第42話 秀頼 伊賀上野城主となる

空想時代小説

今までのあらすじ 

 天下が治まり、日の本は諸大名の元、安寧の世の中になると思われた。

 朝廷より武家監察取締役に任じられた秀頼は真田大助と上田で知り合った僧兵の義慶それに影の存在である草の者の太一と諸国巡見の旅にでた。越後からいっしょだったお糸は琉球で火事にあい、亡くなってしまった。徳川家光は後継ぎとして駿府にもどって、本多忠刻が亡くなったため、徳川家再興となり駿府藩の藩主となっている。平泉から供をしていた元山賊の春馬は震災にあった土佐の村で好いたおなごができて、そこに残った。しかし、鳴門で秀頼を弟の仇と襲った加代が姫路から同行している。今は大和の高取城で知り合った山賊もどきの落ち武者100人ほどを引き連れている。

 

 伊賀上野に着いたのは、初夏となっていた。100人を越えているので、足並みが遅い。泊まる宿にも困るほどであった。途中、抜け出す者もいたので、伊賀上野に着いた時には80人ほどになっていた。元々、人の下につくことが嫌いな者もいる。秀頼らが所属していた門番組の隻眼の小頭もいつのまにかいなくなっていた。またどこかで、山賊をしているのかもしれない。

 伊賀上野に着くと、大野治長の使いが待っていた。

「秀頼公、おつかれさまです。治長殿は秀頼公が伊賀上野城に入っていただくことをいたく喜んでおりました。これは当座の軍資金、いや統治金でございます」

 と言って、千両箱5箱をさしだした。それを見た大助がホッとしている。路銀を使い果たしていたからだ。

「いつまでもここにいるつもりはないが、治長殿のお気遣いありがたく存じる。と、よろしくお伝えくだされ。それと高取城にいた秀治はどうなった?」

「秀治は殿の近習になり申した。素直な性格のようなので、いい家臣になると思います」

「そうか、それはよかった。それで名はどうなった?」

「旧姓にもどりました。木下だそうです」

「木下秀治か! まるでわれの縁戚じゃな」

 と秀頼が言うと、皆が笑った。


 一晩休んで、翌日皆を大広間に集めた。一人ひとりに当座の支度金を10両ずつ与えた。いつまでも山賊姿でいるわけにもいかないからだ。住まいは城内の長屋に割り振った。皆、同格である。

「皆の者、これから職務の割り振りを行う。各々希望を札に書いて、大助に出してくれ。明日には発表を行う。内務と外務に分かれ、内務は勘定方と資材方に分かれる。外務は見回り組と番所組に分かれる。内務の長は大助で、外務の長は義慶である。政務はわれが指名した者で行う。とりあえず、われと大助が行うが、皆の仕事ぶりを見て、政務に引き揚げる。そして1年後には、その政務の中から代官として郡の長になってもらう。代官には20人ほどの家臣がつくことになる。2年後にはその代官の中から大名を選ぶ。われの仕事はそこで終わりだ。大坂へもどる。この中にいる者すべてに大名になる機会があるわけだ。精進いたせ」

 という秀頼の言葉に歓声があがった。仕事ぶりがよければ大名になれるのである。こんなことは他ではありえない話だ。

 

 翌日から秀頼の政務が始まった。まずは高札をたてて、秀頼の治世になること。年貢は3分とすることを明らかにした。他藩では4分がふつうなので、割安の年貢である。収穫量の算定は見本の田畑を指定し、そこを勘定方が見極めて、その年の年貢の量を割り出すこととした。これで収穫量をごまかすことができなくなる。また、もめごとがあった場合は各番所に申し出ることを明記した。今までは、領主への直訴が多かったのだが、その前に番所を通すことを知らせたのである。


 伊賀上野の領内は、各部落の力が大きい。小さい土着勢力が力をもっている。それぞれの部落には人の丈ほどの土塁がはりめぐされ、大木で囲まれている。よそ者がひとめ見ただけでは部落とはわからない。場所が分かって、年貢の取り立てにいっても、抵抗をしめす部落も少なくなかったのである。それに多くの部落に忍びの仕事をしている者が多数いる。特定の主人をもたずに、報酬をもらって仕事をする輩だ。今は安寧の時代になったので、忍びの仕事は少なくなったが、抵抗勢力になると侮れない存在だ。

 秀頼は、そういう統治しにくい場所で、どのようにするか頭を悩めた。いろいろ考えた末、原点にもどることにした。「その地の統治はその土地の者に任せる」である。諸国巡見で各地でその原則をもとにして、統治させてきた。元々、日の本分割統治もその発想から生まれたものだ。ここ伊賀上野でも、よそから来た我々が統治をするのではなく、地元の者に任せることにしたのだ。そこで各部落の番屋役人を募集する高札をたてた。高取城から連れてきた者どもは城下町の番屋を担当することにした。この政策は功を奏した。募集人数を上回る地元民が集まった。そこで、希望者には城つとめをすすめた。見回り組が少なかったからである。

 それと、地域振興策を募集した。年貢を減らした分、それを補うものがなければ家臣の俸給もままならない。すると焼き物に適した土があるということ、冬場に組みひもを作っている者たちがいるということ、そしてうまい酒ができることがわかった。中には忍び屋敷を作ってはどうかという策もあがってきた。

 焼き物は伊賀焼ということで、大坂にもっていって売ることにした。組みひもは大助が九度山にいた時に、真田ひもを作っていたことがあり、双方の特色を取り入れて、これも大坂で売ることにした。どちらも大坂でとぶように売れた。さすが秀頼の名前は大きい。酒は、多くは造らなかったが旅人たちがわざわざ飲みにくるようになった。お伊勢参りにいった民が帰り道に伊賀上野に寄って、うまい酒を飲んでいくというのが流行りとなったのである。その旅人たちに好評だったのが忍び屋敷である。からくり屋敷で、隠し部屋があったり、壁が反転するなどのしかけがおもしろいということで、人気がでていた。地元の者に聞くと、こんな屋敷は実際にはないということだったが、皆の知恵で造ったからくりだったのだ。

 

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