第49話 対価について

 翌日、エイクはハイファ神殿へ向かった。

 ユリアヌス大司教とは連絡は取れていなかったが、とりあえず様子を伺う事にしたのである。

 

「申し訳ありません。大司教様はご予定が詰まっていまして、エイク様とお会いする時間が取れないのです」

 エイクが神殿を訪ねると、ユリアヌス大司教と共にいることが多い女性の侍祭が、申し訳なさそうにそう言った。当然といえば当然のことだ。


「とんでもありません。むしろ突然訪ねてしまったご無礼をお許しください。

 実は、しばらく王都を留守にする予定でして、私も時間が取れなくなってしまうのです。それで、そのことのご報告だけでもと思って寄らせてもらいました。

 大司教様にはよろしくお伝えください」


「そうですか、しばらく王都を……。

 実は、月末に例のグロチウスと名乗る闇司祭が処刑されるのですが、その時にはお戻りでしょうか?」

「恐らく無理です。あの闇司祭とは因縁もあるので、その最期を見届けたい気はするのですが、冒険者として大事な仕事を入れてしまって」


「お忙しいのですね。どこか遠くまで行かれるのですか?」

「いえ、それほど遠くというわけではありません。

 ……実は、私達のパーティは、炎獅子隊の妖魔討伐遠征の補助の仕事を受けていて、その関係でチムルという辺境の村にしばらく行くことになるんです。

 私もヤルミオンの森で活動する事になります」


「それは、社会の安寧の為の大事なお仕事ですね。御武運をお祈りしております」

「ありがとうございます」


 そんな会話をしてから、エイクは侍祭の前を辞した。

 そして、両親の墓に参った後で、イフリートの宴亭へよってラテーナ商会の者と会ったりしてから屋敷へと戻った。

 午後は、ラスコー伯爵家の家臣であるマルギットの訪問を受ける予定があった。




 昼過ぎ、エイクは予定通りマルギットの訪問を受けた。

 マルギットの用件は、ケルベロスとヘルハウンドに襲われた後に約束した、対価についてだった。

 予想通りの内容だ。というよりも、今のところエイクとマルギットの間にはそれ以外の関係はない。


「本当に遅くなってしまい、誠に申し訳ありません。とても十分とは言えませんが、まずはお受け取りください」

 マルギットは深刻そうな様子でそう告げて、片手で握れる程度の大きさの長方形の箱をエイクに差し出した。


(そんなに気にすることでもないのにな)

 マルギットの様子をみて、エイクはそう思った。

 確かに、ドラゴ・キマイラ退治の帰路でケルベロスやヘルハウンドも倒した事を、マルギットの頼みに応じて公にしなかったのは事実だ。

 そのことでエイクは名声を得るネタを一つふいにしている。だから、その対価をマルギットが払うというのは道理ではある。


 しかし、マルギットは、この件を随分と大仰に捉えているように見受けられた。

 以前、対価を直ぐには払えないという事をエイクに告げた時など、とても強く恐縮し、深く思い悩んでいるように見えた。

 エイクはその時、身体で払えといえば応じるのではないか、などという印象すら持ってしまっていた。


(ちょっとした口止め料くらい、せいぜい千G程度の金で十分なんじゃあないか?

 まあ、貰える物をわざわざ減らすのも馬鹿馬鹿しいから、こちらから言うつもりはないが)

 エイクはそんな事も思いつつ、箱を受け取った。


 そして、「拝見させていただきますね」と告げ、マルギットの了承を得て、箱の蓋を開く。

 そこに入っていたのは、30cmほどの長さの、細い鎖だった。だが、エイクは一目見てそれが魔法の品であることを見抜いた。


「“取り戻す手鎖”ですね。これは、貴重なものを。

 逆に、こんな物をいただいてしまってよろしいのですか?」

 エイクはそう告げた。実際もらいすぎだと思っていた。


 “取り戻す手鎖”は、投擲武器に取り付けて使う魔道具である。

 その効果は、この鎖を取り付けた武器を投擲した場合、対象に当たっても外れても、直後に宙を飛んで投げた者の手元に戻るようになる。というものだ。

 つまり、この鎖を取り付けた投擲武器は、戦闘後に回収する必要はなくなるし、何度も続けざまに投擲する事も出来るようになる。

 かなりの値打ち物である。そして、エイクにとっても有意義な魔道具だった。


 現在のところ、エイクが持つ遠距離攻撃の手段は、投げナイフ等の投擲しかない。

 このため、エイクは10本程度の投げナイフを常時魔法の荷物袋に入れていた。

 しかし、魔法の荷物袋は見た目以上の内容量を誇り、中に入れた物の重さを感じないという優れた魔道具ではあるが、その内容量には限りがある。

 エイクが所持している物は、大き目の背負い袋1つ分くらいの容量しかないので、10本の投げナイフは割りと容量を圧迫していた。


 ちなみに、最高性能の魔法の荷物袋は、巨大な倉庫を超えるほどの容量を誇り、普通なら口から入れられない巨大な物すら、瞬時に取り込むという。

 しかし、それは大量の食料や物資を簡単に運搬できる物であることから、政略・戦略レベルの重要魔道具として、ほとんどが国に独占されている。


 いずれにしても、この“取り戻す手鎖”を使えば、今後は多くの投擲用武器を持ち運ぶ必要はなくなり、最も優れた投擲武器を繰り返し使えるようになる。エイクにとって価値は大きい。

