第94話 報告を受ける者

 夕暮れ時。

 チムル村南方におけるアストゥーリア王国軍と妖魔軍の戦いは、アストゥーリア王国軍の勝利に終わっていた。

 それも、桁外れの圧勝といってよい結果だった。


 約5000の妖魔の内死者は4500以上。実に死亡率9割を超えている。

 対して、アストゥーリア王国軍の死者は僅かに32人に過ぎない。

 いかに敵の多くが下級妖魔だったとはいえ、古今稀な大勝利と言ってよいだろう。


 だが、アストゥーリア王国軍の司令官たるメンフィウス・ルミフスに喜びはなかった。

 むしろ彼は、己の不甲斐なさに対する怒りと激しい焦燥に苛まれていた。この戦術的な大勝利が、自軍の目的を達するものではないと理解していたからだ。

 そして恐らく、敵の目的を阻むものでもなかった、と。


 結局妖魔軍は、殆ど最後の最後まで士気を崩す事はなかった。

 妖魔の数が減り、包囲陣が縮小して、敵首領まで問題なく攻撃が届くと判断した時点で、メンフィウスは冒険者らの援護を受けながら、ようやく自ら敵首領に攻撃を仕掛けた。そして、これを討ち取る事に成功した。

 これをきっかけに、ついに妖魔軍は崩壊した。その時点で生き残っていた500を切る妖魔たちは、散を乱して逃げ散った。

 だが、それはつい今しがたの事だ。妖魔軍の目的が時間稼ぎだったならば、彼らは目的を達しているのである。


 いずれにしても、アストゥーリア王国軍の目的であるチムル村の迅速な救援が失敗した事は間違いない。既に相当の時間が経過している上に、アストゥーリア王国軍は直ぐに動ける状態ではなくなっているからだ。

 実際、残されたアストゥーリア軍将兵には、勝利を喜ぶ余力すらなかった。彼らの多くは疲労困憊し、その場に座りこんでいる。そして、そのほぼ全員が負傷者だった。


 アストゥーリア王国軍の死者が極めて少なく済んだのは、前線に立つ兵が負傷すれば、速やかに後方の者と入れ替わり、手当てを受けて復帰するということを繰り返したからだ。そうやって、死ぬまで戦う事がないように極力努めたのである。必然的に負傷者の数は増大した。

 結果として、ほぼ全員が負傷していたのだ。

 中には、直ぐには戦えない重傷者も500以上いる。


 つまり、死者は少なかったものの、短期的に見れば2分の1近くの兵が戦えなくなっているのである。

 それ以外の者も、ほぼ全員が負傷しているのだから、戦力は激減していると言わざるを得ない。

 加えて疲労も限界近くに達しており、このまま戦うのは不可能だ。


 メンフィウスは、やはり即時の行軍再開を断念するしかなかった。

 今はとにかく、周りの警戒と野営の準備を行わせ、合わせて比較的軽傷の者を選抜して、その者達だけを率いて明日の夜明けと同時に行軍を再開する。それしかないと思えた。


(戦力はまるで足りない、こんな状況でチムル村に行っても、守備部隊諸共死ぬことになるだけかも知れない。そもそも、もう間に合わない可能性も高い。だが、これ以上手を拱いているわけにはいかない。

 あるだけの戦力で、出来るだけのことをするしかない)

