第61話 ワレイザ砦攻撃③

 ワレイザ砦の主城にあたる建物。その3階部分の一番広い部屋。

 そこは通常は会議などに使われる部屋だったが、現在机や椅子のほとんどは破壊されてしまっている。この部屋に籠って反逆者と戦った者達が障害物として使った結果、壊されてしまったからだ。

 窓のない部屋だったが、魔法のランタンが複数灯されており、中は普通に明るい。

 今、その部屋にいる生者は2人だけだった。


 1人は割腹の良い髭面の大男。傭兵団“雷獣の牙”の幹部を務めるバルオンとい名の男だ。

 バルオンは、部屋の奥の方に置いた壊れていない椅子に、上半身裸というだらしない格好で座り、右手に酒瓶を持ってラッパ飲みしている。


 その足元には1人の女がうつ伏せで倒れ込んでいた。女は全裸で、その淡い褐色の肌は傷だらけだった。

 外見上は10代半ばに見える華奢な体格の女である。だが、短く切りそろえた茶色の髪の間から垣間見える先の尖った耳が、人間以外の種族の血もひいている事を教えていた。

 彼女の名はアメリア・ヨーセイン。ヴェスヴィア辺境伯家に仕える騎士の家系に“取り替え子”として生まれたハーフドワーフで、この砦で守備隊の副隊長を務めていた者だ。


 無残な凌辱が行われたことが容易に想像できる状況である。だが、行われたのは凌辱だけに留まらなかった。

 アメリアの体のそこかしこには、苛烈な暴力を振るわれた跡が残っている。

 普段は見る者に可愛らしい印象を与える顔には青あざが出来ていて、唇の端も切れて血を流した跡がある。

 体には擦り傷や打撲の跡のみならず、酷い蚯蚓腫れや切り傷、刺し傷すら出来ていた。特にふくらはぎずたずたに切り裂かれ、満足に立つことも出来そうにない。

 そして、首には絞められた跡があり、その上荒縄を巻かれている。その荒縄の一方の端をバルオンが左手に持っていた。


 更に言えば、この場に生きているのはこの2人だけだが、周りには5体の死体があった。中でも1体の男の死体は壁に張り付けられている。それは、このワレイザ砦守備隊の隊長で、アメリアの夫だった人物の遺体だ。

 この部屋に立て籠もった者達に手こずったバルオンは、意趣返しとして夫の死体の目の前で捕らえたアメリアを散々に犯し暴行を加えるという蛮行に及んだのである。


 右手に持った酒瓶の酒を大方飲み干したバルオンは、酒瓶を投げ捨てた。そして、左手の荒縄を乱暴に引っ張る。


「ぐッ」

 アメリアの半身が無理やり引き上げられ、彼女はくぐもった声を上げた。

 しかし、アメリアは両腕を立てて上半身を支え、怒りと憎悪に満ちた顔をバルオンに向ける。

 それを受け、バルオンが楽しそうに声をかけた。


「へッ、まだ、心は折れません。ってか? 大したもんだな、副隊長さんよ。さっきまで、随分可愛らしい声で鳴いてくれてたのによ」

「くッ!」

 アメリアは目をそらした。


 バルオンは邪な笑みを深めて言葉を続ける。

「まあ、せいぜい頑張ってくれや。その方がこっちもやりがいがあって楽しいからよ。まだまだ、こんなもんじゃあ済まさねぇから、今から覚悟を決めとけよ」

 そして、荒縄を右手に持ち替えて更にアメリアを引き寄せる。そうして、アメリアの顔を自分の顔の近くまで寄せると、歯を食いしばるアメリアの耳元で告げた。


「言っとくが、俺だけ相手にしてりゃあいいわけじゃあねぇからな。

 俺が手前の事を飽きるまでかわいがってやった頃には、うちの連中も、他の女共に飽きて来てるだろうからよ、手前もあいつらにくれてやる。

 30人からにやられて、いつまで保つかな? へへッ」


 アメリアは身体が震えるのを止めることが出来なかった。彼女は、絶望の淵にぎりぎり立っているような状況だった。

 命ある限り絶対に諦めてはならない。どんな目に会おうとも、一刻でも長く生き残り、なんとしても反撃の糸口を探る。その覚悟で暴虐に耐えてきた。

 だが、この後に己に対してなされることを想像すると、いつまでも耐えられるとは思えなかった。


 震えるアメリアの身体に、バルオンが左手をのばす。

 アメリアは、一層強く歯を食いしばり、苦痛の声をあげまいと耐えた。


 そのような陰惨な行いがなされている部屋の扉の前で、エイクはバルオンの発言を聞き取っていた。

 エイクは、オドの感知能力を頼りにその部屋の前に至り、念のために中の様子を窺った。

 扉はかろうじて外れておらず、締められていたが、破損しており隙間から中の物音が漏れていた。卓越した野伏でもあるエイクには、それを問題なく聞き取ることが出来た。

 そして、エイクが様子を窺い始めてからさほど間を置かずに、バルオンがしゃべり始めたのだ。


(捕らえられているのは、副隊長。例のハーフドワーフの女性という人か。確か名前はアメリア・ヨーセインというのだったな)

