第82話 本隊の戦い③

 情勢は更に妖魔軍不利になってゆく。そして、いよいよ一部の妖魔が北へ逃げようとした時、ついに妖魔軍に動きがあった。

「逃げるな~~ッ!!」

 という巨大な怒声が、妖魔軍の後方で響いたのだ。

 それは妖魔軍後方にいたトロールの声だった。その大声は、メンフィウスの下にすら届いた。その声の主こそが首領だろう。メンフィウスはそう判断した。

 

 そして、更に声が続く。

「戦えッ!! 逃げれば、殺す!!」

 その声に呼応するように妖魔軍のそこかしこから怒号が発せられる。


「逃げるなァ!!」「戦え! 戦え! 戦え!」「逃げれば殺す!!」 

 トロールや強者らしいオークがそんな声を挙げていた。

 その中の一部の者は、逃げようとした妖魔を実際に斬り飛ばしてもいる。

 正に、恐怖を以って戦闘を継続させようとする督戦隊そのものの振る舞いだ。

 督戦にあたる者達はその多くが後方におり、妖魔たちの敗走を殆ど物理的に阻止している。


 その妖魔軍の動きをみて、メンフィウスはむしろ安堵したくらいだった。それが彼にとって理解可能な動きで、しかも対処しやすいものだったからである。


(北への動きを止めたということは、情勢が落ち着いたら直ぐにでも首領自ら突っ込んでくるだろう。

 妖魔が踏みとどまったところで、今のままではジリ貧だ。状況を打開しようと思うなら、強者達による突撃しかありえない。

 だが、敵は強者の多くを督戦に費やしている。突撃して来る者の数はその分減る)


 そのような判断の下にメンフィウスは指示を出す。

 まず、左翼部隊を率いるパトリシオに向かって伝令を飛ばした。軽挙を厳禁とする旨を伝える為だ。

 メンフィウスは、敵首領の所在が明らかになった今、パトリシオが功を焦って単独で敵首領に向かう事を危惧していた。

 次に、側近くにいた衛兵隊長に告げる。衛兵隊長はメンフィウスの指揮下に入りその副官的立場に就いていた。

「あの敵首領が動いたら私自身で対処する。その間の指揮を頼む」

「畏まりました」

 衛兵隊長は即座に了承した。


 メンフィウスは続けて冒険者たちに告げる。

「貴殿らには私の援護を頼む」

「わ、分かりました」

 冒険者達もそう答える。


 そして更に、パトリシオへ追加の伝令を飛ばす準備を整えた。いざという時に指示を出すためだ。

 右翼のギスカーへは伝令を送るつもりはない。

 ギスカーなら指示などなくても状況を見て適切に動いてくれる。下手な指示はむしろ邪魔になるだろう。そう判断したからだ。


 そのような準備を整え、メンフィウスは敵の動きを何一つ見逃すまいと意識を集中させた。

 だが、メンフィウスの予想はまたしても外れた。

 妖魔の首領は、後方で逃走を防がんと声を上げるのみで、何時まで経ってもそれ以上の動きを見せなかったのである。




 予想に反して一行に動かない妖魔軍に対して、メンフィウスは焦燥を募らせた。

 今のままでは、チムル村への救援が間に合わなくなってしまうからだ。

 アストゥーリア王国軍は確かに圧倒的に優勢に戦っている。

 だがそれは、極端に密集した妖魔達の直ぐ外側に陣形を組み、身動きの取れない妖魔の大半を戦力として無効化して、最も外側にいる妖魔から確実に倒すようにしているからだ。

 必然的に妖魔を倒していく効率はよくない。

 このような方法で妖魔を全て倒そうとすれば、当然ながら相当の時間がかかる。


 しかし、メンフィウスは勝負を決めるのにそのような時間は掛からないと思っていた。

 妖魔を三方から包囲すれば、妖魔達は早々に北に動くか、それとも妖魔の首領が突撃を敢行するかして、どちらにしてもさほど時間を要さず決着が付くと予想していたからだ。

 だが、妖魔の首領は妖魔達を督戦してその逃走を防ぐだけで、一向に攻撃に移らない。

 現在妖魔軍は、東西と南をアストゥーリア王国軍に、北を自分達の首領に抑えられ、動くに動けなくなっている。

 この情勢が変わらなければ、最悪の場合妖魔が全滅するまで戦闘は終わらない。

 

