第46話 秀頼 松本に再び現る

空想時代小説

今までのあらすじ 

 天下が治まり、日の本は諸大名の元、安寧の世の中になると思われた。

 朝廷より武家監察取締役に任じられた秀頼は真田大助と上田で知り合った僧兵の義慶それに影の存在である草の者の太一と諸国巡見の旅にでた。越後からいっしょだったお糸は琉球で火事にあい、亡くなってしまった。徳川家光は後継ぎとして駿府にもどって、本多忠刻が亡くなったため、徳川家再興となり駿府藩の藩主となっている。平泉から供をしていた元山賊の春馬は震災にあった土佐の村で好いたおなごができて、そこに残った。それに鳴門で秀頼を弟の仇と襲った加代が姫路から同行した。そして高取城から連れてきた者どもと一緒に伊賀上野の統治にあたり、3年後、伊賀上野を義慶と加代に任せ、秀頼は再び諸国巡見の旅に出た。


 秀頼らが松本に着いたのは秋が深まったころである。信州がもっとも美しい時期である。

 松本城の真田信繁(59才)は伏せっている。年齢だけではなく、若い時の戦つづきで体が壊れかけているとしか思えなかった。信繁の兄信幸も昨年他界している。

「秀頼公、よくぞもどられた。12年は長かったですな」

「信繁殿、お待たせしました。伊賀上野で思わぬ足止めを食らってしまいました。もうしわけありませぬ」

「いやいや、あの統治しにくい伊賀上野をよくまとめられたと聞いております。立派なことをなされました」

「それも大助のおかげである。内務担当として手腕を発揮してくれました。信繁殿の後継ぎとして申し分ない働きでござった」

「うむ、城にいてはできぬ体験を大助はしたであろう。たくましく育ててくれた秀頼公に感謝申し上げる。ゴホッ、ゴホッ」

 と、せき込みながら礼をいうのがやっとであった。そこに茶を持った者が現れた。

「末娘のおたき(24才)でござる。さっぱり嫁に行く気がなく困っております」

「母は大谷殿の娘ごでござるか?」

「いや、九度山で知り合った娘じゃ。おたきを産んだ後、死んでしまい奥が育ててくれた」

「できた奥方だ。して今奥方は?」

「昨年亡くなった。今はおたきが奥をしきっておる。いい人間は早死にする。第1次関ヶ原の戦いの時の武将は皆いなくなった。大坂の陣を知っている者も少なくなった。世代は替わった。秀頼公が表にでてもいいころではないでしょうか」

「うむ、この前大助にも言われた。われに天下をとれ。と、しかし今さら関白や将軍になってもな」

「天下は関白や将軍でなくてもとれまする。秀頼公、伏見に屋敷を造られよ」

「伏見に? 今は廃城となっておるぞ」

「もともとあそこは豊臣の城でござった。徳川に占拠されていたので、焼き討ちにあいましたが、京からつかず離れずの距離で、全国を見るにはちょうどよいところです。今の制度では2人の探題が召集をかければ諸侯会議を召集できます。その探題の中には武家監察取締役も含まれます」

「そうか、われと信繁殿が召集をかければ諸侯会議が開けるな」

「わしはもう終わりです。今後は大助が探題となります。それに諸侯会議を年1回開催されることをおすすめします。春のサクラが見られるころがようございますな。正月では雪深いところの大名はつらいですからな」

「大助のことだが・・お糸という恋仲のおなごがいたのじゃが、琉球で火事にあい亡くしてしまった。それ以来、おなごを近づけようとはせん。いかがしたものか」

「そのことでござるか。松本に落ち着けばなんとかなりまする。まつりに行けば見つかるのでは・・・」

「まつり?」

「明日、そういうまつりがあります。若い男女が出会うまつりです」

「そんなまつりがあるのか。われも行ってみようか?」

「秀頼公は少し年がいっていますな」

「そうか、それは残念」


 翌日、秀頼はまつりが行われる城下の神社に行ってみた。すると鳥居のところで、お面を配っている。男はひょっとこ、女はおかめである。秀頼は年がいっているということで、お面がもらえず帰されてしまった。大助はなんとかお面をもらい、中に入った。中央の舞台で太鼓や笛がならされ、その周りを多くの男女がお面をかぶって踊っている。曲が終わると、しばらく休憩である。何人かの男女の組が木陰にはいっていく。ほとんどの組がもどってくるのだが、中には木陰に入ったまま、もどってこない組もいた。要は、集団見合い、今でいう合コンである。お面をかぶるのは、出会いの数を増やすためらしい。木陰でお面をはずす時のどきどき感がたまらないという。がっかりすることも多いらしいが・・・。

 大助は踊りの輪に入らず、じっと人々の動きを見ていた。お面は頭の上にかぶせている。よって、だれも寄ってはこない。人々の躍動感を感じて感動していたのだ。

(こういうことが大っぴらにできる平穏な時代になったのだな)

 3曲ほど見て、帰ろうとすると木陰でうずくまっている娘に気づいた。

「どうされたのですか?」

 と大助が聞くと、

「足をくじいて歩けませぬ」

 という。

「それではおぶっていってやろう」

 と、手をさしのべるが、娘は拒絶する。知らない男に声をかけられたら当然である。ふつうならば、ここで引き下がる大助であるが、この時は違った。その娘がどことなくお糸に似ていたからである。

