第4話:初めてのキス
クリスマスイブ当日。父を見送ってから、朝ご飯を食べて家を出る。向かった先は最寄りの駅。駅前のベンチに座って待って居ると、地下に続く階段から上がってきた黒須さんが私を見つけて駆け寄ってきた。
「すうちゃん、おはよう」
「お、おはよう……黒須さん」
私達が通う学校では髪を染めることは禁止されている。彼女の髪は人より少し茶色がかっているが、それは地毛の色であり、髪を染めてはいけないという校則はちゃんと守っているらしい。彼女は制服も着崩さないし、スカートも短くしない。真面目に校則を守っている。ギャルなのに。今、目の前にいる彼女の髪もいつもと変わらない色なのだが、ふんわりとカールした毛先だけがほんのりと赤くなっている。
「それ、落ちるやつ?」
「落ちるやつだよ。すうちゃんも染めてみる?」
「いや……私は良い」
「寒色系似合いそう」
「染めないって。てか……」
クリスマスツリーのイヤリングに、クリスマスカラーのスマホケース。白いニット、緑色のスカート、赤いカバン、白いブーツ、赤く染まった毛先。今日の黒須さんはクリスマスカラーの主張が激しいなと苦笑いする。よく見ると、ネイルにまで白いクリスマスツリーが。
「ふ……ふふ……全身クリスマスじゃん……」
「可愛いっしょ!」
「……うん。可愛いね」
素直に褒めてやると、彼女は固まってしまった。「そ、そうか、可愛いか」と噛み締めるように呟く。クリスマスを一緒に過ごそうと約束したあの日から、彼女は変だ。恐らく、友人のあの『付き合っちゃえ』の一言のせいだろう。私もあの一言がずっと頭から離れない。黒須さんとならと、考えてしまったりもした。それはただ単に空気に流されているだけなのか、私が黒須さんに恋をしているのか。まだよくわからない。だけど、黒須さんとのクリスマスパーティーを楽しみにしていたのは事実だ。
「買い物、行こうか」
「う、うん」
クリスマスに浮かれるギャルの隣を歩く私は灰色のパーカーにジーパンという地味な服装。髪も特にいじっていない。櫛で溶かしてヘアゴムで括っただけだ。そんな正反対の二人は、近所のスーパーに向かった。スーパーは家族連れが多く、地味な私よりクリスマスコーデギャルの方が浮いている。
「えー。何ここ激安じゃん。近所にこんな激安スーパーあるとかチートじゃん」
と、肉を手に取りながら呟くギャル。長いネイルがトレーの包装を傷つけないかとヒヤヒヤする。今回の目的はクリスマスパーティーの料理と、ついでに昼食のための買い出しだ。チキンだけは前日に買ってすでに仕込んであるので、買うのはクリームシチューとポテトサラダの材料。あとお昼ご飯。
「お菓子見てきて良い?」
「良いけど、自腹でね」
「はーい」
彼女がお菓子コーナーに行っている間に必要なものをカゴに入れていく。
夕食に必要なものは揃ったが、彼女は戻ってこない。お菓子コーナーに行くと、真剣にチョコレートを選んでいた。最終的にカゴに入れたのはハイカカオのビターチョコ。
「それ、苦くない?」
「最初はあたしもそう思ったけど案外慣れると美味い」
「ふーん。……ところで黒須さん、この後どうするの? 一旦帰る?」
「ん? うん。そのつもりだけど」
「……良かったら、お昼食べていく?」
「えっ、良いの?」
「一旦帰るのめんどくさいでしょ」
私がそう言うと、彼女は「うん!」と元気よく返事をする。元々買い出しは私一人で済ませて、黒須さんは昼過ぎから合流する予定だった。しかし『いっぱい買うだろうし、荷物持ち居たほうがいいっしょ』とかなんとか言って無理矢理ついてきた。そんなに私と一緒に居たいのだろうかなんて、自惚れた考えを抱いてしまう。いやいや。ただの親切心だろう。多分。だけど、別にそうじゃなくてもいいなんて思ってしまう。下心があったって、別にいいと。私は思った以上にこの人に絆されているらしい。やっぱり恋なのだろうか。
「お昼は何にするの?」
「決めてない。リクエストある?」
「ナポリタン」
「ナポリタンね。パスタ以外なら材料あるから、パスタだけ買っていこうか」
「うん」
夕食と昼食の買い出しを終えて家に帰る。父はいないから、彼女と二人きりだ。今日一日ずっと。なんだかそわそわする。
「「あの……」」
二人の声が重なった。お先にどうぞと譲り合うが、私は特に言いたいことがあるわけではない。ただ、沈黙が気まずいから何か話さなければと思っただけだ。それを素直に伝えると、彼女は私の方を見ないまま話し出した。
「その……もう気づいているかも知れんけどさ……」
あたし、すうちゃんのこと好きかも。消え入りそうな弱々しい声で紡がれた言葉に、心臓が飛び跳ねた。そう言われるだろうとは思っていたのに、いざ言われると恥ずかしい。
告白は初めてではない。だけど、それは大体罰ゲームだった。根暗女に告るという罰ゲーム。
「……罰ゲームじゃないよね」
「罰ゲーム?」
