第16話 秀頼 近江に現る

空想時代小説

今までのあらすじ 

 天下が治まり、日の本は諸大名の元、安寧の世の中になると思われた。

 朝廷より武家監察取締役に任じられた秀頼は真田大助と上田で知り合った僧兵の義慶それに影の存在である草の者の太一と元山賊の春馬を伴って諸国巡見の旅にでた。越後からは身請けをしたお糸もいっしょで、駿府からは徳川家光も同行している。


 初夏を迎え、秀頼は安土の城跡に立っていた。かつての天守閣があったところに立つと、世の無情を感じる。盛者必衰のごとく、世の頂点に立った者はあとは落ちるしかないのである。この安土の地で天下を治めた信長は家臣の光秀に討たれ、秀吉は無謀な朝鮮出兵をして皆からうらまれ、熱病で苦しんで死んだ。家康とて大坂の陣で敗れて影武者をたてながら敗走し、最後は病で死んだ。それも多くの者から疎まれての死である。自分はそうなりたくないものだと思った。大助に

「大助、われは盛者か?」

 と唐突に聞くと、大助はポカンとして

「せいじゃとは・・聖なる人ですか?」

 とピントの外れた返事をしてくる。

「平家物語にある盛者必衰の盛者のことじゃ」

「その盛者でござりましたか。失礼いたしました。そうですな・・体は盛者ですが」

「太っていると言いたいのか?」

「いえ、体格がいいということです。しかし、殿は信長公や家康公のような死に方はされませぬ。もし万が一、今の殿が亡くなることがあれば悲しむ者がたくさんおりまする。ですから必衰にはなりませぬ。ということはまだ盛者ではないということでは」

「おもしろい考え方をするな。これ以上衰えることはないか。それもいいか。こうやって諸国をめぐって歩くのは気楽でよいわ。口の悪い家臣にも恵まれておるしな」

 と二人で笑い合った。義慶らは二人がどうして笑っているのかよくわからずポカンとしている。

 安土城下はすたれていた。というより、豊臣秀次公が隣の八幡山へ城を造る時に町ごと移したのである。八幡山の城は取り壊しになったが、そこに寺院が建てられ城下町は寺下町となった。秀次公が整備した町は整然としており、上田のような戦向けの町並みではなく、商家がにぎわう通りで荷車が通りやすいように広くつくられている。これだけを見ても秀次公が並みの人ではなかったことがうかがえる。父、秀吉の冷たい仕打ちがなければ、いい統治者になったことであろう。


 八幡山の旅籠に泊まった。しばらくぶりに湯舟につかることができた。お糸は女中部屋ではなく、一部屋をあてがわれた。そこで、義慶らは大助がいると狭いからとお糸の部屋に押し込めた。大助とお糸が同じ部屋に寝ることになったのである。ふとんは別であるが・・・。

 秀頼の隣には家光が寝るようになった。一人で寝るよりは不用心ではないと考えたからだが、元々二人は従弟同士である。秀頼の母淀君と家光の母お江は3姉妹の長女と三女であった。どちらも気の強い女性で、二人のおなご嫌いは母親のせいだと思っている。口にはしないが、ふたりとも(おなごはこわい)と思っているのは共通である。

 翌朝、朝餉の部屋に行くと、寝不足の4人がいた。大助とお糸は緊張して眠れなかったということである。どうやら何もなかったようである。義慶と春馬もあくびをしている。どうしてかと聞くと、聞き耳をたてていて眠れなかった。ということである。大助が二人の頭を小突いていた。

 旅籠を出ると、秀頼らは10数人の僧兵に囲まれた。

「何事じゃ?」

 すると頭領らしい僧が

「お主らに用がある。主管がお呼びだ」

「主管とは?」

「雲龍寺の玄隆大僧正である」

「何用で?」

「それはいけばわかる」

 と無理やり秀頼らは八幡山城跡にある雲龍寺に連れていかれた。


 行くと客間にとおされ、湯茶の接待を受けた。どうやら悪意で呼んだわけではないようだ。そこに主管と思しき僧がやってきた。

「ようこそ、いらっしゃった。若い者から秀頼公らしき方が町に来ているという話を聞き、ぜひお会いしたくて来ていただいた次第。本来ならばこちらから参らなけらばならぬところですが、見てのとおり足が不自由でままなりませぬ。ご無礼のほどもうしわけありませぬ」

「そういうことでござったか、それならば使いの者を寄越してくださればよかったのに僧兵の皆さまに囲まれ、一時はびっくりしましたぞ」

「それは申しわけぬ。若い者たちは礼儀を知りませぬ。いつものやり方をしてしまったのだと思います」

「それで、我らに用というのは?」

「はっ、それが・・言いにくいことですが、今寺社で争いが起きております。当寺は大蓮宗の寺院ですが、大蓮宗を批判する勢力との争いが起きております。その元締めは比叡山です。本来ならば寺社奉行に訴えるところですが、京の寺社奉行は比叡山よりで我らの言うことを聞いてくれません。そこで、武家監察取締役の秀頼公に仲介をお願いする次第」

 秀頼らはあぜんとしてしまった。武家のことしか考えていなかったのに、寺社のことまで考えることになるとは思ってもいなかったからである。詳しく聞いてみると、托鉢に行った僧がおそわれたり、領地の民からの進物が奪われたりと比叡山側の仕打ちがひどいということがわかった。しかし、きっかけは大蓮宗の僧が比叡山側の領地で托鉢を行ったからのようである。托鉢そのものはどこでやろうと自由だと思うのだが、ここ近江では比叡山の力が強く、そこの怒りにふれることはいけないことだということだ。

 そこで、秀頼は京に行くことを早めた。武家監察取締役の自分が比叡山に行っても相手にはしてくれないことは明らかである。ここは朝廷にかけあって、寺社奉行を動かすしかないと思ったからである。

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