第21話 名前と服と

「名前……名前かあ」


「まあ、すぐじゃなくていいよ。そういうことがあると、きみも張り合いがあって楽しいでしょう?」


 彼はそう言って、人魚に「しっかり彼女を守るんだぞ」と言いつけた。ここには危険がないという話だけれど、念には念を入れたいのだろう。


「あなた様、その、ここは安全なのでしょう? だったら、私のことは大丈夫だと思うんです」


「僕はもう二度と、きみのことを失いたくないんだよ。……風が少し強いな」


 パン、と軽く手を叩くと、彼の手に上等な絹の上着が現れた。夜空のような紺色に、金の糸で小さな刺繍がいくつか施してある。


「ほら、これを着て」


「きっともう、風邪なんて引きませんよ」


 だって私はもう、死んでるんですもの。けれど彼は心配しているのか、私に袖を通すよう差し出してくるのでそのまま羽織った。やっぱり寒かったみたいで、暖かく感じる。



「確かに風邪は引かないかもしれないけどね。寒そうにしている姿を見るのを、僕が嫌なんだよ」


「そうですか……ありがとう、ございます」


 素直にお礼を言うと、彼は「あまり装飾のついてない服も似合うね」と笑った。


「あの、沢山服をいただいてしまって、まだ全然着られていなくて……」


「いいんだよ、僕が用意するのを楽しんでいたから。沢山着て、沢山僕に見せてほしいんだ」


 彼は半ば独り言のように、「やっぱり刺繍の少ないものも似合うし、また誂えさせるのもいいな……」と呟いていた。


「え、もしかして、また増えるんですか……?」


「うん。だって、着せるのが楽しいって思ったんだ」


 全然着られていないのに。まだいくつかある衣装箪笥のうち、ひとつだって全部着られていないのに。


「さらに増えてしまったら、その、お部屋が埋まりませんか……?」


「そうしたら、衣装部屋を作るだけだよ。僕がちょっと意識を向けてやれば、部屋を作り替えることは難しくないからね。だって、ここは僕が作った場所だ。僕が思えば、僕が望んだように衣装部屋くらい簡単に作り出せるよ」


 まるで神様のようなことを、さらっととんでもないことを言われた。でも思えば鏡の中に世界を作り上げているというし、一度死んだ私のことを生き返らせてもいる。部屋をひとつふたつ増やすくらい、それらと比べてみたら簡単にできることなのだろうと納得した。


「だから、この人魚が大きくなったら、水球を大きくもするし、部屋だっていくらでもなんとでもできるからね」


 彼は私が何かをねだるのを、望んでいるのだろうか。そう思ったけれど、あまり思いつかなかった。

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