第25話 名前を決める、また物を貰う
人魚の名前を悩んでる間に、多分、何日かが過ぎた。その間もこの小さな命は、名前がないことなんて構わないという顔で球の中を泳いでいたけれど。結局、単純な名前がわかりやすくてよいのではないか、と思った。
「単純ではありますが、
「きみのものだもの、きみの好きにしたらいいんだよ」
私のところに来た彼にそう報告するも、彼は名前の決まった
「ねえ、何か足りないものはある? もしも糸が足りないからできないって思ってるなら、僕に言ってくれれば用意するから。だから、僕に素敵なものを用意してよ」
彼が、私へ無邪気にねだる。前よりは沢山眠っていたからか動くようになった体で、私は手巾に合う刺繍の図案になるものを探していた。そういえば、投獄される直前も。私は刺繍をしていた。あの時の婚礼の衣装は、きっともうなくなってしまったけれど。完成させた鶴の出来栄えを見て、これなら、と自分を褒めていたことを思い出す。
今の私は、この人の妻だけれど。あの時の私は、別の誰かの妻になろうとしていた。あれは、誰だったのだろう。この世界にいる人なのだろうか。私がここで甘やかされていることを知って、その不実を恨んでいるのだろうか。彼が消してしまったのか、どんな人なのかまったく思い出せない。会ったことのない人の、絵姿を見ていた実感だけはある。
「ええと……何がいいか、迷ってしまいまして。こんなに良くしてくださる、あなた様への贈り物ですもの」
あの時刺していた鶴や南天をまた刺す気にはなれなかったのも、図案に迷ってた理由のひとつだと。私は彼に話すことはないだろう。
「そうだ、刺し始めるときに用意が足りなかったなと思ってね。はい、これ」
滑らかな飴色の、細かな植物柄の装飾がついた木箱を渡された。一族の家紋とは違う、唐草と菫の模様。中には銀色の針と黒い握り鋏、そして様々な色糸が並んでいる。やけに古びて、大切に手入れをされた、裁縫箱だった。
「あのう、これは誰かのものではないんですか?」
「どうして? ここにあるものは全部、
使い込まれた、とは違う。ただ、箱は古びていた。撫でられて少しすり減った蓋に対して、内側に張られた葡萄色の布は鮮やかだ。張り替えたのかもしれないけれど、触られても開かれなかった箱だと直感的に思った。
誰かの手のついたものを、嫌だと思ったのではない。ただ、これをもらっていいのかという思いがあった。
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