第22話 散る花と声

 はら、はらと。花が落ちる。花が散る。花びらが私の耳元を通る時、かすかに人の声がする、気がする。文字通りにこの世ならざる桜だから、だろうか。


「あの、あなた様」


「どうしたの?」


「その……この花は、ものを言うのでしょうか」


 彼はその言葉に随分と目を丸くしてから、柔らかく笑って私の耳を塞いだ。優しい手つき……もう死んでいる私の体は、乱暴にされたところで傷つくこともないだろうに。


「僕は、聞いたことはないね。疲れてしまったのかな、部屋に戻った方がいいかも……」


「い、いいえ、気のせいかもしれない、ですから」


 部屋が嫌なのではないけれど、この穏やかで刺激のある時間と美しい景色に、もう少し未練があった。


「まだ、もう少し、ここにいたくて」


 彼の手にちょっぴり力が入って、顔をすり寄せてきた。甘く薫き染めた香の匂いに、彼自身の匂いがほんのり混ざってることに今気づいた。かすかに、覚えがある気がする。やっぱり知らない人ではなかったんだろうけれど、思い出せそうになかった。それが、とても苦しくてもどかしい。愛してくれることに、応えたいのに。


「今度は、将棋とか囲碁とか、そういう遊びをしてみてもいいかもね。やれるよね?」


「どちらも、少しだけ……でも、あまり強くないですよ」


 確か生前、父さんから教えてもらったはずだ。父さんや兄さんに、遊んでもらった記憶を少し思い出した。


「もらってばかりで、申し訳なくて……何か、差し上げられるものがあると、いいんですけれど」


 彼は私の言葉に、何故かどこか傷ついたような顔をした。けれどそんな表情をすっと消して笑って、「じゃあ手巾がいいな」と言った。


「きみの刺繍をしてもらった、手巾が欲しいな。図案は任せるよ、きみの好きにしてくれればいい」


「そんなもので、いいんですか?」


「そんなもの、なんかじゃないよ。きみのが、いいんだよ」


 彼はそう言って、私の手を取った。指に指を絡めて、頬擦りをする。私はただ、私の夫であり庇護者でもある彼の好きにさせていた。


「まあ、それでは、何の図案にしましょうか。桜に、鳥に……あの部屋の中にも、素敵なモノが沢山ありますもの。参考になるものに溢れていて、考えるのがとても楽しくなりそうです」


「何か見たいものがあったりしたら、いくらでも言ってね。なんでも用意させるから」


 彼はそう言ってくれたけれど、ただでさえ沢山あるモノからさらにもらうのは申し訳なくて。せめて素敵な手巾にしようと思っていると、彼は私の膝枕でうつらうつらとし始めた。

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