第9話 秀頼 出羽に現る
空想時代小説
今までのあらすじ
天下が治まり、日の本は諸大名の元、安寧の世の中になると思われた。
朝廷より武家監察取締役に任じられた秀頼は真田大助と上田で知り合った僧兵の義慶それに影の存在である草の者の太一と元山賊の春馬を伴って諸国巡見の旅にでた。
夏に、秀頼一行は日本海ぞいに歩き、途中鳥海山に登った。本当は頂上まで行くつもりだったが、悪天候に見舞われ、5合目で断念した。義慶が
「残念でしたな~」
と言っていたが、一番くたびれていたのは義慶本人だったので、あとの3人は笑いを隠せなかった。
出羽三山にも向かったが、月山は霧がかかり、見通しはまるできかなかった。ここは修験者の山なので、義慶はいつものお調子者ではなく、神妙な様子を見せていた。羽黒山の五重塔は見事だった。杉林の中にすくっと立っている姿は神を見ているような感がした。平安時代の創建というから700年以上前の建物とは思えなかったのである。そして、そこから半里(2kmほど)の杉林の登りはきつかった。ところどころ石が置いてあるが、歩きにくい参道である。(石畳の道になるのはこの後である)
その後、鶴岡城下に入った。ここは織田信長の二男信雄(のぶかつ)が2万石の城主であったが、今は病に伏せっているとのこと。孫の信昌が跡目を継いでいる。信雄は徳川方であったが、武力をもっていたわけではなく、お伽衆として家康の側にいただけである。父、信長の威光で殺せなかったというのが実情であったろう。信長の生まれかわりと思っている秀頼は、親戚筋である信雄を無下にはできず、2万石の領地を与えたのである。治世に期待はできないが、信長の血筋を残すことは大きな意味をもっていた。家老には政宗配下の家臣をあて、奥羽探題の下にいるということを織田家には言い含めておいた。
城下の旅籠に泊まり、旅籠の主人に大助が
「織田家の治世はいかがかな?」
と尋ねると、
「さしてよくもなく、悪くもなくです」
とさえない返事がきた。
「仙台藩の分家みたいで、これといって藩の特色があるわけではありませぬ。冬は雪におおわれ、皆、家にとじこもります。冬のたくわえのために日々暮らしているようなものでござる」
「ということは平穏ということか」
「そういうわけでもありませぬ。そういえば、最近、辻斬りがでるとの話で、夜分に歩く人が少なくなり、飲み屋が悲鳴をあげてきております」
「辻斬りとな? 殿、調べてみましょうか」
「うむ、そうだな。捨ててはおけぬ」
その夜、早速二手に分かれて城下を歩いてみた。秀頼と大助、義慶と春馬が組んで歩いてみた。しかし、その夜はでなかった。
「やはり二人組ではでないのでしょうな」
ということで、その夜は旅籠で休んだ。しかし、翌朝またもや辻斬りにあったという町人がいた。幸いにも死ぬまでには至らなかった。
番屋でくわしいことを聞いてみると、
「辻斬りがでるのは、戌の刻(19時から21時ごろ)で、人気のない横丁が多い。ねらわれるのは町人がほとんどで、侍は今まで一人しか襲われていない。その侍は刀を抜いたが、その前に腕を切られ、からくも逃げてきたとのこと。辻斬りは初太刀で仕留めることが多く、それ以上は追ってこない。後ろから斬ることはしない。そして、いつも覚悟!と言ってから刀を振ってくる。暗がりなので風体はよくわからないが、五尺五寸(165cmほど)の背の高さで、覆面姿の武家でどこかの若様という感じということを聞いている」
という番屋の役人の話であった。大助が
「となると、藩士かその家族ということになりますな」
「うむ、ますます捨ておけぬな」
そこで、その夜は秀頼以外は町人姿で城下を歩くことにした。草の者の太一は秀頼に影ながらしたがっているはずである。辻斬りにあった時のために短刀を隠し持っている。義慶は町人に見えないので、托鉢の僧に扮している。それに襲われた時のために呼び笛を持っている。
戌の刻の鐘がなり、間もないころ、水路沿いの小道を歩いている秀頼の向こうから侍がやってきた。暗くて覆面をつけているかはわからない。すれ違う。覆面はつけていない。20代後半の若武者である。ところが、数歩歩いたところで