 しかし、エイクの言葉を聞いても、マルギットは深刻そうな様子を崩していない。


「とんでもありません。私達4人の命を救ってもらった事、その上、その命の恩人に無礼なお願いしてしまっている事の対価としては、とても足るものではありません。

 これくらいしか用意できませんでしたが、これでは到底足りるものではないと思っております」

 そして、マルギットはそう答えた。


 マルギットの答えを聞いて、エイクはようやく自分とマルギットの認識にずれがあることに気付いた。

 エイクは、あくまでもケルベロスなどの討伐を秘密にする事への対価と思っていたのだが、マルギットはどうやら、それと共に、いやそれ以上に、自分と仲間3人の命を救ってくれた事への対価と考えていたのである。


(最初に対価は払うという話になった時には、そんな事は言っていなかったと思うが。

 だが、確かに、あの時俺が最善をつくして戦わなければ、この人たちは死んでいたな。

 そういえば、事前の約束では、護衛は任務に含まないとわざわざ確認していた。

 つまり、俺は任務外の行動として、この人たちの命を助けたわけだ。

 4人分の命の対価と考えれば、確かにまだ安いかもな)


 エイクがそんな事を考えているうちにも、マルギットは言葉を続けていた。

「他に、対価として私がお渡しできるものがあれば、何でもお渡ししたいと思っています。

 何か、要望していただけることがあれば、何でもおっしゃってください。私に出来ることでしたら、従います。どんな事でも」

 マルギットは顔を俯かせてそんな事を口にした。

 その様子は、何か覚悟を決めているようにも見える。


(どんな事にも従う。か、聞き様によっては、身体を差し出せといえば応じると言っているようにも聞こえるな。

 俺としても、命を助けた対価に身体を求めるのは、公平な行為だと思っているし、試しにそういう要求をしてもいいような気もするが……)

 エイクはそんな事を考えつつ、つい欲望を込めた目で、マルギットの姿態を見てしまっていた。


(……いや、ここは我慢しておくべきだな)

 しかし、結局エイクはそう考えた。

 エイクが気にしたのは、マルギットが仕えているラスコー伯爵家が、“虎使い”の一派である可能性もあり、調査しようと考えている相手だったことだ。


(冷静に考えれば、いくら4人の命の対価といっても、いきなり、どんな要望にも従う、などと言い出すのは不自然だ。

 何年掛かってでも金で返すとか、まずはそんな申出をするほうが普通だろう。

 何となく、誰かに因果を含められてこんな言動をしているようにも見える。


 ひょっとするとこの申出は、ラスコー伯爵や下手をすると“虎使い”の企みの一環なのかも知れない。うかつに手は出せない。

 それに、マルギットが本当に自主的にそんな事を考えていたのだとしても、ここは恩を売っておいた方がいい。その方が、こちらから調査する時の足がかりに出来るかも知れないからな。


 まあ、そういう技量がある男なら、抱いた上で誑し込んで、密偵のようなことをさせる。なんて事も可能かも知れないが、俺には無理だ。俺は自分の欲望のままに乱暴に抱く事しか出来ないからな。

 どちらにしても、今は出来るだけ恩を売っておいて、今後につなげよう)


 エイクは、そんな考えを踏まえて答えを口にした。

「マルギットさん。そんなに気にしないでください。

 あなたを救うことが出来た上に、感謝までしてもらえたなら、それで十分な見返りです」

「え?」

 マルギットはエイクの言葉を受けて顔を上げた。


「女性が危険な目に会っていれば、助けようとするのは男として当然です。

 ましてあなたのような美しい方なら尚更だ。対価が欲しくてやったこことではありません」

「そんな、美しい、だなんて……」

 マルギットはそう言ってまた俯いた。


「こちらの贈り物は、ありがたくいただいておきます。大切に使わせてもらいます。ありがとうございます。

 本当にそれで十分です。あえて言うなら、今後も私に感謝の気持ちを向けてもらえるなら、これ以上嬉しい事はありません」

「いえ、こちらこそ、そんなふうに言っていただけるなんて、本当にありがとうございます」

 マルギットは顔を赤らめながらそんな言葉を返した。


 その後しばらく話しをして、エイクはマルギットを送り出した。

(わざとらしかったかな?

 だが、まあ、悪印象を与えたような感じはなかった。とりあえず、よしとしておこう)

 エイクは先ほどの自身の言動について、そう評価していた。




 その日の夜。

 エイクは、“黄昏の蛇”の面々と昨日と同様の模擬戦形式の訓練を行った。

 訓練の結果は、昨日と同じである。

 ただ、今回寝室に連れ去られたのは、カテリーナだった。

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