第30話 月と刺繍

 刺繍を淡々と進めているうちに、ふと、暗くなってきたことに気付いた。


「あら……?」


 少し体を起こして窓の外へ目をやってみると、ゆらゆらとした光が空にある。黄色い光が空の上で鬼火か何かのように揺れていて、しばらくしてその光が丸くなった。


「葉夫人、あれは何かしら」


「あら、皇后さまもお気づきになられましたか?」


 葉夫人にそう声をかけると、確かにさっきまでは誰もいなかったところに葉夫人が現れた。ここの人たちのそういう振る舞いにも、もうすっかり慣れてきた自分がいる。


「皇帝陛下がとうとう、この世界に月を昇らせることに成功したのですよ!」


 うっとりと興奮した面持ちで葉夫人が言う。しばらくは鬼火が揺れていた空模様は、やがて段々と鬼火が丸く塊になろうとしていった。丸い球体になっていくことで、生前に見上げていたような空に浮かぶ月になっていく。


「まあ、すごい……!」


「今は月だけですけれど、今回の月がうまくいけば、そのうち太陽をも作り出せるのだと。陛下は、張り切っておいででした」


「それでは、この手巾に月の意匠も入れなくてはいけませんね」


「ぜひ、そうしてあげてくださいまし」


 葉夫人が一礼して、月の光の中にするりと姿を溶け込ませていく。私もそうやって消えることができたら、それはそれで楽しそうな気がした。


 月の光を浴びながら、手巾に模様を足していく。椿の花と、細く美しい三日月と……、他にも何か、素敵なものを足したい。この手巾はこれから、あの美しい夫のものになるのだから。この鏡の中の世界で、一番に尊敬され一番に尊い人の、おそばに置いてもらえる物になるんだと思うと、気が抜けなかった。楽しんでいるから、苦にはならないけれど。


「黄色、赤、緑……薄い黄色、金、銀……ああ、深紅ホンファも描き出してあげたら喜んでくださるかしら。ねえ?」


「りりりりり」


 意味が分かっているのかいないのか、水の球に触れると小さな人魚が私の指に寄り添うようにすり寄ってきた。かわいい子がいてくれて、やっぱり一人じゃないということに安心できる。ほかの皆は、いたりいなくなったりしてしまうから。


「好きで刺繍もさせてもらって、この針だってとてもいいもので、それで手巾に刺繍を刺すのがお礼になるだなんて……むしろ、私の楽しいことをさせてもらっているだけなのに」


 綺麗な銀色の刺繍針、糸切り用と布切り用の鋏、縫い針にまち針。裁縫箱の中を見るだけでも楽しかった。その中から取り出した指ぬきをはめると、何か見覚えがある気がした。

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