第86話 魔族の本隊を攻める②

 エイクにその動きを探られている魔族軍の本隊は、森の中の比較的開けている場所を本営にしていた。そこには、現在52名の魔族が残っている。

 内訳はオーガが10、ダークエルフ6、ドヴォルグ1、トロール5、オーク10、ボガード20である。

 ボガードは1体残らず普通の個体よりも遥かに強い者達であり、中級下位や中位の冒険者と同格といえるほどだった。

 オークとトロールも同様にかなり鍛えられた者たちで、中級上位から上級に手が届くほどの者もいる。


 オーガ、ダークエルフ、ドヴォルグの闇の担い手達も優れた者が揃っている。

 中でも、1人のオーガの実力は抜きん出ていた。

 その剣の腕は、冒険者の級位で例えるならば既に上級の枠を超え英雄級と称されてもおかしくないほどになっている。加えて神聖魔法にも通じており、その魔法の腕でも上級上位に位置づけられるほどだ。

 しかも、オーガという種が得ている加護のお陰で、武器攻撃と魔法をほぼ同時に扱うことが出来る。

 つまり、戦闘においては、彼1人で優秀な戦士と神聖術師の2人分の活躍が出来るということになる。

 このオーガこそが、今回の大規模な作戦全体の総司令官だった。

 名はエレシエスといった。


 エレシエスは、色白の肌と癖のある金髪を持つ長身の男で、その額と左右の側頭部から1本ずつ合計三本の角を生やしていた。それぞれの角はいずれも湾曲し、上へと伸びている。

 動きやすさを重視した板金鎧に身を包み、魔法のグレートソードを手にしている。

 その顔は美しいと称してよいほどに整っていたが、今は厳しい表情を見せていた。


 エレシエスに次ぐ実力者として2人の女がいた。

 1人はエレシエスの右斜め後ろに立つダークエルフ。濃い褐色の肌に長い銀髪の女だった。

 魔力を帯びたミスリル銀製の銀色の板金鎧を身に着け、レイピアを腰に佩いている。

 リシアーネという名で、彼女もまた上級上位と言えるほどの精霊術師であり、同時に剣士でもあった。そして、参謀役として深い知識を身につけてもいた。

 その彼女もまた、怜悧な美貌に険しい表情を浮かべている。


 もう1人はオーガの女だ。名はモニサといった。

 彼女はエレシエスの左斜め後ろに立っている。

 その頭頂部には1本の角が生えているが、それは小さく、短めの茶色の髪の間に隠れるほどで、一見すると人間の女のように見えた。

 彼女はその特徴を活かして、光の担い手達の社会に忍び込んだりする事もある密偵役だった。本当は角を折ってしまえば、より一層人間達に紛れ込みやすくなるが、角を折ることはオーガにとって最大の屈辱である為、そのようなことまではしていない。


 斥候としての技量も相応に身につけているが、それ以上に神聖術師と軽戦士の技術に長けており、これもまた上級上位と言えるほどの腕前だった。

 ソフトレザーアーマーと2本の短剣を装備して、その上にフードつきのローブを羽織っていた。ローブは“認識阻害”の効果が付与された魔法の品で、着る者を意識され難く、また記憶にも残り難くする効果がある。

 魅力的な容貌に、勝気な表情を浮かべている事が多いモニサだったが、今は彼女の表情もまた厳しいものだ。


 他にも上級中位と言えるほどのオーガが3人おり、それ以外の者も上級下位や中級上位くらいの力量を有していた。

 人数以上に相当の戦力が集まっていると言える。

 だが、その者達もまた、一様に厳しい表情を見せていた。

 鋭敏な感覚を持つ彼らは、森の外から聞こえてくる音を聞き取っており、何事か想定外の事態が生じた事を察していたのだ。


 そもそも、彼らは随分前から相当に不機嫌だった。作戦が必ずしも順調とは言えない状況だったからだ。

 本来なら、今頃妖魔達はチムル村を攻め落とし、村人たちを血祭りにあげている予定だった。

 そして、更にその先にある村々も襲って、女を犯し、子を切り刻み、阿鼻叫喚のこの世の地獄を現出させているはずだったのである。

 アストゥーリア王国西部を悲劇の舞台とし、王都アイラナの住民の心胆を寒からしめる。それが作戦の第一段階だった。だが、実際にはチムル村はまだ持ちこたえており、悲劇の幕は上がっていない。


