第30話 ローリンゲン侯爵邸にて

「何だこれはぁ!!」

 エイクがロドリゴたちの襲撃を返り討ちにした日の夜、ローリンゲン侯爵邸の一室でフォルカス・ローリンゲンの金切り声が響いていた。


 その部屋は侯爵邸の中でも最も奥まった場所にある応接室で、フォルカスと通じるネメト教団“呑み干すもの”の教主グロチウスと、フォルカスが信頼する側近2人が同室していた。

 侯爵家に相応しい豪奢な応接室ではあったが、部屋の様子を気にする余裕がある者は誰もいない。


 フォルカスは手にしていた紙を引き裂いて投げ捨てた。それは、エイクの家に残されていた警告文だった。

 最初にエイクの家へ行かせた者達が戻らないことから、様子を見に行かせた者が、それを見つけたのである。


 そこには、二度と自分に関わるな。もし関わったなら、部下と同じ目に会うことになるだろう。と書かれていた。

 そして、その警告文の横には、ロドリゴの生首が置かれていた。

 それは警告というよりも挑発というべきものだった。


「くそッ、くそがぁ!!」

 フォルカスは更に大声で悪態をついた。

 彼はこの件にさっさと始末をつけなかった事を、深く後悔していた。


 当初のフォルカスの計画では、オドを奪う呪いはガイゼイクにかける予定だった。

 ガイゼイクこそが最強のオドの持ち主と思ったからだが、同時にガイゼイクの事を激しく妬んでいたからでもあった。


 協力関係を築いた闇教団の教主グロチウスから神器を提供された当時、フォルカスは既に炎獅子隊の隊員だった。だが、その実力は王国最精鋭部隊に相応しくないと見なされ、コネによる入隊だろうと思われて蔑まれていた。

 軍事的に劣勢なアストゥーリア王国では、軍は実力主義にならざるを得ず、高貴な身分の者でも実力が足りないと思われれば軽んじられてしまうのだ。

 そんなフォルカスにとって、下賤の出身でありながら“最強の戦士”“英雄”と、もてはやされていたガイゼイクは余りにも妬ましく、疎ましかった。

 だからこそガイゼイクから強さを奪ってやりたかったのだ。


 しかし、ガイゼイクに呪いをかけることは失敗した。

 その後、端末として使っていた少女から、代わりに息子を狙うという提案があった時、フォルカスは嫌がらせ程度のつもりでその案を採用した。

 ところが、その効果は驚くべきものだった。


 当時年端も行かぬ子供だったガイゼイクの息子エイクからは、凄まじい量のオドが流入し、さらにそれは年々強くなり、フォルカスは見る見るうちに力を強めて数年の内に炎獅子隊の副隊長にまで成りあがっていた。


 フォルカスはこの結果に満足しながらも、同時にエイクを恐れた。

 奪った力の大きさを実感しているからこそ、子供の身でそれほどの力を有する者の存在が、恐ろしかった。

 もしもこの力が奪い返されてしまったならば、とてつもない力を持つ復讐者が誕生することになる。そう思うと、身が凍る思いがした。

 フォルカスがエイクを執拗に虐待したのは、この恐怖の裏返しだった。


 ガイゼイクの死後、言いがかりをつけてエイクを苦境に追いやり、ファインド家の使用人頭だった男を取り込んで、エイクを廃墟区域に住まわせ自分の息がかかった冒険者の店に所属させたのも、彼をオドの供給源として囲い込むのとともに、いざとなれば直ぐに殺せるようにする為だった。

 “特別訓練”も自分の優位さを確認するための行為だ。


 そして、最近エイクからのオドの流入が弱まったり、更には止まる事もあり、その度にフォルカスは恐慌状態に陥った。

 もうそろそろ一思いにエイクを殺して、片をつけてしまうべきなのではないか。

 フォルカスがそう思い、端末役の女にもそのようなことを示唆していた矢先に起こったのが、今回のこの事態、即ち、ついに全てのオドが奪い返されてしまうという、最悪の事態だったのだ。


「くそッ! さっさと殺しておけば!」

 フォルカスは更に叫んだ。

「そうお騒ぎあるな、侯爵殿」

 グロチウスがそう言ってフォルカスを嗜める。


「何をのんびりしたことを言っている。貴様の無能な部下どももやられてしまったではないか!」

「まあ、対応を誤ったのは事実ですな」

 グロチウスもそれは認めざるを得なかった。


 初動が遅れたのが最初の失敗だった。

 最近エイクからのオドの流入が弱まったり止まったりする度に、フォルカスは大騒ぎをしてグロチウスを呼び出していた。

 表向きフォルカスを立てる立場を装っているグロチウスとしては、その呼び出しを無視することは出来ない。しかし、頻繁な呼び出しに辟易していた彼は、何かと理由をつけて直ぐには応じないようにしていた。