分かっている。違うって。だけど確かめずにはいられなかった。彼女は問いの意味を理解出来ないのか首を傾げる。昔、同級生の男子から嘘の告白をされたことがあると伝えると、彼女は「何それ酷い!」と怒りだした。
ごめんと謝るが、その怒りはどうやら、罰ゲームではないかと疑った私にではなく、罰ゲームで私に告白した名も知らぬ男子に向けられているらしい。
「……疑ったことに関しては怒らないの?」
「悲しいけど、怒んないよ。だって、そんなことされた経験があるなら疑っちゃうのも無理ないじゃん」
優しい人だ。ギャルのくせに。いや、ギャルが性格が悪くて陰キャに厳しいなんてそんなのは偏見だ。黒須さんだけではなく、黒須さんの友達もみんな優しい。黒須さん以外はまだちょっと怖いし、名前も覚えてないけど。ほとんどが他クラスの子だし。
「……本気だよ。あたし。最初は
まりかというのは多分、付き合っちゃえよーと揶揄ってきたあの子だろう。女の子とも付き合ったことがあると言っていた。そのことに対して誰も否定的な態度は取らなかった。今はもう、そういう時代ではなくなりつつあるのだろう。私も別にどうでもいい。狙ってるとか言われちゃうと流石に警戒するが。
「……あたしのこと、信じられない?」
首を横に振って否定する。彼女は良かったとホッとしたように笑ったが、ハッとして言い訳するように言う。「クリスマスだから告ったとか、そんなんじゃないからね」と。そういえば彼女、クリスマスだから彼氏ほしいとか言っていた。だけど私はクリスマスだから告白されたなんて疑いもしなかった。
「クリスマス限りの恋人じゃなくて、その先も恋人でいたいって、思ってるから」
「……うん。信じる」
「良かった。それで……えっと……」
「……私も黒須さんのこと好きだよ」
そう言うと彼女は「マジ!?」と私の方を向き直して期待するように表情を輝かせる。しかし私が「恋かどうかは、まだよく分かんない」と続けると「そ、そうか」とあからさまに落胆して私の肩から手を離した。
「だから……付き合っても、やっぱ違ったってなるかも」
「……でも、そういうもんじゃない? 恋愛って」
「そういうもんなの?」
「そういうもんだよ。告白されて、別に恋してるわけじゃないけど、嫌いでもないし、とりあえず付き合ってみるかーって感じで始まることなんてよくあるし」
「……私とはとりあえずなの?」
「ち、違うよ! すうちゃんのことはちゃんと好きだし! 今だってぎゅーしたいの我慢してるんだから!」
「? すれば良いじゃん」
いつも許可なく後ろから抱きついてくるくせになにを言っているのかと首を傾げると、彼女は「恋愛的な意味で好きってことは、えっちなこともしたいって意味だから」と気まずそうに言う。
「……ハグはえっちなことじゃないよね?」
「ち、違うけど……でも……そういうこと考えてる人にぎゅーされるの、ちょっと、嫌かなって……うにゃっ!?」
ごにょごにょ言う彼女にこちらから抱きついてやると、彼女は脅されているかのように両手を上に挙げた。その手を下げて、自分の背中に導く。
彼女の心臓の音が聞こえる。騒がしい。黒須さんの心臓って感じだ。いや、騒がしいのは多分、私のことが好きだからなんだろうけど。私はどうなのだろう。ドキドキしているのだろうか。黒須さんの心臓がうるさくてよくわからない。だけど、この騒がしさはなんだか心地よい。そう思っていると、彼女の手がゆっくりと動き、頭に乗せられた。ぽん、ぽんとぎこちなく撫でられる。
「……嫌じゃない?」
「……うん」
「……じゃあ、もうちょっと、踏み込んでも良い?」
それはどういう意味かと問おうとすると、彼女の身体が離れた。顎を持ち上げられ、目が合う。
「……キス、しても、いい?」
「……黒須さんがしたいなら」
「あたしに合わせないで。すうちゃんがしたいかしたくないか聞いてるんだよ」
「……したいかどうかはわからない。けど、してみても良いかなとは思う」
「何よそれぇ……」
「……しないの?」
「……して良いならする」
複雑そうに言って、彼女は顔を近づけた。こういう時はどうしたら良いのだろう。目は閉じるべきなのだろうか。悩んでいると「目閉じて」と言われた。やはり目を閉じるのが正解なのだろうかと思い、目を閉じる。視界が遮られた分、彼女の息遣いをより鮮明に感じる気がする。唇に柔らかいものが触れて、すぐに離れた。終わったのだろうかと思い恐る恐る目を開けると、そこには真っ赤になった彼女の顔があった。私と目が合うと彼女は顔を逸らし「見ないで」と私の視界を手で遮る。その仕草に、心臓がきゅっとなった。これが胸キュンというやつなのだろうかと思っていると、身体を引き寄せられる。相変わらず、黒須さんの心臓はうるさい。だけど、私の心臓もうるさい気がした。
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