 それでも、どうにか今日中くらいにはチムル村を陥落させ、最低限の目的は果たせそうだ。そう思っていたところに、何やら想定外の事態が起こってしまったらしい。

 速やかに状況を把握して対応しなければならない。


「遅いな」

 エレシエスがそう呟いた。

 森の外で何か変事が生じたなら指揮部隊から伝令が来るはずだ。それがいつまでも来ない。そればかりか、こちらから送った伝令すら戻って来ない。

 普通では考えられない事だ。何者か、伝令の動きを妨害する者がいる事が推測される。


「私が様子を見てきましょう」

 モニサがそう提案する。

「いや、お前は軽々に動かない方が良い」

 だが、エレシエスはそう述べてモニサの提案を却下した。


「出しゃばるな、モニサ」

 リシアーネが強い口調でそう告げ、モニサに向かってきつい目を向ける。

 モニサはそのリシアーネを睨み返した。


 リシアーネとモニサは共にエレシエスの副官であり、その寵愛を受ける者でもある。

 時には同時にエレシエスの夜の相手を務めることもある2人だったが、その仲は良好とはいえず、公私に渡って競い合う間柄だった。


 エレシエスは剣呑な雰囲気の己の女2人を無視して、近くに居たトロールに声をかけた。

「お前の隊で様子を見に行って来い。敵と遭遇した場合は、戦う事よりも情報を持ち帰る事を優先しろ」

「分かりました」

 そう応えたトロールは、もう1体のトロールとオーク1体、ボガード3体を引きつれ、指揮部隊の方へと向かっていった。


 その妖魔の一隊が木々の合間に姿を消してからしばらくして、怒号と剣戟らしき音が聞こえて来た。

 予想通り敵の襲撃を受けたのだろう。

 エレシエスはトロールたちが命令どおり情報を持ち帰るのを待った。

 だが、戦いの喧騒は直ぐに途切れる。そして、こちらに戻って来る者は誰もいない。


 エレシエスは、驚きを禁じ得なかった。

(あの連中が、1人も逃げる事も出来ずに、これほど素早く倒されたというのか!)

 そう解釈せざるを得ない状況だ。

 他の者達も一層厳しい表情を浮かべている。誰もが事態の深刻さを認識しているのである。


「……エレシエス様、こうなれば、全員でボルガドの近くまで移動すべきではないでしょうか」

 リシアーネがそう提案する。

 エレシエスにもそれが妥当な判断だということは分かった。

 

 自分達は今、何らかの敵によって外の情報を遮断されている。

 そして、森の外で変事が起こっているのは明らかであり、自分達の役割を考えれば、その状況を把握しないわけにはいかない。

 だが、敵はそれなりの手練だった妖魔6体を速やかに始末してしまうほどに強い。

 普通に考えれば相応の数の集団か、とてつもなく強い個体がいるものと思われる。

 そんな侮れない敵がいることが明らかなのに、戦力を分散させるべきではない。

 残された全員で森の外の指揮部隊の元へと向かい、確実に状況を確認するとともに、戦力を結集すべきだろう。


 しかし、エレシエスはそのように行動する事を躊躇った。

 なぜなら、出来る限り闇の担い手の姿を見られないようにしろと指示されていたからだ。

 そしてまた、今最も優先すべきなのは自分の身を守る事だと考えていたからでもある。


 今ならまだ、この場に闇の担い手達がいることは誰にも知られていないはずだ。

 何しろ、厳重に周囲を警戒している優秀な見張り達からは、異常を告げるいかなる合図も出ていないのだから。

 つまり、敵対者は本隊の近くにまでは至っておらず、見張りの警戒範囲の外で行動しているのである。エレシエスはそう判断していた。

 だが、17名に及ぶ闇の担い手達を含む全員で森の外近くまで動けば、その過程で間違いなく敵にその姿を見られてしまう。それは出来る限り避けるべきことだった。


 最優先すべきなのが自身の身の安全だというのも間違いない事実だ。

 それは、保身故の考えではない。今回の作戦の全貌を把握しているのはエレシエス一人だけだったからである。

 その自分が死んでしまえば、それだけで作戦の完全な成功は望めない。


 そして、我が身の安全を重視するならば自分はこの場から動くべきではない。

 この場ならば見張りの者達が周囲を監視している上に、比較的開けていて奇襲を受ける可能性は殆どない。

 それに比べれば、鬱蒼とした森を歩く方が敵に忍び寄られて奇襲を受け、自身の身が危険に晒される可能性が高くなってしまう。


 そのような事を考えたエレシエスは、結局部隊を分ける事にした。

「いや、私はこの場を動くわけにはいかない。

 モニサ、妖魔を20連れて森の外に向かい状況を確認してくれ。ただ、おまえ自身は絶対に見咎められないように、十分に気を配れ」

「畏まりました」

 モニサはそう応えると、速やかに20体の妖魔を選抜した。内訳はトロール3、オーク6、ボガード11である。

 そして、自身はフードを目深に被ってその容貌を隠し、“認識阻害”の効果を発動させた上で、森の外へと向かった。




 モニサは妖魔たちに先を歩かせ、自身は後方に位置して周囲を注意しつつ森の中を進んだ。

「オッと」

 すると前を歩いているオークがそんな声を上げた。

 どうやら何かに躓いて転びそうになったようだ。

「気をつけろ」

 モニサは低い声で短く注意する。

 そのオークは無言で頭を下げた。


(何を気の抜けた事をしているんだ)

