第十五話   真の実力

「オルアアアアアアアアア――――ッ!」


 試合開始の合図と同時に、阿門あもんはアリシアさんに猛進もうしんした。


 表情を険しくさせ、声を荒げているのは威嚇いかくだ。


 そうすれば女であるアリシアさんが、自分の迫力に負けて身をすくませると思ったに違いない。


 しかし、アリシアさんの顔や身体には微塵みじん動揺どうようもなかった。


 あるのは、静かな闘志と力強い決意のみ。


 やがて2人の間合いがあっという間にまった。


 阿門あもんは大上段に構えた木剣ぼっけんを、アリシアさんの頭部へと振り下ろす。


 まるで本気で頭をくだこうというぐらいの勢いだ。


 それでもアリシアさんはどこまでも冷静だった。


「フッ」


 と、アリシアさんは短い呼吸とともに真下から木剣ぼっけんを跳ね上げる。


 ガンッ!


 周囲に木剣ぼっけん同士がぶつかる重い衝撃音が鳴り響いた。


 直後、見物人たちは息をんだ。


 アリシアさんに打ち負けた阿門あもんの手からは木剣ぼっけんがすっぽ抜け、そのまま阿門あもん木剣ぼっけんは後方の地面へと落ちる。


 だが、見物人たちが驚いたのはそこではない。


 いつの間にか、アリシアさんが阿門あもんの首筋に木剣ぼっけんを突きつけていたからだ。


「勝負あり……ですね?」


 アリシアさんの言葉を聞いて、ようやく見物人たちは我に返った。


「おい、今の見えたか?」


「いいや、全然見えなかった」


「俺もだ。木剣ぼっけんが飛んだことに目を奪われているうちに、なぜだか知らんが異国人の女が阿門あもんに剣を突きつけていやがった」


「まさか……本人は使えないと言っていたが、あの女は異国の魔法とやらを使ったんじゃねえのか? それとも奇術きじゅつ(手品)とか」


 違う、と俺は心中で否定した。


 あれは魔法でも奇術きじゅつ(手品)でも何でもない。


 肉体を駆使くしした純粋な技だ。


 ただし木剣ぼっけんを弾き飛ばしてから、首元に剣を突きつけるまでの動作があまりにも速すぎたため、他の道士どうしたちには魔法や奇術きじゅつ(手品)に見えたのだろう。


 アリシアさんはスッと剣を引くと、衝撃で固まっていた阿門あもんに頭を下げる。


 それは誰もが納得のいく勝負ありだった。


 けれども、たった1人だけ納得のいっていない人間がいた。


「この異国人のクソ女があああああああああ――――ッ!」


 次の瞬間、阿門あもんはじ外聞がいぶんもかなぐり捨てて再びアリシアさんに襲い掛かった。


 その憤怒ふんぬの表情からは、素手だろうと体格差を利用してアリシアさんを組み伏せようとする悪意が明確に感じ取れる。


「そっちがその気なら、ここからはもう試合ではありませんよ」


 今のアリシアさんは、阿門あもんより1枚も2枚も上手うわてだった。


 こうなることを予測していたのだろう。


 一気に踏み込んだアリシアさんは、両手を広げていた阿門あもんに剣を放った。


 うなりを上げて縦横無尽じゅうおうむじんに繰り出された剣は、吸い込まれるように阿門あもんの急所に命中していく。


「ぐがあッ!」


 やがて全身の急所を木剣ぼっけん殴打おうだされると、阿門あもんは情けない悲鳴を上げながら後方へ倒れた。


 その姿は牛車に引かれたかえるのようなありさまだ。


 それはさておき。


 やがてしんと静まり返っていた中、静寂せいじゃくを破ったのは道家長どうかちょうの言葉だった。


「しょ、勝負あり! 勝者、アリシア・ルーデンベルグ!」


 再び中庭に熱気がおとずれた。


 集まった道士どうしたちは、口々にアリシアさんをたたえている。


 俺はアリシアさんにけ寄った。


「素晴らしかったです、アリシアさん。以前の言葉は完全に取り消しますよ。今のあなたは道士どうしとして絶対にやって行けます。俺が保証しま――」


 すよ、と言葉を続けようとしたときだ。


 アリシアさんは俺にガバッと抱き着いてきた。


 その両目には熱い涙が浮かんでいる。


「ありがとう。本当にありがとう。あなたのお陰で私は本来の力を取り戻せました。あなたは命の恩人……いえ、それ以上の存在です」


 このとき、俺はアリシアさんを振りほどくことができなかった。


 密着したアリシアさんの身体からは、体温以上にこれまでの葛藤かっとうや今の喜びなどの感情が痛いほど伝わってきたからだ。


「良かった。そこまで言われると、俺も治したかいがあったというものです」


 と、俺が満面の笑みを浮かべた直後だ。


 ぴくりと俺の片眉かたまゆが動いた。


 後方から嫌な〝気〟がただよってきたのである。


「まだ、終わっちゃいねえ!」


 俺は顔だけを振り向かせる。


 そこには、上半身を起こした阿門あもんの姿があった。


 阿門あもんは全身を震わせながら立ち上がると、狂気の顔つきで見物人の1人にズカズカと歩み寄った。


 そしてその見物人を殴りつけて剣を奪うと、さやから抜いて剣の切っ先をアリシアさんに突きつける。


「くだらねえ比武ひぶ(武術の試合)なんて終わりだ! ぶっ殺してやる!」


 これにはアリシアさんも少なからず動揺していた。


 まさか木剣をまともに受けて立ち上がるとは思わなかったのだろう。


 しかし、俺は別なことを考えていた。


 おそらく、阿門あもんは〈精気練武せいきれんぶ〉の1つ――精気を全身にまとわせることで肉体を頑強がんきょうにさせる〈硬身功こうしんこう〉を使える道士どうしだったのかもしれない。


 だとすれば、木剣を受けても立ち上がる耐久力にも納得がいく。


 そんなことを考えていると、阿門あもんは血走った目で俺たちに突進してきた。


 確実にアリシアさんを殺すつもりだ。


 ならば、これはもう比武ひぶ(武術の試合)でも何でもない。


 俺はアリシアさんから離れて阿門あもんの前に立ちはだかる。


「どけ、小僧! てめえもぶっ殺されてえか!」


 俺は右拳を固く握り締めた。


 比武ひぶ(武術の試合)に負けた腹いせに、相手を殺そうとするなど道士どうしどころか人間の風上にも置けない。


「お前みたいな最低限の道理すらもわきまえていない奴は道士どうしじゃない……ただの人間のクズだ」


 やがて距離をちぢめてきた阿門あもんの剣が襲い掛かる。


 だが俺は冷静に剣の軌道を見極め、袈裟けさに放たれてきた斬撃を紙一重でかわす。


 と同時に俺は阿門あもんふところへ一気に飛び込み、無防備だった腹部に右拳による強烈な打拳を繰り出した。


 ドンッ!


 何かが爆発したような衝撃音とともに、阿門あもんは大量のつばを吐いて昏倒こんとうした。


 口内からはかにのように血が混じったあわがとめどなくあふれてくる。


 再び静まり返った中庭。


 そんな中、俺の後方にいたアリシアさんがたずねてくる。


龍信りゅうしんさん……あなたは本当に1番格下の道士どうしなんですか?」 


 はい、と俺は答えた。


「仕える主人を無くした……ただの第五級の道士どうしですよ」


 そう言った俺の目の前には、ぴくりとも動かない阿門あもんが倒れている。


 もう阿門あもんは起き上がってはこなかった。

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