第2話 その少年
少年の名はエイク・ファインドといった。
父はガイゼイク・ファインド。貧民街から身を起こし、冒険者として名を馳せ、傭兵として参加した戦でアストゥーリア王国勝利の立役者となって召抱えられ、ついには剣の腕一つで、王国最精鋭といわれる炎獅子隊の隊長にまで上りつめた男。
「王国最強の戦士」「英雄」とも呼ばれる立志伝中の人物である。
母エレーナもまた、技量は夫に匹敵すると言われた流麗な剣技とその美貌から「剣姫」と呼ばれた超一流の剣士だった。
その母が、自らの命と引き換えに産んだ一粒種こそがエイクだ。
そんな家に生まれたエイクは、文字通り物心つく前から剣を握り鍛錬に励んだ。
その最初の頃は順調そのものだった。言葉すらおぼつかない幼児が、小さな木剣を振るえば驚くほどの鋭さを見せた。
ガイゼイクに阿ろうとする者は、早くもエイクのことを「剣神の申し子」だの「剣聖と呼ばれるべき器」だのと誉めそやし、ガイゼイクも満更でもなさそうに笑みを浮かべていた。
当時はエイクも幸せを感じていた。
他の子供達にはいる母という存在が自分にいないのは寂しくて仕方がなかったが、その代わり自分には、この国で一番強くて英雄と呼ばれる凄い父が居てくれる。
そう思えば、寂しさを紛らわせる事は出来た。
その父に「命をかけてお前を産んでくれた母さんの為にも強く生きろ」と言われれば、素直にそうしようと思えた。
そしてまた父は、エイクが鍛錬の成果を示すたびに「良くやった」「たいしたものだ」などと声をかけて褒めてくれた。
その事がエイクにはたまらなく嬉しかった。
しかし、その幸福な日々は余りにも短かった。
まだエイクが7歳にもならない頃から異変は始まった。力が全く身につかなくなってしまったのだ。
息子の成長を注意深く見守っていたガイゼイクは直ぐに異変に気づき、治療師、神聖術師、魔術師、賢者、果ては精霊術師にもエイクを調べさせた。
その結果得られた結論は、原因不明の“オド”の欠乏というものだった。
この世界には“マナ”と“オド”と呼ばれる不可視の存在があり、あらゆる生物に宿っている。
マナは魂と結びつき、精神や知的な活動と深く関わる。
そして体内に宿るマナは魔法を使う時などに消費され、休息することで回復する。
これに対してオドは身体と結びつき、身体活動や生命力の源となる。
体内に宿るオドの量と質によって、身体的な力強さや生命力の強さがもたらされるのだ。
そして、生物が死ぬとオドはその体から発散され世界へと還元される。
オドが発散すると、魂とマナも体に宿ることが出来なくなり、マナもまた世界へと還元され、魂は転生の輪へと戻り、体は土へと帰って世界を循環するのである。
一般にオドは、鍛錬によって身体の発達とともに発達するといわれている。
体を鍛えれば、基本的には屈強な体躯とともに、良質のオドが多く身につくというわけだ。
しかし、これには少なからず例外が生じることが知られている。筋肉などの発達はそれほどでもないが、オドだけは十分に発達するということがあるのだ。
その結果、華奢な女性が大きな武器を振り回し、見た目からは想いも拠らない強力な一撃を放つ、などという例も実在する。
エイクの身に起こったことは、これと反対の事例だと推測された。
即ち、体は人並みに成長しているが、オドが全く増加せず、結果、力も生命力も全く身につかないのだと。
そして、その原因も治療法も不明。
一向に力が身につかないエイクは徐々に周りから蔑まれるようになっていった。
炎獅子隊隊員の子弟には、隊員用の訓練所の使用が許されており、指導員の指導を受けることも出来た。
指導員は引退した隊員で剣に優れていた者が務めており、良質の訓練が受けられ、実戦の経験も教えてもらえるため、多くの者が利用していた。
その中で同年代が切磋琢磨するのが通例だった。
エイクもその様にして鍛錬に励んでいたが、その中でみるみるうちに周りから取り残されてしまう。そして、虚弱体質、出来損ないと、陰口を叩かれるようになってしまったのである。
幼いエイクは、この理不尽な現実をどうしても受け入れることが出来なかった。
―――英雄と呼ばれる父と、剣姫と称えられた母の間に生まれた自分が、その母が自らの命と引き換えに産んでくれた自分が、これほど弱いはずが無い。絶対にそんなはずは無い。
彼はそう信じた。
それからエイクの鍛錬は常軌を逸したものとなった。毎日毎日倒れるまで続けられる訓練に次ぐ訓練。
子供らしい遊びなど一度もしたことが無かった。
寝る間も、学ぶ時間も惜しみ、最低限の読み書きと計算くらいしか覚えなかった。
怠けるなど考えたことも無い。
しかし、エイクの乏しすぎる体力は満足に訓練を行うのにすら足りなかった。
直ぐに体力が尽きて動かなくなる体。少し休んではまた鍛錬を繰り返す。
ついには父にねだって回復薬を用意し、尽きた体力と生命力を無理やり回復させて訓練に臨んだ。その為に必要な費用は相当な額に及んでいた。
力が無いなら速さで戦う、とも考えたが、武器を速く振るにも体をすばやく動かすにも、結局は力が必要であり、その最低限の力すらエイクには無かった。
それでも攻撃と回避はそれなりにはこなせるようになった。
訓練では、相手の攻撃が自らの体を打ち据えるその瞬間まで観察を続け、洞察力に磨きをかけた。
そして、相手の動きを見切り、次の動きを予測し、あるいは自ら相手の動きを誘導する。更に、それに基づいて戦略を組み立てて戦う。そんな術を身につけた。
その結果、思うように動かせない武器や体でも、攻撃を当て、相手の攻撃を避けることは、ある程度出来るようになった。
