第二十二話  華秦国の皇帝 其の二

 こやつ、またしても私の心を……いや、もうそんなことはどうでもいい。


 私は両腕を組んで大きくうなずいた。


「〈宝貝パオペイ〉を現出げんしゅつさせたいか、だと? そんなものは当たり前だ。私は華秦国かしんこくの皇帝である前に男だぞ。男ならば強さをほっするのは自明じめいではないか」


「恐れながら、主上しゅじょうの場合は違います。あなたさまは男である前に、華秦国かしんこくの皇帝なのです。なればほっさられるのは強さではなくお世継よつぎでなければ困りまする」


「う……」


 それについて私は何も言えなかった。


 けれども、こればかりはどうしようもない。


 欲しいものは欲しいのだ。


 もちろん、私も皇帝として世継よつぎを産ませることの重要性は分かっている。


 しかし――。


「……〈宝貝パオペイ〉を現出げんしゅつさせねば、公務こうむ夜伽よとぎもはかどりませぬか?」


 私は嘘が嫌いなため、正直に首を縦に振った。


宝貝パオペイ〉。


 それは〈精気練武せいきれんぶ〉を一定の域まで極めることで得られるという、特殊な力が付与ふよされている仙道具せんどうぐのことだ。


 ただし道具と言っても実際に職人などが作ったものではなく、を食べることでこの世に現出げんしゅつさせることができるという代物だった。


 最初に烈膳れつぜんからそのことを聞いたときは意味が分からなかった。


 とある場所とはどこか?


 とある食べモノとは何か?


 烈膳れつぜんから〈宝貝パオペイ〉の存在を知ったときに何度もうたが、烈膳れつぜんは〈精気練武せいきれんぶ〉を修行していれば必ずそのときが来ます、の一点張りでそれ以上は詳しく教えてくれなかったのだ。


 烈膳れつぜんいわく、あれは実際に自分で体験しないと他人から口で説明しても理解できないのだという。


 事実、他の仙道士せんどうしたちもそうだった。


 仙道省せんどうしょうに所属している約50人の第1級を超える国内最高峰の道士どうし――仙道士せんどうしたちも例外なく烈膳れつぜんと同じように答えたからだ。


 だからこそ、私は余計に〈宝貝パオペイ〉に興味を持った。


 そんな力をこの世に現出げんしゅつできるのなら現出げんしゅつさせてみたい。


主上しゅじょうの熱意は見事なものです……されど、こればかりはご自身の功夫こんふー(積み重ねた力)にしか頼れませぬ」


 烈膳れつぜんはそう言うと、左手のてのひらをおもむろに上に向ける。


「――――ッ!」


 直後、すぐに私は下丹田げたんでん精気せいきり上げた。


 それだけではない。


 り上げた精気せいきを両目に集中させて〈龍眼りゅうがん〉を発動させる。


 するとどうだろう。


 いつの間にか烈膳れつぜんの全身は黄金色の光に包まれており、しかも今まで何もなかったはずの左手には6しゃく(約180センチ)ほどの1本のはたが握られていた。


 幻ではない。


 突如とつじょ、何もない空間から1本のはたが本当に現れたのだ。


 初めて見た。


 これが噂に聞く烈膳れつぜんの〈宝貝パオペイ〉……。


「いかにも、これがわしの〈宝貝パオペイ〉である〈杏黄戊己旗きょうこうぼきき〉でございます」


 私はごくりと生唾なまつばを飲み込んだ。


 他の仙道士せんどうしたちの〈宝貝パオペイ〉は本人の了承りょうしょうとともに見たことはあったが、この烈膳れつぜんの〈宝貝パオペイ〉は見たことがなかった。


 本人が何かと理由をつけてこばんでいたからだ。


「亡くなった師匠の遺言ゆいごんでみだりに見せぬとちかっていたのですが、今日のところは主上しゅじょうの武に対する熱意に負けましたわ」


 かかか、と烈膳れつぜん快活かいかつに笑う。


 一方の私は少し拍子抜ひょうしぬけだった。


 華秦国かしんこく内の道士どうしたちから武神とうたわれる烈膳れつぜんの〈宝貝パオペイ〉が、まさか武器ではない単なるはただったとは……。


烈膳れつぜん、てっきり私は一振ひとふりの剣を想像していたぞ。それこそ、この世のすべてを斬るような凄まじい剣の〈宝貝パオペイ〉を、な」


「剣……ですか。確かに仙道士せんどうしたちの中には剣の〈宝貝パオペイ〉を現出げんしゅつできる者はおります。されど、この世のすべてを斬れるほどの剣の〈宝貝パオペイ〉を現出げんしゅつできる者はおりません。もしもそのようなたぐいの〈宝貝パオペイ〉が存在するのなら、わしが知る限りにおいてはあの〈宝貝パオペイ〉ぐらいでしょうな」


