第2話 光竜隊
新暦1175年9月21日朝
アストゥーリア王国の王宮では、慎ましやかにある儀礼が行われていた。
その内容は、近衛騎士隊長カールマン・ドゥーカスが、兼務していた光竜隊長の地位を返上し、近衛騎士隊と光竜隊の兼務体制を解くというものだった。
だが、これは本来なら意味がない行いであるはずだ。
なぜなら、光竜隊というのはアストゥーリア王国が6種の精霊になぞらえて組織した精鋭部隊の一つなのだが、有名無実のものとなっていたからである。
その精鋭部隊とは以下の六つである。
王都に常駐し、諸兵科を連合して組織され、最強の部隊と称される炎獅子隊。
経済の中心である商都セレビアに拠点を置き、重騎兵を主体とする氷虎隊。
南方のレシア王国との国境近くに配置されている、重装歩兵を中心とした岩犀隊。
南東方向のクミム・ヴィント2重王国との国境近くに配置され、軽騎兵と軽歩兵により組織された風狼隊。
情報収集や工作活動を担う闇梟隊。
そして、王族の身辺警護を行う光竜隊である。
このうち光竜隊の職務は近衛騎士隊と同様のもので、いつしか光竜隊員はその全員が近衛騎士にも任じられるようになり、近衛騎士隊長は光竜隊長を兼務し、光竜隊は近衛騎士隊と一体化して実質的に近衛騎士隊の別名となった。
しかし、近衛騎士たちは光竜隊と呼ばれることを嫌った。
その名で呼ばれると、他の精鋭部隊と同格という印象になってしまうからだ。
他の軍属とは別格の存在であると自任する近衛騎士たちにとって、それは望むところではない。
当然近衛騎士たちは自らは光竜隊と名乗らないし、他の者達もあえて光竜隊と呼ぶ者は稀だった。
結果として光竜隊は有名無実どころか、その名が使われることすらほとんどない存在になってしまっている。
今更その兼務体制を解いたところで、実質的な意味はないはずなのだ。
一連の儀礼が済んだ後、カールマン・ドゥーカスは軍務大臣エーミール・ルファス公爵の執務室に赴いた。
入室したカールマンにエーミールが声をかける。
「くだらない面倒をかけてすまなんだな」
「いえ、面倒などということはありませんが……」
そう答えたカールマンだったが、その表情は何か思い悩んでいるようにみえた。
カールマンはエーミールに問うた。
「アルストール・トラストリアの正式な光竜隊長就任は、結局来月で決まりですか?」
「ああ、馬鹿げた茶番劇の上でな」
エーミールは不機嫌さを隠す事もなくそう告げる。
アルストール・トラストリア公子を光竜隊長に就任させる。それが、カールマンが光竜隊長の任を辞した理由である。
月頭の枢密会議で、政敵であるアルストールを要職に就けることを承知せざるを得なかったエーミールは、形だけのものになっていた光竜隊長の地位を用意したのだ。
といっても、さすがに名前だけ与えるというわけではなかった。職務も用意している。それは王都の治安維持と安全確保の任である。
平時において王都の治安維持と安全確保は炎獅子隊と衛兵隊が担っている。
だが、戦時になれば炎獅子隊はもとより衛兵隊もその大半が戦地に赴くことになる。
といっても、当然王都を空にすることもできないので、炎獅子隊も衛兵隊もその一部は分割されて王都に残る。
その部隊の分割を予め行っておき、その残留部隊を新たな光竜隊として組織して指揮をアルストールに任す。
そして光竜隊以外は戦に向けて本格的な軍事訓練を専らとする。それがエーミールの考えだった。
近いうちに戦が始まる可能性が高いという状況を考えれば、妥当な判断と言えなくはない。
だがこれは、アルストールには精鋭部隊の隊長という栄えある役職と、王都の守護という名誉ある任務を与える代わりに、戦場には出さない。ということだ。
このことに反ルファス派の者達は大いに反発した。彼らの目的は、戦においてアルストールに華々しい活躍をさせて、彼こそ王に相応しいと思わせる機運を作りだすことだったからである。
このことについて何度か協議がもたれた。
そして光竜隊の人事の一部に反ルファス派の意見を取り入れる事と、アルストールの武勇を強調し一般民衆にも目立つ形で光竜隊長就任を演出するということで落ち着いた。
