第17話 秀頼 京に現る

空想時代小説

今までのあらすじ 

 天下が治まり、日の本は諸大名の元、安寧の世の中になると思われた。

 朝廷より武家監察取締役に任じられた秀頼は真田大助と上田で知り合った僧兵の義慶それに影の存在である草の者の太一と元山賊の春馬を伴って諸国巡見の旅にでた。越後からは身請けをしたお糸もいっしょで、駿府からは徳川家光も同行している。


 近江八幡山から京の細川忠興の屋敷に秀頼らはやってきた。忠興は60才の高齢となっているが、京都守護職としての威厳が身についてきている。

「秀頼公、お懐かしうござる。諸国をめぐってご苦労されていると思っておりましたが、顔つやはよろしいですな」

「うむ、城にこもっておるよりはおもしろいぞ。思わぬこともあるが、へつらう者に囲まれるより、本心で向き合う者たちと過ごすことは心地よいぞ」

「大坂におられた時は、おなご衆たちに囲まれてつらかったでござるか」

「うむ、おなごは苦手じゃ」

「お連れに女人がいたようですが・・」

「あれか、あれは大助のおなごじゃ。越後の置屋にいたのを大助が身請けをしたのじゃ。不憫なおなごでな。だが、度胸はあるぞ。時に我らを助けるはたらきをする」

「大助殿もすみにおけませぬな。大坂にいた時は、まだ小僧だった覚えしかありませぬ」

「大坂のことはお互いあまり思い出したくないな」

「はっ、今も朝には位牌に向かっております。あれだけのおなごは今でも現れませぬ」

 忠興の妻は、明智光秀の娘ガラシャ夫人である。関ヶ原の戦の前に石田三成によって、館が攻められ、ガラシャ夫人は家臣によって斬られている。キリシタンなので自刃できぬので、家臣に斬るように命じたということである。忠興とは5人の子どもを成し、忠興は三日三晩一人で追悼したということである。

「ところで、京へはどのようなご用向きで?」

 と忠興が聞いてきたので、秀頼は今までのいきさつを話した。

「宗教戦争ですか・・・。難しいですな。寺社奉行は公家の仕事。信長公の比叡山焼き討ち以来、武家と寺社の関係はよくありませぬ。まさか、また焼き討ちするわけにはいきませぬしな」

 と忠興は難しい顔をした。

「寺社奉行にはたらきかけても無理か?」

「今の寺社奉行は比叡山よりです。解決にはならんでしょう」

「となると、朝廷に直談判か・・」

「朝廷のご機嫌を損ねたら、役職はく奪だけでなく、朝敵となりますぞ」

「それを恐れていたら、何も変わらん。それにわれの役職はあってなきがごとく、われでなくてもできる仕事じゃ」

「いやいやそんなことはござらん。駿府城で、日の本の分割統治を決めた秀頼公だからこそできる仕事でござる。政宗公をはじめ、諸大名は皆高齢となり、次世代がつぐことになります。その際に、平穏な日の本が守られるか、それを見届けるのが秀頼公の仕事でござる。他の者ではできませぬ」

「そうか、だが今回の宗教戦争を見逃すわけにはいかぬ。平穏な日の本ではないからの。せめてわれが比叡山に行って話ができればな」

「そんなことでござるか。でも、寺社奉行が横槍をいれかねませんな。それでは、朝廷と寺社奉行に貢ぎ物をすれがよいのでは?」

「貢ぎ物? そんな物はもっておらんぞ」

「物でなくてよいのです。そうですな。畿内のどこぞ5千石も寄進すれば、何も言わなくなります。朝廷は財政難ゆえ、領地が増えれば喜びまする」

「朝廷はそんなに苦しいのか?」

「おなごどもが使う金が半端ではござらん。朝廷も苦慮されておりまする」

「わかるような気がする。おたがいに見栄をはりたがるのだな。だが、われに領地はないぞ」

「簡単なこと。大坂の治長殿に一筆かけばすむこと」

「文では、失礼にあたる。われが大坂に出向くか」

「いえ、それはなりませぬ。大坂の治長殿や淀の方が黙ってはおりませぬ。おそらく、天下をゆるがす大ごとになると思われます。秀頼公が大坂にもどるのは、諸国をめぐってからだと思います。それが日の本の平穏でござる」

「われが大坂にいけば混乱するか?」

「はっ、大坂からでられなくなるおそれがあります」

「それはいやだな。また、あの大坂の暮らしが待っているかと思うとぞっとする」

「そうでございましょう。それでは一筆書かれよ」

 ということで、秀頼は大坂の大野治長へ文を書いた。

 ひと月ほどして、畿内の土地が朝廷に寄進されることになり、その挨拶に秀頼と忠興は朝廷に参内した。もちろん公家風の姿である。ふだんのかぶき者の秀頼の姿を知っている大助らは別人かと疑うほどの驚きを示したいた。

 参内し、朝廷や寺社奉行から日の本の平穏のために、比叡山と大蓮宗の争いをとめたいと申し出ると、許しがでた。5千石の寄進の力は大きかったし、寺社奉行も自分の手で解決できぬことゆえ、秀頼が出張ってくれることは内心嬉しかったのである。

 

 秀頼は比叡山に赴いた。細川家の家臣を引き連れた仰々しい行列である。言うことを聞かねば、焼き討ちもやむなし。という姿勢を見せたのである。これには、さすがの比叡山もびびってしまった。秀頼の主張はすんなりと通った。ただし、比叡山からは、

「雲龍寺側にふたつの条件を守らせてほしい。ひとつ、一人での托鉢は認めるが、集団での托鉢をさせないこと。ひとつ、僧兵を比叡山の領地内へ入れぬこと」

 という要望がだされた。争いの元々の原因は雲龍寺の僧が集団で坂本の地で托鉢をし、寄進がもらえるまで、念仏を唱えたとのこと。大蓮宗の念仏はにぎやかなので、それを止めるために民百姓は仕方なく寄進したらしい。この要望は無理もないことと秀頼は思った。その旨を雲龍寺に伝えると、いき過ぎがあったことを認め、お互いに和解することとなった。

 これで近江の宗教戦争はひと段落したのである。

 次に、秀頼らは大坂を避け、毛利領内の鳥取へ向かうことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る