「あの〈宝貝パオペイ〉? そなたがそこまで言うほどの〈宝貝パオペイ〉があるのか?」


 烈膳れつぜんは「見たことはありませぬが」と言葉を続けた。


「わしの亡くなった師匠が生前に言っておりました。特殊な力が付与ふよされている〈宝貝パオペイ〉の中には、もっと特殊な力を発揮はっきする〈真・宝貝パオペイ〉というものがあり、その代表的なモノが〈七星剣しちせいけん〉だと」


七星剣しちせいけん〉?


 私はやや前のめりに烈膳れつぜんいた。


「それは7つの星の剣……つまり、北辰ほくしん(北斗七星)に何か由来する剣の〈宝貝パオペイ〉なのか?」


「それが違うのです。どうやらその〈七星剣しちせいけん〉とは剣という名前がついてはいるものの、実はまったく異なる7つの武器に変化できる特殊な〈宝貝パオペイ〉だと言っておられました」


「な、7つの武器に変化できるだと? 〈宝貝パオペイ〉とは1つの形でしか現出げんしゅつできないのではないのか?」


「ゆえに〈真・宝貝パオペイ〉と呼ばれておるのかもしれません。しかも普段の形状は一般的な剣の形をしているらしく、何やら特徴的なが剣のどこかにあるらしいのですが……まあ、わしの師匠もさらに前の師匠に伝え聞いたことらしいので、もしかすると〈七星剣しちせいけん〉どころか〈真・宝貝パオペイ〉と呼ばれる〈宝貝パオペイ〉すらも無いのやもしれませんな」


 何だ、単なる眉唾物まゆつばものの話か。


 私は途端に興味が無くなってしまった。


 存在するかどうか分からない〈宝貝パオペイ〉のことより、やはり私が現出げんしゅつしたいのは目の前に確実に存在している〈宝貝パオペイ〉だ。


「ところで、烈膳れつぜん。そなたはそのはたを使って闘うのか?」


 烈膳れつぜんは首を左右に振った。


「この〈宝貝パオペイ〉は攻撃用ではありません。このはたを地面に打ち付ければ、一定の範囲にいるの行動を制限できまする。人間だろうと動物だろうと妖魔だろうと、です」


「そんなもの無敵ではないか! 要するに、その〈宝貝パオペイ〉を使っているときは誰もそなたを攻撃できないということだろう?」


「普通ならばそうです……ですがこの〈宝貝パオペイ〉を使っていてもわしに攻撃できたばかりか、手傷を負わせた者が過去に1人だけおりました」


 私は瞠目どうもくした。


「それは誰だ? 仙道省せんどうしょう仙道士せんどうしの1人か?」


「いいえ、その者は仙道士せんどうしではありません。西京さいきょうの街に住んでいる、友人の家の食客しょっきゃくである少年です」


 烈膳れつぜんなつかしむように言葉を続ける。


「いやはや……私も多くの武にすぐれた者を見てきましたが、あの少年こそ武神の生まれ変わりでありましょう。ここ1、2年は会っていませんが、あの当時の時点で武術も〈精気練武せいきれんぶ〉も極まっておりました。現に訪問の際には何人か仙道士せんどうしを連れて行きましたが、どの仙道士せんどうしとも互角以上に渡り合っておりましたな」


 おそらく嘘ではない。


 まさか、そのような逸材いつざいが無名のまま放置されているとは。


「少年と言ったが、実際にはいくつぐらいだ?」


「今ですと、ちょうど主上しゅじょうと同じぐらいの年なはずです」


 それを聞いた瞬間、私は両膝が崩れるほど驚いた。


 同時に強く思う。


烈膳れつぜん、その者をここに呼び寄せろ。武神とまでうたわれたそなたに、そこまで言わせる者ならば是非ぜひとも会ってみたい」


「ふむ、そうですな。私も今はどれほど腕を上げているのか知りたくなりましたので、明日にでも孫家そんけに早馬を走らせましょう。それにもしかすると、その少年と会うことで主上しゅじょうが〈宝貝パオペイ〉を現出げんしゅつさせるキッカケになるかもしれません」


 そんなことを言われたら、会わないという選択肢はもう無くなってしまった。


 ましてや、相手が自分と同じぐらいの年ならばなおさらだ。


「それで烈膳れつぜん。その者の名は何という?」


 一拍いっぱくを空けたあと、烈膳れつぜんははっきりと言った。


孫龍信そん・りゅうしんです」

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