第70話 竜化術

 エイクの問いに答え、アズィーダは改めて語り始めた。

「始まりは、魔術師共の帝国が滅びるずっと前の出来事だ。

 当時、大陸の東方に、竜を奉じ練生の奥義と徒手の格闘術を伝承する部族が住んでいた。彼らの究極の目的は、我が身を徹底的に鍛え、竜へと変じる事だった。

 その部族に魔術師共が攻めてきた。部族の者達は敗れ捕らえられ、遥か西方に連れて来られた。なぜ魔術師共がそんな事をしたのかは分からない。


 だが、その部族の者達は抵抗を諦めず、彼らの一部は隙を見て脱走した。そして、魔術師共の力が及んでいなかった大陸の西の端、スティグラントへと逃げ込んだ。

 彼らはそこで竜へと変じる為の鍛練を再開した。魔術師共への復仇を誓っていたため、その鍛錬はいっそう激しいものになったそうだ。


 彼ら自身はその目的を達する事は出来なかったが、子孫に技術を伝え、更に現地民の弟子もとって技術を継承した。

 やがて魔術師の帝国は滅んだが、継承者達は技を磨く事を止めなかった。

 そしてついに、20年ほど前にその努力は結実し、戦闘可能な状態で竜へとその身を変ずる術が確立された。

 私はその継承者達の末端に名を連ねる者であり、竜化術の秘奥を身に付けた者の1人だ」


(ありえない話しではないな)

 黙ってアズィーダの説明を聞いていたエイクはそう考えた。

 この世界では、基本的に時と共に生物は進化し、鍛錬を積み重ねれば技術は進歩する。つまり、昨日まで存在しなかった技や能力が、今日出現する事もありえるのだ。

 千数百年以上に及ぶ努力と研鑽の成果が、数十年前に結実して新たな術として成立したとしても、おかしなことはない。


 エイクは更に竜化術について質問した。

「それは、錬生術の奥義を身に付けた者なら誰でも習得できるのか?」

「練生術の修練を修めれば誰でも出来るはずだが、その修練は誰でも修められるほど生易しいものではない。だから、実質的に使用者は相当しぼられる。

 まず炎を吐き、次に爪と牙を生じせしめ、鱗を身に纏い、尻尾を生やし、羽を生やし、竜化術の習得はその先だ」


「その錬生術を全て習得しなければならないのか?」

「そうだ。それも錬生術は今言ったとおりの順番でないと習得できない」

(これは、俺には意味のない術だな)

 エイクはそう判断した。


 エイクは、錬生術の奥義を修めた者が竜に変ずる事が出来るようになると聞いて、自分にも可能なのかと考えた。だが、今聞いたような手間がかかるのでは実質的に無意味だといえる。

 そんな事に多大な時間を費やすなら、剣の鍛錬に励む方がよほど強くなれるはずだからだ。


(そもそも、竜に変化したら今まで鍛えた剣技の意味がほとんどなくなる。全くありえない選択肢だった)

 エイクはそう結論を出し、自身で竜化術を修めるという選択肢を放棄した。

 だが、竜化術自体についてはもっと知る必要がある。今やアズィーダはエイクの配下だからだ。配下の者がどのような事が出来るのかは、正確に知っておく必要がある。

 エイクは質問を続けた。


「マナが続く限り竜の姿を継続できるのか?」

「いや、そもそも竜化にはマナの消費を必要としない。竜化術は、錬生術の極意を修めた者が身に付けることが出来るものではあるが、錬生術とは別物だ」


「それなら、持続時間はどのくらいなんだ?」

「一度変身すれば、最長半日ほど竜のままでいられる。だが、一度人の姿に戻ったなら、半日は再度変身する事が出来ない」


「あの大きさの竜なら、人ひとりくらい乗せて飛べるな?」

「可能だ。

 何だ? 乗り物としても私に乗るつもりなのか?」


「そのつもりだ。不服か?」

「いや、不服などない。なんとでも好きなように使ってくれ」

「そうさせてもらおう」

 エイクはそう告げた。実際彼はアズィーダを配下として使うなら、移動手段としても大いに有意義だと思っていた。

(半日も竜のままでいられるなら、相当の距離を飛べる。活動範囲は広がるし、移動速度も格段に向上する。非常に都合がいい)


 そして当然、戦闘力という面でも期待していた。

(竜に変身すれば、父さんを殺した双頭の虎を相手にしても一撃で倒される事はないだろう。

 そして、一撃で死なないなら神聖魔法で自分や俺を援護できる。相当有利になるはずだ。勝てる公算も高まるだろう。

 もっと有効なのは、シャルシャーラの護衛役に使う事だ。こいつに守られたシャルシャーラが支援魔法を使うなら、より一層有利に戦える。

 双頭の虎に対しても、3人がかりで戦えば多分勝てる)

