第29話 武器屋での一幕
サルゴサの街への帰途では、特に問題は生じなかった。
街に戻った一行は速やかに迷宮管理部局の建物へと向かった。
迷宮管理部局に到着すると、調査員やフゼン達はエイクに向かって丁重に感謝の言葉を述べてから、足早に去って行った。確認した未発見区域の情報をまとめるのに忙しいのだろう。
エイクも戦利品代わりの金銭を受け取ると、速やかに迷宮管理部局を後にした。時刻は既に夕刻になっていたが、エイクは早速武器屋をいくつか回ってみるつもりだったのである。
「実戦で扱う上で一番質の良い剣を見せて欲しい」
何件目かの武器屋に入ったエイクは、店員にそう告げた。
彼は他の武器屋でも全て同じ事を依頼していた。金銭的には余裕があるので、時間をかけて掘り出し物を探すよりも、手っ取り早く良質の物を確認したいと思ったからだ。
エイクは良い武器を探すことより、鍛錬を行うことに時間をかけたいと考えていた。
「しばらくお待ちください」
店員は愛想よくそう告げ、しばらくしてから一振りのバスタードソードを持ってきた。
「どうぞご覧ください。総ミスリル銀製の業物です。武器としての実用性を重視していますが、美しさも兼ね備えています。
正にお客様に相応しい一振と拝察いたします」
そして、そんな事を告げつつエイクに手渡す。
「この場で抜いてみても構わないだろうか?」
「もちろん構いませんが、十分にお気を付けください」
了承を得たエイクは、静かにその剣を引き抜いた。
(この店は、まともな店のようだ)
エイクは剣身を見つつそう思った。店員の売り文句に嘘はないと思えたからだ。
今まで回った中には、見栄えだけは良いが、とても実用には耐えないような剣を見せて、法外な値段を告げる店もあったのである。
(しかし、確かに質は良いが、俺が使うには軽すぎる。威力という面では不足だ。
予備の武器としてはかさ張りすぎるし、総ミスリル銀製となれば値段かなり高くなる。これを買う必要はないな)
そんな事を考えていたエイクに声がかけられた。
「おいおい、お坊ちゃんよ。あんたにはそんな剣は早すぎだ。形から入ればいいってもんじゃあねえぞ」
しかしエイクは、その声に直ぐには反応しなかった。「お坊ちゃん」というのが、自分をさしているとは思えなかったからだ。
「おい、聞いてるのか?」
そう重ねて声がかけられて、エイクもそれが自分への呼びかけだと気付いた。
エイクが声がした方を向くと、冒険者パーティらしい者達がいた。男5人に女1人の6人組みだ。その中のリーダーらしい30歳代半ばほどの男が、エイクに声をかけていたようだ。
「私のことですか?」
エイクは困惑しつつも、その男に向かって答えた。
男はエイクと同じくらいの身長で、がっちりとした体格をしている。冒険者として中級中位程度の戦士のように見受けられた。
「そうともさ。見たところ、冒険者志望ってところだろ。いきなりそんな剣を買っても、扱えるもんじゃあねえ。
大体、剣は沢山持てばいいってもんじゃあねぇぞ」
嘲りを帯びて発せられた男のそんな言葉に、エイクをいっそう困惑した。
(何を言っているんだ?)
エイクはそう思った。
しかし、直ぐに今の自分の姿と行いを思い出し、得心した。
エイクが今身につけているのは、昨日新調したばかりのハードレザーアーマー、それもかなり上質の品物だ。今日の探索で敵の攻撃を一度も受けていないので、まだ傷一つついていない。
そして、クレイモアとブロードソードも装備したままだ。
要するに、真新しい上質の鎧を身に付け、二つも剣を装備しているのに、更に剣を買おうとしている。
それも素人丸出しのやり方で、店員任せで高級な剣を買おうとしている。というのが、今のエイクが行っていることなのである。
これでは、どこぞの金持ちのお坊ちゃんが冒険者にあこがれて、金に飽かせて格好だけ整えているように見えたことだろう。
その上エイクは、先日セレナから習った自分の強さを誤魔化す方法を試そうと考えて、駆け出しの戦士に見えるように意識した立ち居振る舞いをしていた。
そんな付け焼刃の演技がまさか通用するとは思ってはいなかったのだが、立ち居振る舞いから相手の強さを察するというのは多分に感覚的なものなので、その時の状況から見誤ってしまうこともままある。
目の前の男は、正にそんな見誤りをしているのだろう。
エイクはその誤りを正そうとは思わなかった。
(その方が好都合だ)
むしろそう考えていた。
状況にもよるが、戦闘を意識した場合、基本的に強さを見極められるよりは侮られていた方が都合がいい。それがエイクの考えだ。
だから、男の言葉に乗っておくことにした。
「ご忠告感謝します」
エイクは男にそう告げると、「剣を買うのは、やめておくよ」と言いつつバスタードソードを店員に返した。
「畏まりました。またのご用命をお待ちしております」
店員はそう言って引き下がったが、少し恨めしそうな表情でエイクに忠告した男の方を見た。余計な事を言うなと思ったのだろう。
男は店員の様子など気にも留めずに、重ねてエイクに話しかける。
「中々素直で結構だ。
どうだ、お前が冒険者をやってみたいっていうなら、俺達が迷宮に行くのに一緒に連れて行ってやってもいいぞ。
ちょうど若いのを2人、連れて行ってやろうと思ってたんだ。もう1人位増えてもどうって事はない」