それほどの技術を駆使しても、身体能力の差で圧倒されてしまう事の方が多かったのだが……。
だが、ともかく、費やしたものの大きさに比べればささやかな成果ではあったが、当てることと避けることは、多少は出来る。
しかし、打撃力不足はいかんともし難かった。
攻撃が当たってもほとんどダメージにつながらない。その有様は傍から見れば滑稽ですらあった。
更に致命的だったのは体力不足による継戦能力の低さだ。
全力で戦い始めると、いとも容易く体力が尽き、武器を振るうのも体を動かすのも覚束なくなってしまう。
結果エイクに与えられた評価は、戦士としては全く役に立たたない。というものだった。戦うための鍛錬に、ほとんど全てを費やしたにも関わらずだ。
そんなエイクに心無い言葉が容赦なく浴びせかけられた。
最下層からのし上がり、粗暴で、善人とは言いがたい人物であるガイゼイクを、やっかむ者や嫌う者は多く、それらの者らはエイクを“無能”だ“出来損ない”だと罵った。
中にはガイゼイクの過去の不行状を言い立てて、神罰が下ったなどと言う者もいた。
エイクは一言も言い返さなかった。
自分が強くなることでしか見返すことは出来ないと思っていたからだ。
むしろ蔑まれる度に、強くなって見返したい、絶対に強くなってやるんだ、という気持ちはいや増して、ひたすら鍛錬を繰り返した。
しかし、心無い言葉にその精神が傷つき屈折してしまったのはやむを得ないといえるだろう。
そうして時が過ぎ、13歳を迎えたエイクは、強い焦りを感じていた。
強くなる事を一心に求めて、鍛錬だけに励む事が出来るのは、今年が最後だと思っていたからだ。
この世界では、平民は概ね15歳で成人と見なされ自力で身を立てる事が求められる。
ガイゼイクは男爵位を得ていたが、一代限りの爵位で実質平民と変わらない。
エイクも15歳で1人立ちしなければならないと思っていた。
今は惜しみなく自分を支援してくれている父ガイゼイクも、成人に達した後まで鍛錬を行うだけで働かない事を許すとは思えないし、エイク自身そんな事は許されないと考えていた。
そして、幼子の頃から戦う者として強くなる事だけを願い続けてきたエイクは、当然のように戦う者として独り立ちすることを切望していた。
兵士として国に仕え騎士の位や軍での出世を求めるか、あるいは冒険者として生計を立てるか、いずれにしても戦う者として身を立てることしか考えていなかった。
しかし、現時点でエイクに下された評価は「戦士として役に立たず」である。
今のままではとても戦う者として独り立ちすることは出来ない。
戦う者として独り立ち出来ないならば、何か他の生きる手段を身につける必要がある。
といっても、生きる手段を一夕一朝で身につけることが出来るはずがないのだから、15歳での独り立ちを前提にするならば、最低でも14歳くらいからは、他の生きる手段を身につけるように努め始めなければならないだろう。
つまり、遮二無二鍛錬だけに励む事が出来るのは、13歳の今が最後というわけだ。
しかし、エイクには戦う者として独り立ち出来ず、他の道を進む自分を受け入れる事がどうしても出来なかった。
それは、強くなるという彼の幼児の頃からの渇望と相反する道だったからだ。
結果としてエイクは、何がなんでも13歳の内に、戦う者として独り立ちできるだけの目途を立てなければならないと考え、己を追い込んでいった。
そうやって焦燥に駆られたエイクは、一つの考えに取り付かれた。
それは、命がけの実戦を経験したいという考えだ。
「命をかけた一回の実戦から得られる経験は、千回の試合に勝る」指導員の誰かが言ったそんな言葉にエイクはすがり付いた。
(命がけの本当の戦いの中でなら、訓練では身につかなかった何かを得られるのではないだろうか。
そんな戦いをくぐり抜ければ自分も強くなれるのではないか)
エイクはそんな風に考えるようになっていたのだ。
更にエイクは、命をかけた必死の戦いの中で真の力に目覚める。などという物語のような展開をも期待してしまっていた。
そんな考えに捕らわれたエイクは、父に無理をいって妖魔討伐の遠征に連れて行ってもらう事にした。
アストゥーリア王国はアースマニス大陸の、人の住む領域の最西端にあり、その西はヤルミオンの森と呼ばれる妖魔など闇の種族の領域となっていた。
しかも王都アイラナはその国土の中でも西よりに位置しており、ヤルミオンの森まで徒歩で僅か半日ほどの距離しかない。
エイクには、なぜそんな場所に王都を置くのか分からなかったが、その様な場所にある以上、ヤルミオンの森からあふれ出る妖魔などの魔物の存在は、王都の安全を脅かす問題だった。
このため、王国最精鋭と呼ばれ王都に常駐し、王都の治安維持と安全の確保を任務とする炎獅子隊は、毎年春と秋の2回ヤルミオンの森に分け入り、大規模な妖魔討伐を行っていた。
エイクはその春の妖魔討伐に同行したのだった。
本物の戦いを間近で見て鍛錬の参考にしたい。そんな口実で父に同行を認めてもらったのだが、彼の本当の目的はその身で実戦を経験すること。
部隊が森に入り野営地を設営すると、エイクは隙をみて抜け出し、はぐれの妖魔を求めた。
さほど遠くまで行かずに、1匹だけで行動するゴブリンを見つけられたのは幸運だった。
エイクは万感の思いを込めて戦いを挑んだ。
そして今、その結果として彼は、生死の淵をさ迷っていた。
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