その演出というのは、来月にあるエリック国王の誕生日の祝いの式典において、剣闘試合を行いアルストールを優勝させた上で、その褒美として光竜隊長の職を授ける。というものだ。
そのようなことまでしても、エーミールはアルストールを戦場で活躍させたくなかったのである。
このことについて、カールマンには思うところがあった。
彼は思い切ってその意見を口にした。
「大臣、ご不快に思われるでしょうが、意見を言わせてください」
「なんだ」
「アルストール・トラストリアは一人の戦士としても部隊指揮官としても優秀といえる男です。戦場で有効に使う方が国のためではないでしょうか?」
エーミールは表情を歪めたが、カールマンの問いかけには答えた。
「私とて奴やその一族を嫌っているという理由だけで戦場から排除しようとしているわけではない。軍や戦のことも考えている。それでも奴は戦場にはいないほうが良い。奴の存在が軍規を乱すことになるからだ。
奴が戦場に立とうとするのは個人的な功を上げる為、それも特に目立つ功を上げ、自身の名声を高める為だ。軍全体のことを考えず、いざという時に独断専行に走る可能性は非常に高い。
そのような者に相応の職を与えて戦場に出すことなどできん」
エーミールの言葉は一応筋は通っている。だが、それでも納得しがたい思いは残った。
そもそも、戦場で目立つ功を上げたいと思う者はアルストールに限らずいくらでもいる。
そういった者も上手く使うのも司令官の技量というものであり、実際エーミールも今までそのような者達も上手く使っていた。
アルストールに関してはそのようにすら使わないということは、結局はアルストールに手柄を立てさせたくないという、政治的な思惑が前提にあっての判断としか思えない。
しかしエーミールの言葉には、それ以上の反論を許さない断固たる意思が感じられた。
カールマンはこのことについて問いを重ねるのを止め、別の懸念について問うた。
「それは道理かも知れませんが、そこまでアルストールが信じられないならば、戦時下に王都の安全確保を彼に任せるのも危険なのでは?」
「光竜隊には目付け役も入れておく。人事に奴らの意見を入れるといってもあくまでも一部だ。通常なら奴を抑える事が出来る体制にすることは出来る。もちろん、絶対に抑えることが出来るとは言い切れないが、戦場で暴走されるよりはましだ。
それに、私は今まで奴を自由にさせすぎていた。もっと早くにどこかにつなぎとめておくべきだったのだ。
そして、つなぎとめておくべき場所は王都が最適だ。最悪の場合にはそなたに対処してもらう事が出来るのだからな」
「やはり、戦時下には私も王都に残ると」
「そうだ。そなたには陛下とそのご家族を守ってもらわねばならん。今の状況で警護の手を緩める事はできん。戦時といえどもな。
これは、アルストールの件がなくとも同じ事だ。分かっていたことだろう?」
「左様でした」
カールマンはそう答える。
確かに例え戦になってもカールマンは王族の警護から離れるわけには行かない。それは以前から決まっていたことだった。
しかし、停戦期間がもう直ぐ終わるというこの時期になって、カールマンはそのことに不安を感じてしまっていた。
戦場における強者が足りなくなるのではないかと思ったからである。
この世界の戦において、強者の存在は非常に大きな影響がある。
最高クラスの戦士ともなれば、単身で一度の戦闘において100を超える兵を討ち取ってしまう事すら、十分にありえるからだ。
体力の限界というものは誰にでもあるから、1000もの兵を討てる者はさすがに存在しないだろう。だから一騎当千という言葉はものの例えか誇張表現に過ぎない。だが一騎当百の猛者なら実在する。
事実、かつての“英雄”ガイゼイクはそのようなことをやってのけ、幾たびも勝利に貢献していた。だが、そのガイゼイクは既にない。
人から掠め取ったものだったとはいえ、同様に戦場で力を振るっていたフォルカス・ローリンゲンも死んだ。
そして現在王国最強の戦士とされているカールマンも戦場には立たないのだ。
カールマンはこのことを不安に思わずにはいられなかった。
