」

「何言ってんだよ。年が違いすぎるよ」

お袋の話から推測するに、一色さんはまだ26~27歳だろう。


一色さんからお母さんが退院した旨の連絡があった。俺がお袋にそのことを伝えると、お見舞に行こうと言い出した。

「まあ、清水先生ご無沙汰しています」

一色さんのお母さんが嬉しそうにお袋を迎えてくれた。不思議そうに二人を見ていた一色さんに俺が説明すると、一色さんのお母さんが話を繋いだ。

「小学校の時、私の母が再婚してね、新しい父親に私は今でいう虐待を受けていたの。だから学校が終わっても私は家に帰りたくなかったの。そうしたら清水先生が家に呼んでくれてね。まだ新婚だったのに、夕飯を食べさせてくれたりしていたの。そして、最後は清水先生が母に虐待の事実を伝えてくれて、そんな事実を知らなかった母は激怒して離婚したの。だから、清水先生は私の恩人なの」

それでいまだに年賀状のやりとりをしているのだ。一色さんのお母さんにとっては、単なる担任の先生ではなかったのだ。

「でも、清水先生の息子さんに、娘の紬(つむぎ)が助けられるなんて、よほど縁があるのでしょうね」

娘さんは紬さんというのか。

長居をしても迷惑だと思い、俺たちは辞去することにした。今日も紬さんの娘さんは遠くで俺たちを見るだけで、お袋が話しかけても何も話さなかった。


お見舞に行って、数日後に、いきなり紬さんが一人でうちを訪ねてきた。

「今日は、清水先生にご相談があって来ました」

お袋に相談があるというので、娘さんのことかもしれないと思った。

俺はいない方が良いかと思ったが、俺にもいてくれと紬さんが言うので、3人で話すことにした。

「実は、娘の陽葵(ひまり)のことを母に話したら、清水先生に相談してみてはと言われて、ずうずうしいとは思いながら相談に伺いました」

紬さんの話を要約すると、こういうことだった。紬さんは大学時代から付き合いのあった男性と卒業後すぐに結婚。そして陽葵ちゃんが生まれた。しかし、旦那さんは職を転々とし、収入が安定しない。紬さんが派遣社員として収入を得て、何とか生活はしていたが、陽葵ちゃんの将来のこともあるので、安定した職についてほしいと言うと、その度に言い合いになってしまった。そのうち、暴力こそ振るわないが、紬さんと陽葵ちゃんに対して怒鳴り散らすようになった。陽葵ちゃんはお父さんを見ると怯えるようになり、そのうち紬さん以外の大人と口を利かなくなってしまった。保育園でも友達とは少し話すようだが、先生とはまったく口を利かないらしい。紬さんは旦那さんと離婚して、アパートを借りて暮らし始めたが、陽葵ちゃんの大人嫌いは一向に直らないということだった。

「口を利かないだけで、怖がったりはしないのかい?」

「今は怖がることはなくなりました。相手の言うこともちゃんと聞きます。でも口を開くことはないです」

「紬さんは、いつまでこっちにいる予定ですか?」

俺が聞くと、紬さんは申し訳なさそうに答えた。

「お母さんが、家事ができるようになるまでと思っています。3か月か4か月の予定ですけど」

「あなた、こっちに引っ越してくる気はないのかい?」

「都会の暮らしに慣れてしまうと、田舎で暮らすのは…」

「それだけの期間でどこまで出来るかわからないけど、私たちで協力できることは協力するよ」

お袋がそう言うと、紬さんは「ありがとうございます」と言って頭を下げた。

お袋は、定年退職してから、何もない日々を過ごしてきたが、久しぶりに子供に関わることが出来るので、やる気になっているようだ。


それから、紬さんは朝のうちにお母さんの朝ごはんと昼ごはんの支度をしてから、親子でうちに来てお袋と一緒に過ごし、夕方一旦帰って、夕飯を食べてからまたうちに来て、今度は俺を含めて4人でテレビを見たり、お菓子を食べたりしながら過ごし、陽葵ちゃんが寝る時間に帰るという毎日を過ごした。お袋が俺に言ったのは、無理に陽葵ちゃんに話しかけず、極力陽葵ちゃんも興味を持つような話題を作り、3人で話すようにしろということだ。陽葵ちゃんは会話に入らなくても、3人の話を聞くだけで良いということだった。最初は母親以外の大人と同じ空間にいることに慣れさせるのが第一の目的ということだった。

最初のうち、陽葵ちゃんはうちに来ても隅の方に座ってボーっとしていたが、何日か経つと俺たちと少し距離を縮めて座り、会話を聞いているようだった。陽葵ちゃんは4歳だというので、俺は職場で4歳の女の子が興味ありそうな話題は何かと皆に聞きまわる毎日だった。

1か月ほど経つと、陽葵ちゃんは相変わらず口は開かないが、紬さんの隣に座り、俺たちの会話を聞くようになった。そして興味があるときは、話している俺やお袋の顔を見て話を聞くようになってきた。