 メンフィウスは自軍の様子を見ながら、悲壮な決意と共にそう考えていた。


 そのメンフィウスに1人の炎獅子隊員が駆け寄って来た。 

「隊長、伝令です。伝令の者がこちらに向かって来ています!」

 その隊員は北を指差しながらそう告げた。

 メンフィウスがその者が指し示す方を見ると、確かに伝令と思われる騎兵が見えた。

「……」

 メンフィウスは嫌な予感を懐いた。

 彼の予想では、場合によってはチムル村が陥落してもおかしくない頃だったからだ。


 その伝令はメンフィウスの近くまで来たところで馬を降り、駆け足で更にメンフィウスに近づく。

 メンフィウスはその伝令の表情が悲痛なものではなく、むしろ明るく見えたことから、どうやら最悪の報告ではないらしいと考えた。

 その考えは間違ってはいなかった。

 伝令はメンフィウスの前に跪いて報告を告げる。


「チムル村守備部隊よりの報告を伝達いたします。

 守備部隊は、村に攻め寄せる妖魔共を撃退いたしました。妖魔は総崩れになって退きました。

 我々の、勝利です!」

「おお!」

 メンフィウスの近くでその報告を共に受けた炎獅子隊員が、そんな感歎の声を上げる。


 メンフィウスも思わず目を見開き、次いで右手で握りこぶしを作った。彼もまたこの朗報を受け、感じるところが大きかった。

「そうか。ベネスとマチルダ達がやってくれたか……」

 メンフィウスはそんな言葉を述べた。


 その言葉に、伝令の男が興奮気味に応える。

「はい、ベネス副隊長、マチルダ参謀をはじめ、将兵一同、冒険者や村人も含めて、皆見事な働きでした。

 ですが、妖魔が壊滅し村が救われたのは、援軍あったればこそ、です」

「援軍とは?」


 伝令の言葉を聞いたメンフィウスは、訝しげにそう問うた。彼には思い当たる事がなかった。

 北のサルゴサの部隊も足止めを喰らっているという連絡が来ていたし、王都アイラナに残る者達が何らかの対応をするには、まだ時間が足りないはずだからだ。

 伝令が答える。


「エイク・ファインド様です。前隊長ガイゼイク様のご子息のエイク様です。

 あの方が、敵の首領とその側近の部隊を全て討ち果たし、妖魔を追い払ってくれたのです!」

「ッ!」

 その報告を受け、メンフィウスは息を飲んだ。


「……詳しく、教えてくれ」

 メンフィウスは一拍おいてから、伝令に向かってそう告げた。

 彼は、自分が激しい高揚を覚えている事を自覚していた。一刻も早くエイクの事を聞きたかった。







 同日夜。

 ローリンゲン侯爵家現当主であるフェルナン・ローリンゲンが、王都アイラナにある侯爵家の屋敷の、最も奥まった応接室でソファーに座っていた。


 フェルナンは現在37歳。歳は前当主である甥のフォルカスとそれほど離れていない。彼は、前々当主の、歳の離れた弟だった。

 金髪を奇麗に整えており、その姿形は甥と同様に優雅という印象を与えるものだ。

 だが、その体躯は、少なくとも甥よりは遥かに鍛えられており、戦士としての実力も相応に高いように見受けられた。

 彼は、その優男といってよい顔に不快気な表情をうかべていた。

 

 フェルナンは今、客人が応接室にやってくるのを待っていた。

 急な客人の到来を告げられ、必要な準備を整えて応接室に入り、客人を連れてくるように使用人に指示を出していたのである。


 トントン、とノックの音が響いた。

「入れ」

 フェルナンがそう告げると、扉が開き、使用人の男が入室してきた。

 その男は、フェルナンが当主になった際に新たに雇い入れた者だ。


「ナースィル様をご案内いたしました」

「通せ」

 フェルナンの言葉を受け、使用人の男が後ろに向かって「どうぞこちらへ」と声をかける。


 すると、60歳過ぎくらいに見える、痩せた白髪の男が応接室に入って来た。賢者の学院が支給する、白色の簡素なローブを身につけ、白い顎鬚を伸ばしている。

 如何にも老賢者といった面持ちだが、その表情は険しいものだった。

 その男は、セレナがエイクに対して“虎使い”の容疑者として告げた、賢者の学院に属する賢者の一人、ナースィルで間違いなかった。


 フェルナンが顎を動かし、使用人に退出を促すと、使用人は速やかに部屋を出て扉を閉めた。

 ナースィルは、特に物怖じする様子もなく、フェルナンの向かいのソファーへ歩みを進める。

 フェルナンはソファーに座ったまま、そのナースィルに声をかけた。


「こんな時間に、直接やってくるとは、どうせ碌な話ではないのだろう?」

 フェルナンは前置きもなくそう告げた。

 既に人払いは済んでおり、この部屋は防音も十分に整っている。周りを気にした言動をとる必要はなかった。


 ナースィルもソファーに腰を下ろしつつ、険しい表情のまま答える。

「如何にもその通り。連絡があったのだ。妖魔共を使った例の作戦だが、失敗した」

「そうか。急な計画だったからな。残念だが、それも止むを得まい」

 フェルナンは、若干顔をしかめつつそう告げた。


 ナースィルは首を横に振りつつ答える。

「いや、あのエレシエスというオーガは良くやっておったそうだ。介入者の存在がなければ、少なくとも最低限の役割は果たせたはずだったらしい」

「介入者とは?」

「エイク・ファインド」

「またか」

 ナースィルの言葉を聞き、フェルナンは眉間に皺を寄せ、不快そうな様子でそう告げる。


「ああ、奴の介入は想定されておったが、その影響は想定を超えてしまった。

 エレシエスとその側近達は全滅だ。20名以上が身命を捧げたが、それでも奴を倒すことは出来なんだそうだ」

「そうか……、全滅か。

 神王様に身を捧げた者の誉を祝そう」

 フェルナンは、そう告げると目を閉じた。

 ナースィルもまた、それにあわせて目を閉じる。


 しばしの間黙祷を捧げてから、フェルナンは目を開き言葉を続けた。

「しかし、エイクという男、面倒な存在になったな」

「如何にも。役に立つかと思っておったが、逆に邪魔になってしまった。父親と同じよ」

 ナースィルはそう告げた。


「それでは、最期も父親と同じになるのかな?」

 フェルナンがそう返す。

 だが、ナースィルはまた首を横に振ってから告げた。

「いや、どちらにしても、状況が変わっておる以上、そんな事をしておる暇はない」

 

「そうだな。だが、無視するわけにも行かないだろう」

「左様。最初からその存在を組み込んで計画を練るか、そうでなければ確実に介入されぬ状況を作り、その上で行動せねばなるまい。

 どちらにしても、状況が変わり、方針が転換されておる以上、各地の同志達も間もなく動き始める。

 肝心の我々が後れを取るわけには行かぬ。早く進めねばいかん。

 次は、我々の番だ」

 ナースィルは厳しい表情でそう告げた。


「ああ、良く分かっている。全ては神王様の為に」

 フェルナンもそう答える。

 そして、ナースィルが、それに対して更に応じた。

「如何にも。全ては、神王様のために」


 この会話は、彼らがダグダロア信者であり、更なる行動に移ろうとしていることを示していた。

 エイクとアストゥーリア王国軍は、ダグダロアを奉ずる魔族の大軍に勝利した。だが、ダグダロア信者の策動は終わってはいないのである。

 むしろ、その動きはより大きなものになろうとしていた。

 ダグダロアに最終的な勝利を捧げ、その目的を達する為に。

 ダグダロア信者とは、その為ならば、我と我が身の全てを投げ捨てる事すらも、厭わない者達なのである。


    ――― 第4章 完 ―――

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