第二話    暗殺命令

 これでくそ兄貴の懐刀ふとごろがたなと呼ばれた連中を根こそぎ追い出せたな。


 孫笑山そん・しょうざんことわしは、高価な酒を飲みながらニヤリと笑った。


 龍信りゅうしんを追放してから半時はんとき(約1時間)。


 現在はすでに日が暮れて夜のため、無一文で出て行った龍信りゅうしんはどこかで野宿していることだろう。


 けれども、わしは龍信りゅうしんの未来などまったく心配していない。


 それどころか、さっさとどこかで野垂のたれ死んでくれたほうがよかった。


 当主であったくそ兄貴をしたっていた人間ならなおさらだ。


 くそ兄貴に深く関係してた人間は消えてくれたほうがいい。


 念のため現場検証を行った役人にも金をつかませているのでバレないだろうが、もしも今回の一件がわしの犯行だと分かったら非常に面倒なことになる。


 今回の一件――それは要するに、くそ兄貴と憂炎ゆうえんを事故に見せかけて殺したことに他ならない。


 もちろん、わし自身が手を汚したわけでは当然なかった。


 専門の人間を何人も雇って事故死に見せかけたのだ。


 犯行現場はこの街と孫家そんけ墓地ぼちの間にあった街道である。


 孫家そんけ墓地ぼちは街から少し離れた場所にあるため、どうしても馬車などで移動しなくてはならなかった。


 そしてこの春先の時期になると、くそ兄貴と憂炎ゆうえんは最低限の共を連れて孫家そんけ墓地ぼちへと向かう。


 理由は以前に死んだくそ兄貴の妻の墓参りだ。


 狙うならこのときぐらいしかなかった。


 なぜなら孫家そんけ墓地ぼちは血縁者しか入れないため、白騎はくき龍信りゅうしんなどといった武術に優れた人間でも共は許されない。


 おかげで計画通り事が進めた。


 これにより孫家そんけの直系筋は自分しかおらず、他の一族の人間を黙らせてこうして無事に当主の座に収まることができたのだ。


「くくくっ……これでようやくわしの悲願が果たせるな」


 豪商で知られる孫家そんけの資産はとてつもなく、庶民ならば人生を何度となく生きられるほどだった。


 その資産のすべてがわしの手中に入ってきたのだ。


 笑いが込み上げてくるのも無理はない。


 もちろん、これからは今まで冷や飯を食わされていた分まで贅沢三昧ぜいたくざんまいをするつもりだ。


 しかし――。


 わしはぎりりと歯噛はがみした。


 この屋敷を追い出されて約10年。


 たかが賭博とばく花街はなまち妓女ぎじょたちに熱を上げたぐらいで、わしは当時の当主になったばかりだったくそ兄貴にこの屋敷から追放された。


 どうして孫家そんけの血筋たるわしを追い出すのか!