 モニサはそう考えて心中で舌打ちをした。

 状況を考えて長々と叱責したりはしなかったが、妖魔たちの動きに不満があった。少し前にも、声こそ出さなかったが1体のトロールが体勢を崩しそうになっていたのである。


(もう直ぐ見張り達の索敵範囲を出るはずだ。一層気をつけなければならないのだぞ)

 モニサはそう思って自らも気を引き締めた。

 今モニサたちが歩いている場所は、周囲を警戒する見張り達が索敵できる範囲内のはずである。

 モニサにさえ居場所を悟らせないほどの技術で、どこかに見張りの者が身を隠して、周りの様子を伺っているはずだった。

 しかし、これ以上進めば、そろそろ見張り達の目も届かなくなる。敵はその先にいるはずだ。

 モニサはそう考えていた。


 だが、その前にモニサは異常を察知した。

 血の臭いが漂っている事に気付いたのだ。

 更に良く見れば、妖魔たちが歩くより先の地面に、乱れた跡があるようだ。

 それは、先行した6体の妖魔が倒されたのがその場所だということを示唆している。

「止まれ!」

 モニサは鋭い声でそう命じた。妖魔たちは速やかに動きを止める。


(見張り達は何をしていたんだ!)

 モニサは反射的にそう思った。だが、直後に自ら答えを導き出した。

 あの優秀な見張り達がいれば、この場所で起こった戦いを見逃すはずがない。そして、異常発生の合図を送らないはずもない。

 つまり、先行した妖魔たちが襲われた時点で、既にこの場に見張りはいなくなっていた、ということだ。


(あの手練達が、合図ひとつ出す間もなく、殺されたとでもいうのか!)

 その意味を理解し、モニサの背筋に冷たいものが走る。


「引き返すぞ、急げ」 

 モニサはそう告げた。

 見張りが既に始末されている。これは由々しき事態だ。総司令官たるエレシエスもそのようなことは想定していないに違いない。

 一刻も早くこの事態を伝えなければならない。だが、隊をこれ以上分ければ敵の餌食になってしまうだろう。

 今は、外の様子を確認するという任務を放棄してでも、速やかに現状をエレシエスに伝えるべきだ。モニサはそう判断していた。


 モニサの命を受け、妖魔たちは慌しく動き始めた。

「ぎぁ!」「グェ!」

 だが、そんな声が上がった。

 オーク1体とボガード1体が転んでいた。


「何をしている。急げ」

 モニサが低い声で、しかし鋭く叱責する。

 だが、そのモニサも、踏み出そうとした先に違和感を感じ足を止めた。

 一見すると何もおかしなところはない。だが良く見ると、木の枝や落ち葉によって上手く隠された窪みがある。

 深さは足首まで程度に過ぎない。だがそれでも、誤って勢い良く踏み込めば転倒は免れないだろう。


(罠だ!)

 モニサはそう見て取った。

 自然にそんな地形が出来るはずがない。極めて単純な、だが同時に恐ろしく巧妙に仕掛けられた罠に違いない。

 そして、先ほどからの妖魔たちの様子をみると、似たような簡易な罠がそこら中に仕掛けられているのだろう。


(まずい!)

 そう考えたモニサは大きな声をあげた。

「その場に留まって周りを警戒しろ!」

 既に声を抑えている余裕はないし、その意味もないはずだ。

 モニサは敵の襲撃を受ける事を予想した。


 このような簡易な罠でも、それが無数に仕掛けられている場所で戦いになれば相当に厄介だ。転ぶ者が何人も出て情勢は不利になるだろう。

 妖魔たちはモニサの命令に従って周りを警戒し始めた。


 そのまましばらく時が経った。だが、彼らを襲撃する者は現れなかった。

 それどころか、何の異常も感じられない。 

 モニサは、全く気配を感じさせない恐るべき敵が潜んでいるのではないか、と考え更に緊張感を高める。


 だが、その予想は外れていた。

 モニサたちの敵。即ち、見張りを全て始末し、この場所に多数の罠を設置し、先行した妖魔を皆殺しにしたエイクは、既にその場を離れていた。

 彼はモニサ達ではなく、後に残ったエレシエス達を襲撃しようとしていたのである。

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