確かに、6人のうち4人はいずれも30歳代に見える男達だが、女ともう1人の男は10歳代中頃位に見える。そして、その2人の技量は、他の者よりだいぶ劣るようだ。
恐らく、その2人を他の男達が引率してやるということなのだろう。
男は話を続ける。
「俺は中級中位の冒険者をしているノーザンってもんだ。
中級っていっても馬鹿にしたもんじゃあねぇぞ。世の中の半分以上の冒険者は、中級まで行かずに死ぬか廃業しちまう。
で、駆け出しの若い連中がそんな風にならねぇように、多少は面倒を見てやろうと思った声をかけてやったってわけだ。どうする?」
言葉通りなら殊勝な行いと言っていいだろう。
しかしエイクにはその言葉をそのまま信じる気にはなれなかった。冒険者同士が競い合っているこのサルゴサの街で、善意からそんな事を行う者がいるとは思えない。
それに、正式な依頼でもないのに、会ったばかりの他人と迷宮に潜るなど、エイクには全く考えられない行為だ。
「折角ですが、私はまだ迷宮に潜るつもりはないんです」
エイクはそう答えた。
「そうかい。まあ、無理強いするつもりもねえ。せいぜい気をつけるんだな」
ノーザンという男は、実際特に気にしていないような口ぶりでそう言うと、踵を返して店の外に向かった。自分達の用事は既に済ませていたらしい。
ノーザンの仲間達もその後に続いたが、後ろのほうに居た若い男がエイクに声をかけてきた。
「折角ノーザンさんに声をかけてもらったのに、断るなんて馬鹿な奴だ。
最初は先達の指導を受けて経験を積むのが基本だ。1人で戦うとか、いきがってると後悔することになるぞ」
エイクはその的外れな言い草に、憤るよりもあきれ返ってしまい言葉もなかった。
「失礼よ、ニコラ」
若い女がそう言って男を嗜めた。
その2人は、ともにハードレザーアーマーを身に付け、男はロングソードを、女は小弓と矢筒を装備している。
女は亜麻色の髪をサイドテールにまとめていた。中々魅力的な姿で、優しげな容貌をしていた。
男の方は短髪だが髪色は女と同じだ。こちらは険がある表情を見せていたが、その容貌はどことなく女と似ている。
男女ともに標準的な身長で、男の方もエイクよりは少し背が低い。
エイクは女は自分と同じくらいの年齢だが、男は少し年下のように思った。恐らく姉弟だろう。
「私はテレサと言います。弟のニコラが失礼な事を言ってしまってすみません。お許しください」
女はエイクにそう言って頭を下げた。
エイクの想像は正解だったようだ。
「冒険者のエイクです。別に気にしませんので、お気遣いなく」
エイクはそう答えたが、男は「ふんッ」と鼻を鳴らして去っていった。
女も「本当にすみません」と再度詫びつつ、もう一度頭を下げてから男の後に続いた。
(いったい何だったんだ?)
エイクには、ニコラと呼ばれていた若い男の行動の意味が、よく分からなかった。
恐らく、エイクの身の上などについて何か勝手な思い込みをして、それに基づいて、厭味まじりの忠告をしたということなのだろう。
しかし、なぜわざわざそんな事をするのか訝しかった。
(相手の上位に立ったつもりになりたいだけか? そんなことをしても、無駄に反感を持たれるだけで、何の得にもならないんだが。
だがまあ、あの男がどんな行動をしようが、俺にはどうでもいいことだな)
エイクは、とりあえずそう結論づけた。だが、それでも気になることはあった。
(それにしても「後悔することになる」か。それが自分自身の事にならなければいいがな)
と、そう思ったのだ。ニコラという男が、迷宮におけるある危険を全く見落としているとしか思えなかったからである。
迷宮における危険は、魔物や罠だけではない。他の冒険者などから攻撃されるという危険も存在する。
実際、このサルゴサの迷宮では、一時期よりも大分ましになったとはいえ、不審な死を遂げる冒険者は今も生じている。
広大な面積を誇るサルゴサの迷宮においては、他の冒険者などが周りにおらず、目撃者を気にせずに犯行に及ぶ事が可能な状況が、頻繁に生じるからだ。
そして、相手を殺しても、魔物や罠、或いはもぐりの不法侵入者のせいにして誤魔化す事も可能だからでもある。
また、ちょっとした小部屋にでも入って入り口を塞げば、簡単に密室を作ることも出来る。そこでどんな犯罪が行われても、容易には発覚しないだろう。
実際“叡智への光”はそんな犯行を行っており、エイク自身もその被害者の1人だ。
そして、そのような事を行う者が、“叡智への光”だけということもないだろう。
例えば、実力に劣る新米冒険者を仲間だと油断させて襲う。などということを計画する者がいないとは限らない。
もしも、本当にそんなことになれば、後悔するなどという言葉では済まないことになってしまう。
(女の方は特にな)
エイクは、先ほど頭を下げてから去って行った、テレサという女の事を考えつつそう思った。
彼女の容姿は、十分に美人といえるものだった。それは男達の欲望の対象にもなりやすいということでもある。
(どちらにしろ、俺には関係ない話だ)
エイクはそう意識を切り替え、次の武器屋に向かう事にした。彼は今日の内にめぼしい武器屋を回ってしまうつもりだった。
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