俺の休みの日に、お袋が3人で遊園地へ行ってきなさいと言った。紬さんが陽葵ちゃんに聞くと、行くという。俺たち3人は思わず顔を見合わせた。

遊園地は、隣の県にある。車で45分くらいのところだ。車の中では紬さんが持ってきた子供向けのCDを流した。遊園地に着いて、最初は無難な乗り物に乗った。紬さんと陽葵ちゃんの二人で乗る乗り物と、俺を含めて3人で乗る乗り物を織り交ぜながら過ごした。陽葵ちゃんの楽しそうな顔を初めて見た。帰りの車の中では、さすがに疲れたのか、陽葵ちゃんは寝てしまった。

それから、毎週土曜日と日曜日の俺の休みの日は、3人でどこかへ出かけるようにした。アニメの映画を観に行ったり、陽葵ちゃんの服を買いに少し離れたショッピングモールへ行ったりした。俺が飲み物を買って来て、陽葵ちゃんに「どっちがいい?」と聞くと、口は開かないが、欲しい方を指さすようになった。俺はだんだん陽葵ちゃんが可愛くて仕方なくなってきた。

陽葵ちゃんは俺に対して抵抗はなくなったようで、家にいるときでも、紬さんと挟むように俺が隣に座っても平気でいるようになった。ある日、紬さんが夕飯の支度のときに陽葵ちゃんが手伝ってくれたと褒めた。それを聞いて、俺は思わず「陽葵ちゃん、えらいね」と言って隣に座っている陽葵ちゃんの頭を撫でてあげた。陽葵ちゃんはチラッと俺をみたが、されるままになっていた。お袋はそれを見て微笑んでいた。

陽葵ちゃんが、また遊園地へ行きたいと言っていると紬さんが言うので、あの遊園地へもう一度行くことになった。後部座席で、陽葵ちゃんは紬さんと楽しそうに会話をしている。普段、紬さんと二人だけの時はこうやって会話をしているのだろうが、俺たちの前で陽葵ちゃんがしゃべることはなかったので、陽葵ちゃんが話している姿を俺は初めて見た。

前回同様、様々な乗り物に乗り、そろそろ最後の乗り物かなと思った時、俺は何げなく陽葵ちゃんに聞いた。

「そろそろ、帰らなければいけない時間だから、次で最後にしようか。陽葵ちゃん、最後は何に乗りたい?」

すると、陽葵ちゃんは観覧車を指さした。

「あれに乗りたい」

初めて陽葵ちゃんが俺の問いに言葉で答えてくれた。

「そうか、観覧車に乗りたいか。じゃあ、3人で乗ろう」

そう言いながら俺は紬さんの顔を見た。紬さんは嬉しそうに何度も頷いた。

観覧車の中で、楽しそうに外を眺める陽葵ちゃんを見て、俺はこみ上げてきて、何度も目を拭った。ふと見ると、俺につられたのか、紬さんも何度か目にハンカチを当てていた。

帰りの車の中では、陽葵ちゃんはすぐに寝てしまった。一色さんの家に着いて、紬さんが陽葵ちゃんを起こし、車から降りようとするところに、俺は声をかけた。

「陽葵ちゃん、今日は楽しかった?」

「うん。楽しかった」

「また行きたい?」

「うん、行きたい」

それを聞いて、俺はまた目頭が熱くなった。


家に帰り、俺は今日のことをお袋に報告した。

「そうか、それは良かった。でも、そうすると孝則は、陽葵ちゃんとの別れがつらくなるね」

そうか、もう3か月が過ぎている。そろそろ紬さん親子がここを離れる時が近づいている。


陽葵ちゃんは、俺の家にいるとき、俺ともお袋とも、少しずつ話すようになった。さすがにお袋は小学校の先生をしていただけあって、子供の話を引き出すのがうまい。お袋に乗せられて、陽葵ちゃんはどんどん話すようになった。紬さんに聞くと、一色さんの家でもおばあちゃんと良く話すようになったとのことだ。もともと紬さんと二人の時はよくしゃべる子らしいので、閉ざしていた心を開けば、明るい子なのだろう。

陽葵ちゃんが来ている時に、お袋が弟の健二の家族を呼んだ。健二の子供はまだ1歳でしゃべらないが、陽葵ちゃんはめずらしそうに、ほっぺたを触ったりしていた。健二と健二の奥さんが話しかけると、最初は人見知りのように照れて話さなかったが、次第に話すようになった。それを見て、もう陽葵ちゃんは大丈夫だろうと思った。