「わしは怪しいものではない。武家監察取締役木下秀頼公の配下である。何かあったら秀頼公に訴えられよ」

 秀頼の名をだしたので、その娘は少し気を許したのか、大助の誘いにのった。背中に娘をのせて、しばらく歩くと商家の街なみにでた。娘の家は、その中の呉服屋であった。店の前まで行くと、用人がでてきて、

「お嬢様、いかがされましたか?」

 と、さっさと連れていった。大助はあっけにとられながら見送るしかなかった。


 数日後、城に客人がやってきた。呉服屋の主人とあの娘である。

「木下秀頼公の配下の方にお会いしたい」

 と門番に言うと、二の丸の館の客間に案内された。二人は、大げさなことになったと目を丸くしている。そこに、秀頼と大助がやってきた。娘は恐縮して、頭を下げている。

「木下秀頼である。配下といえば、この大助しかおらぬが間違いないか?」

 と聞くと、娘が

「はい、そうでございます」

 とか細い声で応える。

「大助が何か悪さをしたのか?」

 と秀頼が聞くと、大助は必死の顔で否定している。

「いえ、私が足をくじいていたところを、おぶって家まで送ってくれたのです」

「なんだ、いいことをしたのではないか、大助よくやった」

 そのやりとりを聞いて、呉服屋の主人はおそれおののいている。大助が城主信繁の長子だと知っているからである。娘が口を開く。

「あの節は本当にありがとうございました。ばたばたして、お礼もできませず、今日あらためて感謝をしにまいりました次第」

 との言葉に大助が

「なんの、あの時は足を痛めておったのじゃ。手当を優先させるのはいた仕方ないこと。なんとも思っておらん。それより改めて礼に来てくれたことうれしく思うぞ」

 と返すと、秀頼が

「よくぞ、言った。それでこそ次期城主である」

 その言葉を聞いて、娘がびっくりしている。娘は大助が嫡子と知らなかったのである。そして、主人がおそるおそる包みをさしだした。

「これは、ささやかなものでございますが、お礼の品でござります」

 すると大助が、

「人として、あたり前のことを自分からしたまでのこと。頼まれたわけではない。よって受け取る筋合いはない」

「大助、よくぞ申した。そうだ、大助が呉服屋に気楽に行けるようにすればいいのでは?」

 と秀頼は半分おもしろがって言い出した。大助は手を振っている。

「それは、それは大助様においでいただけるならば、わが家のほまれ。毎日でもおいでくだされ」

「それでよい。よいな大助」

 と、秀頼のごりおしで決まってしまった。


 冬の間、秀頼は松本にいた。信繁が危ないということもあるが、世話をしてくれるおたきとの時間が楽しかったからである。いっしょに月見をしたり、雪景色の中を歩いたり、商家めぐりをしたりとおたきの案内で松本を知るいい機会となっていた。大助も三日に一度は商家めぐりをして、必ず呉服屋で茶を飲むというのが習慣となっていた。


 2月の雪深い時、信繁が危篤状態となった。枕元には大助と二男の大八、そしておたきと秀頼が呼ばれた。息もたえだえの状態でやっと言葉を発する。

「大助、信州と甲州をよろしく頼む。また探題として秀頼公を助けよ。大八には松代を任せよ。おたき、お前もそろそろ嫁にいけ。できれば秀頼公にもらってもらえ。いつまでもひとりでいるな。秀頼公、諸国巡見は終わりになされ。前にも話したとおり、伏見で全国ににらみをきかされい」

 と、遺言を残し、息を引き取った。60才の生涯であった。日の本一の兵(つわもの)と言われた信繁も病には勝てなかったのである。

 大助が喪主となって、葬儀が行われた。探題としては質素な葬儀であった。雪の多い時期でもあり、参列者を少なくしたからである。秀頼は弔辞を述べた。

「信繁殿、そなたはわれの心の支えであった。大坂の陣でわれに応援してくれただけでなく、平穏な日の本を作るために働いてくれた。心より感謝申し上げる。われが諸国巡見に出る際も大事な長子である大助殿を配下としてつけてくれたこと、何事にも代えられぬ恩である。そなたの遺志をむだにはしない。家紋の六文銭は三途の川の渡し賃であるが、その先の閻魔大王はそなたにひれ伏すであろう。今後は天からわれらを見守っていてほしい。ご冥福を心よりお祈りいたす」

 と言って、手を合わせた。弔辞を聞いていた真田の家臣の中からはすすり泣きが聞こえていた。


 49日の法事を終えた春のある日、秀頼は京に向かって旅立った。別れる時、太一を呼んだ。

「太一、今までよくやってくれた。お主に何度助けられたことか。どんな感謝をしてもしきれん。お主も嫁御をもらう年じゃろ。上田にもどって、静かに暮らせ。上田の真田殿には文を書いておく。無下にはしてくれないはずじゃ」

 と言って、過分の銀子がはいった袋を手渡した。

「殿、さびしうござりまする。しかし、ここに来てわしの仕事は無くなりました。これも平穏な世の中になったことでござる。殿とごいっしょした12年間、決して忘れませぬ」

 と言って、静かに去っていった。

 供の中に大助はおらず、代わりにおたきがいた。それと数名の侍とおたきの付き添いが付いている。

 京都守護の細川忠利と畿内探題の大野治友の尽力で伏見に秀頼の館ができたので、そこに移ることになったのだ。次の諸侯会議は京の二条城で秋に開催されることになっている。諸侯会議の面々や諸大名が代替わりしてきたので、顔合わせとともに、今後の方針を決定するためである。

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