第42話 悍ましい、なにか

 私の体調はもうほとんど回復していて、時々、生前より元気なんじゃあないかとさえ思うほどだった。


「あなた様、私が皇后……だと言うのなら、皇后らしいことをさせてくださりませんか? 私、もうこんなに元気になったんです」


 くるっと回ってそう示してみせると、彼は私の姿を見て「うーん……」と唸った。


「ちょっと、考えてみてもいい? きみにしてもらいたいこと、なんて、考えたこともなかったな……ここにいて僕に笑っててくれてるだけで、嬉しいから」


 彼は困ったように笑って、私にさし招くからそのまま近づく。彼は私の髪を撫でて、「きみの心は嬉しいよ」と微笑んだ。


「何か、きみにしてほしいことが決まったら、連絡するね。その時は、僕の隣にちゃんといてね」


「ええ、もちろん」


 彼とそんな会話をした次の日、ここで暮らすようになってから初めて、奇妙なことが起きた。



「ん……――?」


 ふと、眠っていた時に目を覚ました。夜中、だろうか。周りに人は見えなくて、霞のようなふわふわとしたものも見えないから、本当に誰もいないらしい。水差しの水を飲んで眠り直そうとした時、ふと、誰かの視線を感じてそちらに目を向けた。


「ひっ……!」


 上がりかけた悲鳴を押し殺して、目を合わせないようにした。何か、いる。何か、誰か、いる。私の部屋で、こちらを見ている。

 それは多分人間、のような気がした。姿を現そうとする霊たちと違って、ゆらゆらと揺らめく朧げな様子がおかしく見えた。何故かはわからないけれど、絶対に何かが違う、とわかる。生前の怖い話で聞いたような、いわゆる『鬼』や『霊』の存在に近い気がした。


『……、…、……』


 それ、は、私に向けて何かを語りかけているようにも見える。けれど、返答をしてはいけないと直感した。彼が私に教えてくれたこの世界の霊や鬼に、こんな不躾なことをする存在はない。


「……だれ、か、いる?」


 声をかけてみようとしても、声は全然出なかった。彼といた時にかつてあった、身体が縛り付けられるような感覚に近いけれど、もっと恐ろしいものに感じた。このままの状態が続けば、何か取り返しのつかないことになる、ような。


『なんて……おぞましい……の……』


 確実に、何か今嫌なことを言われた、と思った。嫌悪の視線。憎悪の言葉。そんなものを向けられる理由がわからなくて、怖かった。


(どうしよう、こわい……助けて……!)


 頭の中に思い描くのは、彼の姿。この国を統べる彼であれば、助けてくれると信じて目を閉じて、祈ることしかできなかった。

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