わかっていた事だが、陽葵ちゃんとのお別れの時がきた。明日帰るという紬さんに俺は言ってみた。

「紬さん、こっちに引っ越してきませんか。僕は陽葵ちゃんが可愛くて仕方ないです。このまま陽葵ちゃんとお別れするのは辛いです」

紬さんはジッと俺の顔を見て、何か考えていた。そして、しばらくしてから、やっと口を開いた。

「夏休みや正月休みには、こっちに帰ってきますから」

そう言われて、俺はそれ以上何も言えなかった。

お袋にそのことを言うと、

「あんたは女心というものがわかってないね。そんなことだから、いつまでたっても独身なんだよ」

と、あきれたように、そして、少し怒ったように言われた。

俺には、お袋の言っている意味がわからなかった。


この4か月近くの間、毎日うちに来てにぎやかだった紬さんと陽葵ちゃんがいなくなって、お袋はかなり寂しそうだった。俺も陽葵ちゃんに会えないのが辛かったが、紬さんの顔を見られないというのが心を締め付けられるように苦しかった。毎日会っている時は気づかなかったが、俺はいつの間にか紬さんのことを好きになっていたようだ。


紬さん親子が帰って、2週間もしないうちに、紬さんから電話があった。今こっちに帰って来ていて、陽葵ちゃんの件のお礼で、御馳走をしたいから、お袋と一緒に家に来てくれということだった。お袋にそのことを話すと、お袋はすぐに準備をし、俺たちは車に乗った。

一色さんのお宅に伺うと、御馳走が用意されていた。たった2週間会っていないだけなのに、俺とお袋は二人との再会を本当に心から喜んだ。

お酒を出されたが、俺は運転があるのでと断ると、お袋が帰りは私が運転するから、孝則は飲めば良いというので、俺は車のキーをお袋に渡し、遠慮なく飲ませてもらうことにした。紬さんは陽葵ちゃんの世話があるので飲まなかったが、圭子さんは結構飲める方で、俺の相手をしてくれた。お酒がなくなったところで、圭子さんが紬さんにコンビニへ行って買って来てくれと言うと、お袋が孝則もついて行ってあげなさいと言うので、紬さんの運転でコンビニまで行くことになった。

「今日はどうして、いきなり帰ってきたのですか?」

俺はずっと疑問だったことを訪ねた。紬さんはそれには答えず、俺に聞き返した。

「この前、孝則さんは、こっちに引っ越して来ないかと言いましたよね。それは陽葵と別れるのが辛いからということでしたよね?」

「この前はそう言いましたけど、陽葵ちゃんと別れるのが辛いからだけではないです。紬さんと別れるのが辛いからです」

「それは、どういう意味ですか?」

俺が言い淀んでいると、コンビニに着いた。二人はコンビニに入り、お酒を買って車に戻った。

帰り道に紬さんはもう一度訪ねた。

「私と別れるのが辛いとは、どういう意味ですか?」

「僕は、紬さんのことが好きです。ですから、別れるのが辛いと言ったのです」

「それで、こっちに引っ越して来いと?私は、単に孝則さんの近くに住めば良いということですか?」

「いや、出来たら僕と一緒に住んで欲しいです」

「それは結婚ということですか?」

「そうです。年は少し離れていますけど、僕と結婚してくれませんか?」

そう言ったところで、一色さんの家に着いた。すると、駐車していた場所に俺の車がなかった。

「あれ?僕の車がない」

家に入ると、お袋がいなかった。

圭子さんにお袋はどうしたのかと尋ねると、

「清水先生は、もう眠いから帰ると言って、帰られました」

と答えた。

「そうすると、紬さんに送ってもらうしかないですね」

俺が紬さんを見ながらそう言うと、

「ああ、清水先生は、孝則さんはここに泊めてやってくれと言っていましたよ。今日はここに泊まればいいじゃない」

と圭子さんが気楽に言った。


用意された布団に横になっていると、陽葵ちゃんを寝かしつけた紬さんが入ってきた。

「さっきの話の続きですけど」

俺は慌てて起き上がり、布団の上に座った。

「本当に私のことが好きで、結婚を申し込まれているのですか?陽葵と離れたくないから私と結婚しようと思っているのではないですか?」

「陽葵ちゃんと離れたくないというのもありますが、僕は紬さんが好きです。あなたと一緒にいたいから、結婚したいのです」

「私は、この数か月、孝則さんと一緒にいて、あなたのことを好きになっていました。でも、この前あなたは、陽葵と別れたくないので引っ越してきてと言いました。一瞬、あなたの近くに住めるのであれば、それでもいいかと思いました。でも、そうすると、いずれあなたは他の女性と結婚するかもしれない。そう考えたら、ここに引っ越してくるべきではないと思ったのです。でも、向こうに帰って、どうしてもあなたのことが忘れられなくて、私のことを愛してくれなくてもいいから、陽葵の父親になってくれないかと、頼もうと思って帰ってきたのです」

俺は、思わず紬さんを抱きしめた。

「僕は、あなたが好きです。陽葵ちゃんの父親にもなりたいけど、それ以上に、紬さんの夫になりたいです。だから、結婚してください」

紬さんは、「はい」と返事をして、俺の背中に手をまわし、きつく抱きしめてきた。

田舎の夜の静寂の中、紬さんの鼓動だけが俺の胸に響いている。

あの日降った季節遅れの雪は、俺と紬さん親子を引き合わせるために、わざわざ積もってくれたのかもしれない。


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