彼が戦の際にアルストール・トラストリアを王都の残す事に反対だったのは、その不安ゆえでもあった。
アルストールの強さは、自分やかつてのガイゼイクにはまだまだ及ばない。だが、相応の強者である事も間違いなかった。
上手く使えば戦場で役に立つはずだ。
(ルファス大臣はやはり過去の因縁に拘りすぎている)
カールマンはそうも思った。
軍務大臣エーミール・ルファス公爵がアストゥーリア王国へ絶対の忠誠を捧げていることは疑いない。カールマンはそう確信している。
だが、エーミールにとってのアストゥーリア王国とは、あくまでもオフィーリア女王の正統な子孫が君臨しなければならないものなのだ。その体制を覆そうとする者は、エーミールにとっては敵国と全く同等の国家の敵以外の何者でもない。
しかし、カールマンにはその考えは狭量に過ぎると思えた。
(だが、今私が言葉をつくしたところで、大臣の心を変えることは出来まい。
何しろ、これは大臣個人の考えというだけではなく、ルファス公爵家250年の揺るがぬ信念なのだから)
カールマンには結局そう結論付けることしか出来なかった。
エーミールは話しを進めていた。
「名目上の新光竜隊の設立は来月からだが、実質的な組織作りは明日から始まる。それを踏まえて王都の警備の体制も確認しておかねばならん。
近衛騎士隊の職務に変更はないが、炎獅子隊、光竜隊との連絡調整の方法など決めておくべきことは多い。そして、もしもアルストールが暴発した場合の手はずもな。
そなたにも面倒をかけるが、よろしく頼む」
その口調は非常に不機嫌そうなものだった。
(この様子ではこれ以上の提案をしても受け入れてはもらえまい。日を改めよう)
カールマンはそう考えて「畏まりました」とだけ答えた。
カールマンが提案しようとしていたのは、エイクのことだ。
戦場で活躍する強者が必要だと考えた時、エイクこそ正にうってつけの人材といえる。カールマンは是非ともエイクに戦で活躍してもらいたいと考えていた。
エイクとの会談を経て、カールマンはエイクを軍に仕官させることは無理だろうと判断した。
だが、条件次第では軍に協力させることは不可能ではないとも思っていた。
その条件とは、ガイゼイクの死に関する情報を提供することである。
エイクが父ガイゼイクの事を今も強く敬慕しているのは間違いない。
そのガイゼイクの死が何者かの陰謀だった事を告げ、その調査内容も伝えて共に仇を討とうとでも提案すれば、その見返りに戦の際に軍に協力してくれることもあるのではないか。と、そう思ったのだ。
当時王国最強の戦士で、軍の要職についていたガイゼイクが謀殺されていたという事実は、当然ながら国にとっても大事であり、各所を通じて調査が行われていた。
その結果は、はかばかしいものではなかったが、それでもエイクには重大な意味を持つはずだ。
エイクがユリアヌス大司教からの情報提供を受け、父が謀殺されていた事実を知り、既に独自の調査を進めようとしていることを把握していないカールマンはそう思っていた。
だが、だとしてもガイゼイクの死後にその名誉が貶められた事。そしてそれを軍が黙認した事に対して、筋を通さなければならないとも思われた。
エイクとの会談を経て、当時そのような指示を出したエーミールや、それに従った自分達の行いはやはり誤りだったと確信するに至っていたカールマンは、そのことをしっかりとエイクに謝罪しなければならないと考えたのである。
(出来れば、ルファス大臣からエイクに直接事情を説明し、謝罪の言葉の一つも告げて欲しい。そのくらいしなければエイクは納得しないだろう。そして今のエイクには、そこまでするだけの価値がある)
エイクの近時の活躍を聞き知って、カールマンはそう思うようになっていた。
(だが、今そんなことを言っても、大臣が聞き入れるとは思えない。時期を見て近いうちに改めて提案しよう)
カールマンはそう考えてエイクのことを口にするのは控え、今日のところはエーミールと実務的な打ち合わせのみを行うことにしたのだった。
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