 今回、エイクから奪っていたオドがすっかり失われてしまった事に気付いたフォルカスは、慌てふためいて即座にグロチウスを呼びつけた。しかし、いつもの騒ぎと考えたグロチウスは直ぐには応じなかった。

 その結果、グロチウスが神器の呪術が完全に破られた事を把握したのは、翌朝になってからだったのである。


 グロチウスの知るところでは、発動端末として使っていた女が殺されたならば、これほどスムーズにオドが逆流することはないはずだった。

 つまり女は生きており、その口からエイクがある程度の事実を知ったのはまず間違いない。

 あの女は“呑み干すもの”の存在は知らなかったが、黒幕がフォルカスであることは承知していた。


 フォルカスとグロチウスは対応を協議した。

 まず、事実を知ったエイクがどのような行動をとるか、これは概ね四つほどの可能性が考えられた。

 一つ目は、公に訴え出る。

 二つ目は、逆上してフォルカスを殺そうと考え、ローリンゲン侯爵邸を襲撃する。

 三つ目は、早々に国外に逃げ出す。

 四つ目は、一時的に身を潜めて復讐の機会を探る。


 一つ目の行動はとられても特に問題はなかった。

 まともな証拠すら持たない冒険者見習いの訴えで、侯爵家当主をどうこうすることは完全に不可能だからだ。

 そして、そんな事はエイクも分かっているはずだから、そのような行動を取る可能性はかなり低いと思われた。

 それでも念のために各所に手の者を送り、そのような訴えが出ていないか、またこれから出されないか確認することとした。


 フォルカスは、二つ目の行動に出られる事を極度に恐れていた。

 フォルカスはエイクからオドを奪っていた頃の自分ならば、侯爵邸の通常の警備程度は突破できると思った。つまり、その力を取り戻したエイクにも同じことは出来るはずだ。

 フォルカスは信頼できる者をかき集めて、屋敷の警備を厳重にさせるように手配し、グロチウスにもしばらく侯爵邸に滞在するように命じた。強い力を持つ闇司祭である彼に、少なくとも屋敷に戦力を集めるまでの間、自身の身辺を警護させたかったからだ。


 三つ目の行動をとられた場合は厄介だった。

 侯爵家や“呑み干すもの”の力が及ばない国外で行動されては碌な対応ができない。

 既に間に合わない可能性もあったが、ともかく外壁の門にフォルカスの息のかかった炎獅子隊員を送り込んで状況を把握させた。


 そして、グロチウスがもっともありそうだと考えていたのは、エイクが四つ目の行動をとることだった。

 更に言えば、ただどこかに身を潜めるだけではなく、エイクの住処に様子を見に来る者がいるだろう事を予想して、住処の近くに隠れ、可能ならば様子を見に来た者を討ち取る。そんなことを狙うかもしれない、とも予想した。


 そのようなことを懸念したグロチウスは、待ち伏せされても確実に対処できるだけの戦力を集めてから、エイクの住処に向かわせた。この為に更に時間を必要とした。

 そしてエイクの住処の近くを探索し、もしエイクが隠れていたならばこれを討ち取り、既に近くには居なかったならば、住処を調べて少しでも手がかりを得て、そのまま行方を探ることを指示した。

 探索することになった場合は、夕刻には途中経過を報告することとした。

 しかし、その結果起こったのは全く想定外の事態だった。


 経過報告がいつまでも来ない事をいぶかしみ、改めてエイク宅の様子を見に行かせた部下が発見したのは、先ほどフォルカスが破り捨てた警告文と、9体の死体だった。

 このことは、予め待ち伏せがあるかもしれないことを予想して、それでも勝てると見込んで送り込んだ手練10人が全滅し、1人は捕虜とされたことを示している。

 エイクの力を大きく上方修正し、改めて対策を練る必要があった。


「だから! 何を悠長な。さっさと次の手を考える必要があるだろうが!!」

 フォルカスがまた叫んだ。

「“翼”の連中を使うしかないでしょう」

 グロチウスが応える。


「……それでは、奴らに俺が力を失ったことを知られる事になる」

「それは最早致し方ないでしょう。

 それに侯爵様は押しも押されもせぬ大貴族。個人としての武力など取るにならないものです」


「……。それに奴らで確実に殺せるのか」

「彼らは竜殺しの冒険者。パーティ全体で戦えば、その戦力は昨日送り込んだ者達よりも上。よもやたった一人を殺せないことはないでしょう。

 まあ、念のため、その次の策も考えておく必要があると思いますがな。どちらにしても連中に知らせを送りましょう」

 グロチウスはそう言うと、更にがなり立てるフォルカスを適当になだめつつ、次の策について考えを巡らせた。

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