 今でも当時の怒りは鮮明に思い出せる。


 少しばかり孫家そんけの資産に手を出しただけだったのだ。


 それだけでわしは裕福を絵に描いたようなこの屋敷から追放され、孫家そんけの分家筋に当たる家へと押し込まれた。


 働かずとも食っちゃ寝の生活はできたものの、いかんせん毎月の小遣いが決められていて、今までのような贅沢ぜいたくな遊びがまったくできなくなった。


 最初はそれでも無理やり納得していたが、1年前にある用事で王都の花街はなまちに行ったときに文字通り人生観が変わった。


 いや、正確には1人の妓女ぎじょに出会ったことで人生観が激変したのだ。


 田舎の花街はなまち妓女ぎじょたちとは天と地ほども差があり、わしはどうしてもこの妓女ぎじょが欲しくて欲しくてたまらなくなった。


 だか、その妓女ぎじょはあまりにも売れっ子すぎたのである。


 毎月の小遣いなど妓女ぎじょと茶を飲んだだけで吹っ飛ぶほどだった。


 そこでわしは決意した。


 この妓女ぎじょと一夜を共にするどころか、身請みうけして妻にするためには孫家そんけの資産のすべてを手にするしかないと。


 だからこそ、わしは慎重しんちょうかつ巧妙こうみょうに計画を立てて実行した。


 くそ兄貴と憂炎ゆうえんを事故に見せかけて殺したのだ。


 それだけではない。


 くそ兄貴たちの事故死を不審ふしんがられる前に、くそ兄貴の懐刀ふとごろがたなと呼ばれていた連中を屋敷から追い出した。


 そして代わりに新たな使用人たちを雇ったのである。


 などと考えていると、部屋の扉がゆっくりと開かれて1人の男が入ってきた。


 わしよりも10歳は年下の30代半ばの男だ。


 名前は在喜ざいきという。


在喜ざいき、この屋敷の新しい家令かれいに選ばれた気分はどうだ?」


 最高です、と在喜ざいきは嬉しそうに笑った。


「まるで生まれ変わったようですよ」


 くそ兄貴の懐刀ふとごろがたなの代わりに雇った使用人たち。


 この新しい家令かれいに選んだ在喜ざいきもその中の1人だ。


 分家に追放されたあとに知り合った男で、裏社会の人間とも関りが多かったこともあり、今回の計画のために人を用意するよう頼んだのである。


 おかげで見事にくそ兄貴たちは事故死として処理された。


 本当に使える男だ。


 やはり新たな家令かれいとして迎え入れて正解だった。


 そう思っていると、在喜ざいきは「笑山しょうざんさま」と声をかけてくる。


「これで孫家そんけ莫大ばくだいな資産はあなたの物ですね。今回のあなたの計画を手伝ったこともまえて、これからは俺にもたんまりと分け前をはずんでくださいよ」


「心配せずとも分かっている。お前には庶民では考えられないような生活をさせてやるわ」


「ありがとうございます……ですが、1つだけいいですか?」


「何だ?」


「先代当主の懐刀ふとごろがたなと呼ばれていたほどの人間を追放するぐらいでよかったのですか? ここは完全に口を封じるべきではないかと」


「うむ……そう思うか?」


 はい、と在喜ざいきは強く答えた。


「せっかく金と時間と労力をついやして成功させた計画です。後々のちのちに面倒事へ発展する場合も考えて、せめて今のうちに先代当主の懐刀ふとごろがたなはこの世から消しておくことをおすすめしますよ」


 在喜ざいきの言うことも一理ある。


 ここは念には念を入れて懐刀ふとごろがたなの連中は消しておくべきか。


「いいだろう。人選はお前に任せる」


「了解しました、笑山しょうざんさま。それでは差し当たって、先ほどこの屋敷から追い出した小僧から始末していきましょう」


「まあ、そう意気込むな。やはり、龍信りゅうしんはしょせん18の小僧。警備隊長だった白騎はくきが一目置くほどと聞いていたが、素人のわしが投げた花瓶かびんも満足に避けられない無能者だったわ」


「しかし、ここは念には念を入れておきましょう。ちなみに、あの小僧は白打はくだ(拳術)の使い手ですか? それとも器械きかい(武器術)?」


「おそらく、武器のほうの剣術の使い手だろうな。先ほども腰帯こしおび後生大事ごしょうだいじに剣を差しておったわ」


 このとき、ふと龍信りゅうしんの長剣のことを思い出す。


 よく考えてみると、あまり見たことのない珍しい長剣だった。


 長さは3しゃく(約90センチ)の直刀ちょくとうだったのだが、つかの先端部分に【いち】と書かれた装飾品が取りつけられていたのだ。


 なぜ、長剣のつかに数字が?


 そう思った直後、わしは在喜ざいきからの「笑山しょうざんさま?」という言葉で我に返った。


「ど、どうした?」


「いえ、すぐに動こうと思うのですがよろしいですか?」


 いかんいかん。


 今は龍信りゅうしんの奇妙な長剣のことを考えている場合ではない。


 わしはゴホンと1つだけ咳払せきばらいをした。


「あ、ああ……もちろんだ。ヘマをせずに頼むぞ」


「かしこまりました。それでは」


 と、在喜ざいきは部屋から出て行った。


「殺すまでもないとは思っていたが、やはり火事になりそうな火種ひだねは消しておくべきだな」


 一息ついたわしは、再び酒をのどに流し込む。


 今夜からは楽しい夢ばかりを見れそうだ。

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