(このままでは、夕暮れまで戦いは終わらない)

 メンフィウスはそう判断せざるを得なかった。

 それはつまり、チムル村への到着が大幅に遅れる事を意味する。

 ほぼ丸1日戦い続け疲労困憊した軍を、夜間に行軍させるなど不可能だから、今日中の救援は間に合わない。

 明日ですら朝から動けるとは思えない。明日中に救援が到着できるかどうか、それすらも難しい情勢だ。

 それではチムル村を救援する事は極めて困難になってしまう。


(これは、時間稼ぎ、だとでも言うのか。まさか、最初からそれが目的だったとでも)

 メンフィウスはそう思い至った。

 妖魔の首領は、メンフィウス達の目的がチムル村救援だと最初から承知しており、それを妨げる為に時間を稼ぐ事を目的としているのではないか。と、そう考えたのである。


 確かにそう考えれば、最初に妖魔たちが陣形を組もうとした事も納得できる。

 そして、メンフィウスの策により圧倒的に不利になった状況でも、自分達の目的を忘れずに、少しでも時間を稼ごうとしている。

 妖魔の首領の行動はそのように見えた。


 だが、そう思い至っても、メンフィウスにはどうすることも出来ない。

 今の状況で、迅速に妖魔を粉砕する策も戦力もなかったからだ。


(もしも、ガイゼイク様がいてくれれば……)

 メンフィウスはそう思わずにはいられなかった。

 もしこの場にガイゼイクがいたならば、冒険者達を率いて速やかに妖魔軍の後方に回り込み、直ぐにでもその首領に戦いを仕掛けた事だろう。

 そして、まず間違いなく首領を討ち取り、瞬く間に勝負を決めてしまったはずだ。


 だが、メンフィウスには同じ事は出来ない。ガイゼイクほどの武力を持たないからだ。

 妖魔軍の首領が後方にいるといっても、文字通りの最後尾ではない。首領の下まで行くためには多数の妖魔をなぎ払わなければならない。ガイゼイクならば容易い事だった。だが、メンフィウスの剣にはそのような力強さはない。


 妖魔の首領が向こうから突っ込んで来るなら、冒険者達の援護を受けて首領に肉薄し、これと戦う事は出来るだろう。そして、首領がよほどの強者で無い限り討つ事も出来るはずだ。ギスカーやパトリシオの援護を期待する事も出来る。

 しかし、多数の妖魔に守られた首領の下まで迅速に近づくのはメンフィウスには無理だ。

 ギスカー、パトリシオと力を合わせても、相当の時間を要するだろう。


 そしてその間に、もし首領が前方に突撃したらどうなるか。

 メンフィウス達は首領に追いつくことは出来ず、首領は予備戦力をなくしたアストゥーリア王国軍の陣を容易く粉砕して、戦況を逆転させてしまうだろう。

 つまり、メンフィウスの力では、背後に回りこんでも敵に勝つことは出来ないのだ。

 メンフィウスは己の力の至らなさに歯噛みする思いだった。

 

 また、もっと迅速に妖魔達を討とうと考え、下手に陣形を動かす事も出来ない。陣形が崩れてしまえば、数の優位によってやはり戦況は覆る。

 つまり、今のメンフィウスに打つ手はない。

 せめてこの場で勝利する為に、少しずつ、確実に、妖魔を討っていくしかないのである。

 だが、それではチムル村救援は遅くなる一方だ。


(何とか耐えてくれ……)

 メンフィウスには、今も必死にチムル村を守っているだろう別働隊の者達の健闘を祈る事しか出来なかった。




 その時、刻限は既に昼に近づこうとしていた。

 フィントリッド・ファーンソンの妻にして、その城の警備責任者であるセフォリエナが、ヤルミオンの森の直ぐ近くで起こっているこの大規模な戦いを“見た”のは、正にその時だった。

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