第53話 ちいさな願い

 彼が何事かの呪文を唱えながら手を合わせたのは、小さな男の子から必要そうな話を粗方聞いた後だった。何をしているのかを尋ねて感情を乱してはいけないと思い、黙って見守ることにする。


「……此なる幼き魂に連なるもの、探し示せ」


 ふっ、と手の中へ彼が息を吹き込むと、それは小さく光る白い鳥に変わった。よく見ると、その体は何か赤い字で書かれた符でできているようだった。符が鳥に折り畳まれ、自ら光っている。そして彼の手から鳥はひとりでに飛び立ち、薄布にいつの間にかあった隙間から潜り抜けていってしまった。


「へいか……?」


「あの鳥に探させてる。時間がかかると思うから、明日またおいでなさい。今日は、お世話になってるおばさんのところにお戻り」


「はあい」


 ふっ、とその姿は蝋燭が吹き消されるようにして消えてしまった。ついで、次は自分の番だと影が前に詰り出る。今度は、若い女のようだった。


「皇帝陛下に万歳申し上げます。皇后陛下に、千歳申し上げます。私を殺した男がこの世界に来ておられたら、どうか我が前に引き出してはくださらぬでしょうか」


 角がないのに、声を荒げているわけではないのに、怒りが伝わってくる声だった。またその話か、と彼が呟くのが、おそらく私にだけ聞こえる。


「その話をするために残ったのであれば、すでに再三答えは出ておる。恨みの連鎖を止めるため、報復は許されない。個人に対して個人が罰すること能わず、その姿を見ることも声を聞くこともない決定は変わらない」


 それに対する彼の答えは、威厳に満ちたものだった。怒りがあるわけではない。ただ、相手を諭し落ち着かせようという意志を感じる。


「……あの、」


 つい口を挟んでしまうと、彼女からも彼からも痛いほどの視線を感じた。それでも口を出してしまったから、そのまま残りも声に出す。


「あなたには、誰か、今のあなたを気にしてくれている人はいますか?」


「い、います……隣の家の人とか、ご近所の人が。裏の人は、会ったことはないけど、お裾分けって言って、家の前に花を」


「まあ、素敵」


 まるで淡い恋の物語のようなそれを、彼女に大切にして欲しかった。過去は、変えられないのだから。……彼女がどうしてどうやって殺されたのか、私は知る由がないのだけれど。でも、誰か気にしてくれる人が、彼女のよすがになればいいと思った。


「……この世界は、穏やかで静かな場所であってほしいと。そう願っているんだよ。きみたち一人一人に対しても、ね」


 彼女はいったん納得したのか、深々と頭を下げて消えた。

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