「覚悟!」
と言われたので、振り返ると刀が一閃振り落とされた。秀頼は、後ろに飛び跳ね、鼻先でその太刀をかわした。その侍は、初太刀の攻撃がかわされたので、そこから逃げ去っていった。覆面姿である。秀頼とすれ違ってから、覆面をかぶったのだ。秀頼は呼び笛を鳴らしたが、逃してしまった。
しかし、その深夜、太一が秀頼の前に出てきた。
「太一、久しいの。元気であったか?」
「はっ、おかげさまで。大助様より銀子をいただいておりますので、苦労はしておりませぬ」
「うむ、ところで今日はどうした?」
「はっ、殿をおそった者を尾けました」
「さすが、太一。そこでどこへ行った?」
「それが、城内でござる」
「なぬ! 織田家家中の者か?」
「はっ、武芸指南役、堀本源三郎ということです」
「武芸指南役とな。どおりで腕がたつわけだ」
「それでは、明日、織田家に接見ですな」
「うむ、大助、先に使いをたのむ」
「わかり申した。明日一番に出向きます」
翌日の昼過ぎ、秀頼らは城内に入った。信雄は病をおして客間に顔をだしてくれた。傍らには後継ぎの信昌がいる。本来は嫡男の信良(のぶよし)が継ぐはずだったが、若死にをし、二男の息子である信昌を養子にして2代目としたのである。
「秀頼公、よう、来られた。こんな姿で、もうしわけ、ござらん」
信雄は、息もたえだえに話をした。
「信雄公、どうぞお気遣いなく。どうぞ休んでいてくだされ」
という秀頼の話を受けて、信雄は寝所にもどっていった。信昌はまだ10才なので、家老の飯島が秀頼らの相手をすることになった。
「して、本日のご用向きは?」
「うむ、そのことだが・・最近、腕がなまってな。たまには剣術の稽古をしておきたいと思って、やってきた次第。織田家にはいい武芸指南役がいると聞きましたので」
「出稽古でござるか。それならば最近、江戸からきた武芸指南役がおりまする。お相手をさせましょう」
ということで、中庭に出張った。最初の相手は義慶である。堀本は、相手が薙刀ということで、上段に構えた。先に撃ち込むと薙刀でかわされるので、右足が前の守りの上段である。義慶は次第に間合いを詰め、下段から足払いをしかけた。しかし、堀本は飛び跳ね、義慶の頭上で木剣を止めた。
2番目は、春馬である。足軽だったとはいえ、剣法は習っていない。メチャクチャに振り回していたら、腕をたたかれて木剣を落としてしまった。
3番目は、大助である。大助は紀州・九度山にいた時に、真田剣法を教わっている。まずは、中段の構えで相対する。堀本が前に出ると、大助が下がり、大助が前に出ると堀本が下がる。間合いの取り合いになった。しばらくして、堀本は木剣を横に立てる八相の構えをとった。大助は、相手が攻めの構えをしたので、右足をひいて、木剣を右後ろに構える下八相(脇構え)をとった。この構えだと間合いがつかみにくい。堀本がじりじりと間合いを詰める。ここぞという時におもいきって、撃ち込んできた。大助がそれに合わせる。お互いの木剣がかち合う。真剣ならば火花が散るところである。お互いに一歩下がったところで、すぐに振りかぶってきた。二人の木剣はお互いの肩の上で止まった。引き分けであった。
最後は、秀頼である。お互いに構えた時、堀本の顔色が変わった。昨日襲った相手とわかったのだ。みるみるうちに汗をかいてきている。秀頼はそしらぬ顔をして構えている。すると、堀本が急に土下座をして、
「もうしわけございませぬ。拙者の負けでござる。ご無礼のほどお許しを」
と言ってきた。家老の飯田はなんのことかわからぬ顔をしている。
「飯田殿、堀本殿の件はお任せいたす。なぜ辻斬りをしていたのか、じっくり聞いて今後の処置をなされよ」
「辻斬りとな! 城下で噂になっておった辻斬りは堀本でござったか。早速、取り調べます」
ということで、堀本はお白洲に連れていかれた。
これにて、出羽での任務終了である。
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