 エイクはそんな計算をしていた。そして更に考えを進める。


(それに、魔法使いでもない者が竜に変身するなどという事を、知っている者はほとんどいないだろう。つまり、こいつの能力を隠したままにしておければ、敵の不意を突くことが出来る。急に現れた竜に対して、即座に対応するのは簡単ではないはずだ。

 こいつの存在は“虎使い”と戦う上での有効な手札になり得る。これは本当に有意義だ)

 そんな風に考えをまとめたエイクは、ひとつの命令をアズィーダに告げた。


「これから俺に仕えるなら、俺の為に戦ってもらう事も頻繁になるだろう。だが、その場合には、竜化術というのは出来る限り隠しておけ。

 死んでも隠せとまでは言わないが、人に知られるのは出来るだけ避けろ」

「分かった。私もこの術を人前でひけらかすつもりはない」

 アズィーダは、すんなり了承した。


 エイクはまた、他にもアズィーダの存在を役立たせることは出来ないかと考えた。

(俺の知らない錬生術の奥義を多く知っているから、それを習う事も出来るだろう。

 だが、それはかなり効率が悪いな。翼を得て空を飛ぶ錬生術や、鱗を生やして防御力を向上させるのは有意義だろうが、それを習得するのに、今聞いた順番で他の錬生術も習得していかなければならないなら、余りにも手間がかかりすぎる。

 火吹きの錬生術もやはり使えない。伝道師さんが言っていた通り、それほどの威力ではなかった。それに発動する時に攻撃の手が止まるのも問題だ。

 だが、錬生術で直接相手にダメージを与えるというのは、改めて目にすると画期的だった。

 何か応用できる手段があれば良いが……)


 と、そんな事を考えていた時、エイクは己のオド感知能力の範囲に、今までに感じた事がない奇妙なオドが入って来たのを感知した。

(なんだ? これは)

 エイクはそれまでの思考を途切れさせ、そんな単純な疑問を抱いた。

 そのオドは、到底看過できないような、異様な印象を与えるものだったのである。


 エイクのオド感知は視覚的なものではないが、感覚として、色のような印象でその種類の違いを感じている。

 例えば、アンデッドのオドには濁った黄色というようなイメージをもっていた。

 今感知したオドは、鮮やかな紫色といったイメージだ。

 それは、今までに感知したいかなるオドとも異なる、異質な印象でもあった。

 大きさは人間大だ。

 そして、そのオドがある場所は、アズィーダが水浴びをしていた湖のあたりである。


(しかも、かなり強い)

 そのオドの感知に集中したエイクはそう思った。

 そのオドの質と量は、自分にも匹敵するものだったのだ。

 エイクは、いっそうそのオドに対する関心を深めた。


 押し黙り、謎のオドの感知に集中するエイクに向かって、アズィーダが声をかける。

「主殿よ」

 彼女はエイクのことを主殿と呼ぶことにしたらしい。

 エイクがアズィーダの顔に目を向けると、アズィーダが話し始めた。


「今すぐ私をどうこうするつもりがないというなら、身支度を整えさせて欲しいのだが」

 確かにアズィーダは全裸である上、その身には血がこびりつき、エイクに引きずられた為に土もついていて随分汚れていた。

「少しマナが回復した後で“清潔化”の魔法を使えば良いだろう?」

 エイクはおざなりにそう告げる。

「ムズルゲル様は信者にその魔法を教えていない。

 ここから少し南に行ったところに湖がある。そこで身を清めさせて欲しい」


(……これは、都合がいい申出だな。この申出に従った事にすれば、自然な形で湖まで行ける。

 その時に、まだあのオドが近くにあれば、その正体を知ることが出来るかもしれない。

 危険な存在である可能性もあるから、十分に気をつけるべきだ。だが、俺の生命力は完全に回復しているし、マナは残りわずかだが、魔石はまだ温存している。正体を見極めもせずに逃げ出すほどの状況ではない)

 エイクはそのように考えた上でアズィーダに答えた。


「まあ、構わないだろう。少し待て」

 そして、手枷を木につないでいたロープを解いて、それを手で持った。

 自由を得たアズィーダは立ち上がる。

 彼女の両手は、体の前で手枷によってつながれたままだ。

 エイクはその手枷に結ばれたロープの端を手にしている。


 アズィーダはエイクに問いかけた。

「少し用意をさせてもらってよいか」

「いいだろう」

 エイクの返答を受け、アズィーダは洞窟に向かう。

 彼女を繋ぐロープを手にしたエイクが、その後に続いた。


 アズィーダは自分が寝床にしていた場所まで行くと、寝台を覆っていた毛皮の中から大き目のも物を選んで羽織る。

 そんな最低限の身支度を整えた上で、2人は湖へと向かった。

 エイクが大いに気にしている奇妙なオドは、まだその場にとどまっていた。

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