第25話 秀頼 長崎に現る

空想時代小説 

今までのあらすじ

 天下が治まり、日の本は諸大名の元、安寧の世の中になると思われた。

 朝廷より武家監察取締役に任じられた秀頼は真田大助と上田で知り合った僧兵の義慶それに影の存在である草の者の太一と元山賊の春馬を伴って諸国巡見の旅にでた。越後からは身請けをしたお糸もいっしょで、駿府からは徳川家光も同行している。


 秋の風が感じられるころ、秀頼らは長崎にいた。ここは家康公が認めた数少ない貿易港である。町には異国の人が闊歩し、売っているものも他の町とちがった。まさに活気ある町だ。

「大助、にぎやかな町だな。まるで異国に来たみたいだ」

「殿、そうでございますな。ところで、どこにも番所がないようですが・・」

「それは、ここは町人の町だからだ。番所のかわりに詰め所というのがあるぞ」

「侍がおさめているのではなく、町人がおさめているのですか?」

「うむ、長崎五人衆といってな。入れ札で決まった五人が合議で町をおさめているのじゃ。もっとも年貢をまとめて大村藩にだしているがな。ゆえに大村藩は長崎の自治にいっさい口をださぬ」

「そういうことでござるか。かつての堺の町のようですな」

「堺みたいに武装はしていないがな」


 秀頼らは旅籠に泊まった。そこで初めてベッドというものに寝ることになった。

「これが寝台でござるか? 寝返りをしたら落ちるのではないか?」

 と義慶が首をかしげている。だが、これが洋風ということで、物はためしということで寝ることにした。その夜、お糸以外は皆転落した。

 宿の主人に尋ねると、物珍しい好きの人たちが泊まっていくとのこと。元々は異人相手に作ったのだが、船が入らないと暇になるということであった。食事もこしかけに座ってテーブルで食べる。これも初めての経験だったが、楽な姿勢で食すことができるので、これには6人とも喜んでいた。

「信長公は、こうやって食事をしていたらしい。父秀吉は高さが合わなくて好きではなかったようだ」

 と秀頼が言うと、皆、さもありなんと思った。小柄なお糸は足がつかないので、こしかけに浅くしか座れなかったからである。

 食事後に大助が宿の主人に尋ねる。

「長崎はすごくにぎわっているが、何か問題はないのか」

 と聞くと、

「さほどのことはありませぬ。ただ、キリシタンが増え、お寺の坊さまたちが嘆いているぐらいです」

「あらそいが起きているのか?」

「いえ、長崎は自由の地ですので、お寺から教会に行っても何もとがめられませぬ。中には葬儀はお寺でするけれど、教会の礼拝に通うという者もおります」

「そんなものかの?」

「お武家さまも一度教会へ行かれてみては? 新しい世界が見えるかもしれませんぞ」

 ということで、秀頼らは丘の上にある教会へ行ってみた。義慶はさすがに行けぬので別行動となった。一人ではかわいそうだということで春馬がいっしょすることになった。

 1000段ほどの階段を登って、教会につく。今までに見たことがない尖塔のある建物である。

「東照宮も多くの階段の上にありまする。神というのは高いところが好きなんですな」

 と家光が言うと、

「神が好きなのではなく、信仰する者の一種のあこがれと、修行の意味があるのではないか?」

 と秀頼が返す。

「やっと会えたという感じですな」

「出羽の羽黒山がそうであったな。五重の塔から神社までの坂道は難儀だったな。のう大助」

「あそこはつらかったですな。あれに比べたら東照宮は楽です。階段がありますから」

 と大助が言うと、

「わしは、あの階段の上り下りで鍛えられたと思っておる」

 と家光が応え、大助が言い返す。

「ふもとのワルガキどもとつるんでいたからでしょう」

 そこで、お糸が一言

「家光様は、ガキ大将だったのでございますか?」

 お糸の言い方がとぼけていたので、3人は思わず吹き出してしまった。

 大助が小声でお糸に語りかける。

「お二人とも信長公の血筋じゃ。ガキ大将はその血筋なのじゃ」

 お糸は妙に納得してしまった。


 教会に入ると、礼拝堂がある。正面には十字架にかけられたキリストの像があり、その横には子を抱えたマリア像がある。白いその像にはだれしもが魅了される。窓には鮮やかな模様が描かれ、まさに異国の世界だった。4人はしばらく立ちつくしていた。教会の世話役がやってきて、説明をしてくれたが、知らない言葉だらけでわけがわからなかった。最後に

「明日礼拝があるので、来てみませんか」

 と誘われたので、その誘いを受けることにした。

 帰路、大助が口を開いた。

「すごいところでしたな。あれでは物めずらしい好き者が興味を示すでしょうな」

 秀頼が口を開く。

「家光、お主はキリシタンのことをどう聞いておる」

「キリシタンですか。それほど多くのことは知りませぬ。ただ父秀忠はキリシタンに近寄るな。とだけ言っていました。わが家は神道ですからキリシタンにはなりえませぬ」

「だろうな。われは大野治長から父秀吉がキリシタンを排除しようとしたことを聞いた。宣教師の影には大きな者がいると言っておった。長崎は自由の地であるが、それ以外の地では領主が禁じているところもおる」

 そこに大助が口をはさむ。

「家康公はオランダ人を重用したことがあります。今は帰国しておりますが、一時は領地をもっていたこともあります。ですが、ポルトガルの宣教師は排斥しました。裏に巨大な組織が控えていたからだそうです」

「その話は聞いたことがある。たしか三浦按針と言っていた。船を造らせたら右にでる者はいなかったという。もっとも自分で造った船で出ていったそうだが」

 家光は怒り半分で話している。異人に対しての印象はよくないようだ。


 翌日、4人は礼拝に参加した。後方の席でかしこまって座っていた。異人の宣教師が祈りの後、話を始めた。それを昨日会った世話人が言葉を訳して話している。その中で気になった言葉がいくつかあった。

「天子さまは皆を救います」

「天子こそ神なのです」

「祈りこそ救われる道なのです」

もっともな話である。だが、聞きようによっては他の宗教を否定する可能性もある。日の本の仏教でも宗派が違うと争いが起きるように、キリシタンと仏教勢力が争うかもしれない。秀吉や家康がキリシタンを危険視したのはそのことかもしれない。

 礼拝が終わると世話人がかごを持って座席の間を歩き始めた。そこに人々が小銭を入れる。中には大根を入れている者もいた。托鉢する僧侶に寄進することと同じと思い、大助が小銭を入れた。秀頼と家光は銭をもっていない。その世話人は二人から離れようしない。大助が

「二人分です」

 と言って、小銭をかごに入れると今度はお糸にかごをさしだした。大助がお糸の分も入れようとしたが、お糸は一番小さな銭をだした。それでも世話人は

「ありがとう」

 と言い残し、祭壇にもどっていった。

「いくらでもよかったのですね」

 とお糸が言うと、大助が

「托鉢の坊さまの中には、少ないといつまでも念仏をやめない者もいますが」

 宿にもどると、義慶と春馬が

「殿、キリシタンは不満をもっております。長崎では自由に教会に行けますが、布教で他の地に行くと、弾圧されるというのです。特にはげしいのが隣の島原だそうです。今にも不満が爆発しそうな勢いだということです」


 ということで秀頼らは島原に向かうことにした。

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