第26話 秀頼 島原・熊本に現る

空想時代小説

今までのあらすじ 

 天下が治まり、日の本は諸大名の元、安寧の世の中になると思われた。

 朝廷より武家監察取締役に任じられた秀頼は真田大助と上田で知り合った僧兵の義慶それに影の存在である草の者の太一と元山賊の春馬を伴って諸国巡見の旅にでた。越後からは身請けをしたお糸もいっしょで、駿府からは徳川家光も同行している。


 島原の地は松倉藩である。関ヶ原まではキリシタン大名であった有馬氏がおさめていたが、関ヶ原の後、幕府の禁教令により有馬氏は仏教に帰依し、キリシタンを弾圧していた。統治に問題があるということで有馬氏は移封され、現在は徳川の臣下であった松倉重政が領主である。徳川幕府崩壊後、松倉氏は九州探題加藤清正に逡巡したので、現在に至っている。しかし、統治はうまくいっていない。それは島原に来て、すぐに分かった。

 巨大な城の建造がすすんでいたのである。大勢の民が動員され、監視の侍のもとに働かせられている。働いている民の表情は皆きつい。喜んで働いている者はだれ一人としていなかった。夜はあばら家に閉じ込められ、食事は夕餉の粥だけだという。まるで強制労働である。

「これでは民の不満がたまるな」

 と秀頼が言うと、大助が

「民の話では年貢は8分だそうです」

「8分!」

 皆が驚いた。ふつうの倍である。

「これでは民の不満が爆発するな」

 そこで、松倉重政に会うことにした。重政はすでに完成した二の丸の館に住んでいる。

「秀頼公、ようこそ島原へ。それも家光様もいっしょとは驚きもうした」

「重政殿、長崎の地にて島原が今にも爆発しそうだと話を聞き、心配してまいったしだい」

「爆発でござるか? その兆候はございませぬが」

「火山の話ではござらん。キリシタンの反乱じゃ」

「そのことでござるか。たしかにキリシタンには苦慮しておりますが、抑え込みはうまくいっております。城の建造もキリシタンの者どもを集めてやっております」

「あの民は皆キリシタンか?」

「罪人もおりますが、ほとんどがキリシタンでござる」

「それでは、今に反乱がおきるのでは・・・」

「武器を持たぬ民をおそれてどうなりまする。秀頼公は案外心配症ですな」

 その言葉に家光が怒った。

「何を申される。殿は日の本の平穏を心から願っておる。争乱の種を小さいうちにつみとっておきたいと思っておるのじゃ。もし、ここで争乱が起きたらどうするつもりじゃ!」

「家光様、その時は侍らしく腹きってみせます」

「お主が腹をきっても争乱はおさまらん」

 と家光はぷんぷんである。

 重政と話し合ってもらちがあかないので、秀頼らは九州探題の熊本に行くことにした。島原からは船が出ている。


 熊本城の加藤忠広はすぐに会ってくれた。17才の青年大名である。秀頼らが来るのは事前に知っていたようである。肥前の加藤正幸から連絡がきていたのは明白である。

「ようこそ、熊本へ。船の旅でお疲れでしょう。今日はまずごゆるりとお過ごしくだされ」

 ということで、まずは湯屋へ入った。長崎以来の湯屋でのんびりできた。夕餉は熊本名物のレンコンと魚の刺身がうまかった。清正公が造ったという城は豪壮なものであった。天守閣だけでなく、石垣が見事である。武者おとしといって、上にいけばいくほど傾斜がきつくなる。これでは忍びの者もよじのぼれない。この城は明治時代まで続き、かの西南の役で連戦連勝の西郷隆盛の軍勢が攻め込んでも落とせなかった堅城である。

 家光が

「九州探題の城がこれだけ豪壮だと、各地の城も右ならえになりますな。唐津にしても島原にしてもここにならっているのですな。清正公の残した負の遺産ということですかな」

 それに大助が応える。

「清正公は城づくりの名人でした。朝鮮には西生浦倭城(ソソンポワソン)をはじめ、多くの城を造りましたし、大坂城を造る際にも清正公が縄張りをされたのです」

 その偉大な先代に比べると忠広は暗愚といわれても仕方ない凡将であった。人に対する気遣いはできるが、大名としての判断ができない。もちろん九州探題の仕事は諸大名任せである。九州探題の器ではないのだが、今さら代えるわけにはいかない。要は有能な家臣がいればよいのだが、熊本にそういう人物がいるかどうかはまだわからない。

 翌日、忠広と懇談をした。秀頼が忠広に問いただす。

「忠広殿、実は島原の件ですが、キリシタンの不満がたまり今にも爆発しそうな勢いでござる」

「島原は元有馬領でありましたからキリシタンが多くおります。元々は有馬殿がローマ教皇に領地を差し出すと言い出したので、家康公が禁教令を出したのが始まりでござる」

「ローマ教皇が領地をほしがったのか?」

「ローマ教皇はほしがりませぬ。ただ、ローマ教皇をうしろだてにしているポルトガルやイスパニアが領地をほしがるのです。現に南の国ではキリシタンの国がポルトガル領やイスパニア領になっております。そこで、家康公は禁教令を出されたと聞いております」

「キリシタンの後ろの大きな組織というのは異国であったか」

「しかし、松倉殿はキリシタンを締めすぎですな」

「忠広殿もそう思われますか。われもそう思うのだ。長崎では教会もあり、キリシタンは自由に祈っておった。困っているのは寺だけでさほど混乱は感じなかった。九州全体が長崎みたいになれば落ち着くのではないのか? 今は幕府もなく、禁教令もなくなった。後は九州探題のそなたの判断で決まるのではないか?」

「秀頼公がそう申されるのであれば、そのようにいたします」

「いや、われに命令権はない。将軍ではないからの。ただ意見を具申しているだけじゃ。決定権は忠広殿、そなたにある」

「それでは、家臣と相談して決めたいと思いまする」

「いや、相談ではなく、忠広殿の意向ということを前面に出していただきたい。それこそが名君への道なのでござる。相談も大事ですが、方向性を示すのが領主のつとめ。家臣はその方針を具現化するために働くものなのです」

「そうでござるか。今までは家老どもによきにはからえ。と言っていただけに過ぎませんでしたが、これからはおのれの考えもだしていきとうござる」

「そうであってほしいな。それに有能な家臣を側におかれよ。旧臣だけでなく、若い者であってもしっかりした者を見つけられよ」

「はっ、そのように心がけます」


 数日後、九州諸藩にキリシタンの活動を認めるという沙汰がくだされた。ただし、領主の信仰は認めぬという条件付きである。有馬氏のように異国に領地を渡すようなことがあっては困るからである。

 これで島原の混乱もおさまると思われた。まずは一安心である。

 

 しかし、ここ熊本で聞いたことで気になったことがあった。異国の軍船が奄美まできて、大砲を撃っているというのである。奄美は薩摩藩領である。次は、鹿児島行きと決めた。

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