 エイクはベアトリクスからその女副隊長の事をある程度は聞いていた。


(出来れば、この人は助けたいな。だが、ただ突っ込んで攻撃するだけで助けられるとは思えない)

 エイクはそう考察する。


 エイクは錬生術の奥義を用いて気配を完全に消し、極めて見つかり難くなることが出来る。しかし、透明になれるわけではない。

 もしも扉が開け放たれているなら、隙をついて気付かれずに潜入できるかもしれないが、閉まっている扉を開けたなら、流石に注意を引き見とがめられてしまうだろう。

 エイクは軽く扉に触れて、鍵などは掛かっていないと確認していた。つまり、鍵をこじ開ける必要はない。しかし、だからと言って見つからないはずはない。


 また、オドがあるのは部屋の奥の方で扉からはそれなりに距離がある。室内には障害物がある可能性もあるし、踏み込んでも一気に接近できる保証はない。

 加えて、室内にあるオドはそれなりに強いように思われる。仮にエイクが本気を出したとしても、一撃で倒せるとは限らない。


 一気に接近できなければ、或いは接近しても一撃で倒せなければ、敵は捕虜の女を人質として使うかも知れない。

 もしそうなっても、エイクは攻撃を止めるつもりはなかった。女を助けるために己を犠牲にするつもりなど更々ないからだ。そうなれば敵は腹いせとして女を殺すだろう。


(ベアトリクスの気持ちを考えるなら、助けるために最善を尽くすべきだ。……成功する可能性は低いが、それでも一応おびき出す事を試してみるか。無策に突撃するよりはましだろう)

 そう考えをまとめたエイクは、右腰の鞘からスティレットを引き抜くと床に向かって投げた。

 カランッ、と、そんな音を立ててスティレットが床に転がり、魔道具“取り戻す手鎖”の効果によって速やかにエイクの右手に戻る。


「なんだぁ?」

 その音を聞き取ったバルオンが扉の方に向かってそう声を出した。しかし、扉に向かって動く様子はない。


(だめか。何度も同じことをして、大声で仲間でも呼ばれたら面倒だ。次の手を打とう。下手な芝居を演じて恥を晒すだけになるかも知れないが、物は試しだ)

 エイクはそう考えた。


 エイクが試そうと考えたのは、思い切り弱い振りをしながら部屋の中に討ち入り、敵相手に啖呵を切る。という行為だ。

 侵入してきたのが強者なら、女を人質にしようとしたり、仲間を呼んだりしようとするかも知れない。だが、弱者に見えたなら、とりあえず自分で捕らえようとする可能もある。と、そのよう考えたのだった。


(かなり不自然な状況になるから、思惑通りに事が進むとは限らない。だが、失敗しても、俺が恥をかく程度で別に損はない)


 その様に決断したエイクは、クレイモアを握り直すと、思い切って扉を開けた。

 そして、殊更におぼつかない足取りで部屋に駆け込んで、バルオンの方を向いて口を開く。

「き、貴様は、雷獣の牙の者だなッ。か、覚悟しろ。俺が、う、討ち取ってやる!」


 突然室内に入って来たエイクを見て、その声を聴いたバルオンは、一瞬驚いて動きを止め目を見開いた。だが、一拍おくと、訝し気に目を細め、気の抜けた口調で問いを発した。

「……はぁ、なんだぁ?」

 実際、今の状況は相当に奇妙なものだ。


 黒い布を巻いて顔を隠した男が、部屋に飛び込んで来た。身に着けている皮鎧も黒く、暗殺者のようにも見える格好だ。

 しかし、手にした武器は大ぶりなクレイモア。とても暗殺者が用いる武器とは思えない。

 その上、奇襲するどころか啖呵を切った。

 しかも、勇壮なセリフの割にはその声は小さく、震えてすらいる。足取りはおぼつかないし、体幹はぶれているように見える。


 クレイモアは下段に構えられているのだが、その剣先は床についており、下段に構えているというよりは、重くて普通に持てないようだ。真面に戦えるとはとても思えない。

 まるで、ずぶの素人が、格好だけ整えて強がっているかのように見える。

 そんな男が、砦内のこんな場所にまで侵入して来た。いったいどういう状況なのか、バルオンには理解が出来なかった。


 バルオンに甚振られていたアメリアも、苦し気な様子ながら、エイクに向かって懸命に声を上げた。

「に、逃げなさい。あなたが敵う、相手じゃあない」


 アメリアは、侵入者に気づいた瞬間、助けが来たのかと考えた。だが、侵入者の様子を見て、直ぐに逃げるように告げた。

 侵入者が誰なのかは分からないが、自分や夫よりも強いバルオンを相手にしては、無駄死にするだけだ。と、そう思ったからである。

 この時、アメリアの目にもまた、エイクはそのような弱者にしか映っていなかった。

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