——3

「どうしてか聞いてくれたんだね? うん。つまり、やる気満々だ。僕にもはっきりしたことは言えないんだけど、もしかしたら……これは問題を簡単にする、絶好のチャンスかもしれないんだ」


 問題……?


「やってみる価値があるんだよ——これはねっ。じゃ、必要なものを用意しようか」

「は?」


 闇の中でドアが開いて、テーブルランプがその姿を照らした。学校帰りっぽい格好の加遼澪かりょうみおが、何だか殺人事件(※探偵が犯人だ)でも起きそうな空気の漂う、俺たちの領域に入ってきた。まだ夏休みのはずだが。

 学校帰り——と思ったのは澪が、今日はいつもの豹耳尻尾にいつもよりミニな白ワンピースと、赤いランドセルを着けていたからで……は?

 澪はランドセルを俺の膝の上に置いた。


「はッ——?」


 二人が肩を並べると、俺を見下ろして立った(※立ち上がって逃げることができず、俺は硬直していた)。底意地の悪いとびきりの笑顔が俺を見下ろしていた——伏せられていたことがあった。それを聞かされた俺は。俺は。




「似合う似合うっ」




 ——第六十九層の隠しエリアで、願いを叶える条件は


「彗星くんっ! 学校行こ? クラスのお友達もっ、彗星くんに来てほしいって言ってるよー‼︎ 本当に似合うっ。ぴったりね、澪のクラスにいても違和感がないわ。二学期から一緒に通って」


 ——『レベル一〇〇を超えたプレイヤーが深夜に一人で、小学校のランドセルを装備して、井戸を覗き込む』。


「やりませんが⁉︎ 似合い方が違うッ、気がつかないとでも思ったか! ランドセルを持ってさ、事案になってる絵面が似合うっていうッ」

「そう? 口だけねっ」

「じゃ、ゲームでもやろっか」

「せ〜っかく澪が協力してあげようとしたのにっ」


 ブリるなッ。急にかわいい声を出した澪が軽く胸を寄せながら、わざとらしく揺らして身を翻した。かと思うと、俺の目前に一歩踏み込んできた。俺が口を開きかけると墨華が、「能力を手放す気なんてないんだよ——本当はね」……背後を歩きながら言った。

 ガチャッ、と俺の目前で澪がランドセルを開けた。



「お兄ちゃんっ、澪ね……ゲームより絵本を読んでほしいなっ。持って来ちゃった。これ、み・ん・なっ、お兄ちゃんの家にあった奴だよ……? 似てるの着てきてあげたんだからっ」



 ——。思った。

 何故だ?


「能力を持っただけならセーフだったんだよッ! ほしいと思って取ったわけだし⁉︎ 実際、最初は楽しかったからな‼︎ けどッ……考えが甘い上に、デメリットがデカ過ぎた。死ぬ。切られる死ぬッ。なのに何故だ⁉︎ 仮に噂が本当だとして——第六十九層の井戸で願いが叶うとしたら」


 手にした祝福の変更——別の能力を得られるか、消すことができる可能性は、ある。

 しかし、


「墨華はどうしてッ、俺にそれをさせたいんだ……⁉︎」


 辻褄が合わない。墨華には能力が効いている(※あれで効いている)——しかし、そのことを気にしている感じはしない。額面通りのことが起こるなら……深夜になると、俺は死んだ目で墨華の家を出た。迷ったが素顔のまま。

 第六十九層は霧が入り口にも充満していて、水の粒子が音を減殺するせいでしんとしている。


「——(誰もいない……?)」


 壁は土を掘ったのではなく天然の鍾乳洞を思わせ、足元は霧が実体を持ったかのような濃い白煙の這う水溜まりの路と、水面に突き立った石筍が迷宮を形成している。広大な層内は、思った以上に人の気配がなかった。

 もし誰かに出会っても、噂を試しにきた一般人に見えるように素顔で来たが、考えてみれば。


 レベルは権限の強さ——ダンジョン攻略者のそれは鍛錬で得た強さではなく、システムのアンロック。未解放の領域は予め設定され、限られているために、噂の条件を満たすのに必要なレベル一〇〇以上となると並大抵のことでは到達できない。


 ——


 考えてみれば、噂が噂——真実にも嘘にもならないのは試せる人間がいないからだ。


「……何だ。というか——噂を試すにはこの格好で、一人来ないといけないんだし、もし会っても仲間だよなッ。確実に友達になれるぞ」

「へっ⁉︎」

「え——?」


 俺のレベルは一一〇を超えている。この層にレベル上げに来るのは精々七〇〜八〇程度のプレイヤーなので、気配を消していれば見つけられず、出会うのは噂を試しにきた同業者のみ——『ああ! あなたもランドセルですか』、と至近で声を上げられた俺は、友好的な笑顔で振り向いた。

 仲間を見つけた気分だった。霧が濃く、一瞬相手の姿は見えなかったが、声が女の子だったので能力も効く——と思った。


「⁉︎」


 相手を認識すると焦点が合い、靄が退く——空気中を漂う細かい水の粒子に眩い光が反射し、波及した。

 きらっとした水色のツインテが、毛先を俺に向けて揺れた。うっかり声を出してしまったかのように、一歩退こうとしながら、両手で口元を押さえた彼女と目が合うや心臓が爆発したかと思った。


「能力がッ——⁉︎」


 ——効かない。レベル五〇〇。そう、それだけ高レベルなら四六時中稼ぎをしているはず(それだけで到達できるものではないが)で、ここは最も稼ぎに向いた層——四季咲よつきさきが俺の目の前にいた。自分の顔が絶望的に蒼白になっていくのがわかった……。


「やっ——ぅぇっ……うそっ?」

「……」


 違うッ、これは! 言いかけて、言いたかったのに声が全く出ず(※咲とは本部を移転したから会えなくなっていた)、しかしその時俺よりもずっと咲が真っ赤な顔をしていたのに気がついた。何が恥ずかしいのかと思って見ると——ランドセルは持ってなかったが。

 ランドセルは持ってなかったが⁉︎ 今日は服装がいつもの感じではなく(そんなに回数会ってないが一回の印象が強烈に強く、白が好きなんだと勝手に俺は思っていた)、咲はテーマパークのお土産で売っているキャラクタープリントのキャミソールとデニムのホットパンツを着て、悪魔の羽形の飾りがついたロリポップを舐めていた。

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