第26話 亀裂

「一番最初に、これをあげるべきだったんだ。それより先に沢山用意していて、気づいたらこんなに増えてしまった」


 受け取って、と私に箱を差し出す彼の手は、かすかに震えていた。まるで箱の中にあるのが裁縫道具ではなく、何かとても恐ろしいものか、尊いものであるかのように。それを、私に渡そうとしていた。私は、それを受け取っていいか迷ってしまった。今まで私に沢山渡されてきたものとは、何か質が違っていると直感して。


「あの、私はこれを、本当に受け取っても、」


 けれど気づいたら。私の手が、勝手に、箱を受け取っていた。なんて、浅ましい私の手! 誰か他に受け継ぐべき人がいるかもしれなかっただろうものを、どうして!

 答えはすぐに悟った。不遜にも私は、彼から与えられることに、慣れてしまったのだ。あまりにも、彼が私になんでも与えてくれるから。命も、体も、すべてを。


「……小鈴シャオリン? どうしてそんなに、硬い顔をしているの。喜んで、くれないの?」


 自分の愚かさを責める私には、怪訝そうな顔をしている彼へ作る笑顔がなかった。彼の顔も曇る。深紅ホンファだけが、変わらない笑顔で私たちを見ていた。


小鈴シャオリン……菫玉鈴ジンユーリン。これを、受け取って」



 彼が私の手に箱を握らせたまま、力を込める。私の困惑する心と、箱を受け取る手の間の齟齬が直らない。まるで、私の体ではないかのようだ。私の意思で、私が手足を動かしているはずなのに、最近はあまりなかった「縛されている感覚」がまた戻ってきている。それが怖い自分がいるけれど、何故か顔にも声にもそれを出すことができなかった。


「これは、誰のためのものでもない。きみのものでしかないんだよ。きみのために、ずっとずっと前に用意していて……ああ、それで古びて見えたのかな。だから嫌だったのかな。ごめんね?」


「ち、……ぁ」


 舌がもつれて、声が出ない。彼の眼はどこか傷ついた獣のような、それでいて爆ぜる直前の竹のような、何か恐ろしい色合いを秘めて私を見ている。

 彼は私の手を取って、私を抱きしめて、縋り付いて震えていた。溺れる者が藁を掴むように、私の髪を少し強く引っ張る。肩に顎を載せて、私から失せた心臓の鼓動を探すように胸に手を当ててきた。


「でも、ごめん、これは新しいものを用意するとか、ちょっとできなくて。受け取って、受け取ってよ。どうして。僕を拒まないで。きみは、きみは僕の小鈴シャオリンなのに!」


 彼は多分、途中から自分が言っていることを理解していなかったのかもしれない。悲鳴に似たその言葉に、初めて彼の本音の一端を聞いたような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る