第43話 秀頼 伊賀を去る

空想時代小説

今までのあらすじ 

 天下が治まり、日の本は諸大名の元、安寧の世の中になると思われた。

 朝廷より武家監察取締役に任じられた秀頼は真田大助と上田で知り合った僧兵の義慶それに影の存在である草の者の太一と諸国巡見の旅にでた。越後からいっしょだったお糸は琉球で火事にあい、亡くなってしまった。徳川家光は後継ぎとして駿府にもどって、本多忠刻が亡くなったため、徳川家再興となり駿府藩の藩主となっている。平泉から供をしていた元山賊の春馬は震災にあった土佐の村で好いたおなごができて、そこに残った。しかし、鳴門で秀頼を弟の仇と襲った加代が姫路から同行している。そして今では高取城から連れてきた者どもと一緒に伊賀上野にいる。秀頼は仮の城主をしているのである。


 秀頼らが伊賀上野に来て、3年が経った。本来ならば2年で伊賀上野を去る予定だったが、家臣や民から「あと1年やってほしい」と懇願され、ここまでやってきた。

2年では年貢の徴収や地域振興策がまだ不十分だったが、3年でやっとその糸口が見えた。秀頼が諸国巡見の旅に出て、12年目となっていた。信州の真田家からは「お城づとめをしているなら信州にもどってこい」と何度も大助に文がきている。父信繁が病で伏せることが多くなったというのだ。奥羽の政宗は昨年亡くなった。関東の景勝は2年前に他界している。日の本分割の時の探題の多くが亡くなり、大野兄弟も長子に探題職を譲り、隠居している。世代交代の時期なのだ。

 秀頼は36才になっていた。大助29才、義慶31才、太一27才である。加代は年齢不詳。

 春のある日、大広間に家臣を集めた。3年前は80名しかいなかったが、今では200名となっていた。

「皆の者、よくぞ集まってくれた。この3年間、よく働いてくれた。皆のこと、誇らしく思う。皆の者が存じているとおり、われは武家監察取締役の身、今後はその職にもどろうと思う。そこで、ここ伊賀上野をおさめる者を発表する」

 と、秀頼が言うと、ざわめきがおきた。いよいよ新大名の発表である。実は前日に家臣全員が入れ札をして、新城主に票をいれていたのである。対象は番屋の長以上か内務の主任以上の役職にある者である。20名ほどの中から選ぶことになっていた。だが、ほとんどの者が同じ意見であった。その働きぶりは、藩内で随一のまとめ役だったからである。

「では、発表する。新城主は上田義慶(うえだぎけい)」

 という声に、どよめきが起きた。皆が予想したとおりの結果だったからである。

「義慶は外務担当として、藩内の治安だけでなく、地域振興にも寄与してくれた。特に酒造りには熱心だったがな」

 との声に、皆からは笑いが起きた。毎日のように酒蔵に立ち寄って、一杯ひっかけていたからである。しかし、義慶が自ら動いて治安の維持に尽くしていたのは皆が承知だった。また伊賀上野に来てからは僧籍を離れ、出身地の上田の名をもらい、真の侍となっていたのである。奥方は加代である。加代には全く頭があがらないので、家臣の中には「真の城主は奥方だな」とささやいている者もいた。

 秀頼にうながされて義慶があいさつに立った。

「皆、ありがとう。思えば12年前、わしは殿を斬ろうとした。しかし、殿は許してくれた。それで無理無理おしかけ家来にしてもらった。それ以来、殿のなさりようを見ていて、学ぶべきことは寛容と包容力であった。平泉で山賊退治をしたことがあるが、その者たちを皆許しただけでなく、行く末の面倒も見てやった。鳴門では仇討ちで殿をねらったおなごを、無理もないことと許した。それがわしの奥方加代である。皆の中にも何かしらの罪を許されてここにいる者も多い。罪深き者も罪を認めれば、また生きる道を得られるのが殿の器量の大きさであった。わしもそれを見習っていきたいと思う。そそっかしいところが多々あるが、今後も皆に助けてもらわなければならぬ。よろしく頼む」

 という言葉に笑いが起こっていた。大名のあいさつでないところが義慶らしい、


 秀頼は大名交代の顛末を畿内探題の大野治友(はるとも)に文を書いた、本領安堵は探題の権限である。その返書が来て、正式に義慶は大名として認められた。一介の僧兵それも生臭坊主が10万石の領主となったのである。新しい日の本の象徴であった。

 そして秀頼が伊賀上野を去る日がやってきた。仰々しい見送りが嫌いなので、未明に旅立つことにした。お供は大助と太一であるが、例のごとく太一はどこにいるかわからない。ところが、城からでたところで、家臣がどこからともなく出てきて、列を作っている。中には涙目の者もいたが、一人が拍手をし始めると、それが連鎖し、多くの拍手となった。拍手の習慣は、城内で祝い事をする時に行われていた。言い出しは大助である。「今の時代、エイエイオーもあるまい」ということで、神社でする拍手を何回もすることで祝いの気持ちを表すようにしていたのだ。すると、民百姓たちも集まってきて見送りを始めた。それが国境(くにざかい)まで続いた。ほとほと疲れた二人であったが、正直嬉しかった。

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