10-1.まだ帰って来ないのかしら
「アノコたち、まだ帰って来ないのかしら……ちょっと、遅すぎない?」
昏い酒場のカウンター席で、妖艶なエルフの美女が、バーテンダーに向かって語りかける。
「晩御飯はいらない……と連絡がありましたからね。子どもたちは外食してから戻るつもりなのでしょう。まだ宵の口です。もうしばらく待ってみたらどうですか?」
バーテンダーが言う通り、この時刻のちびっ子たちは『赤い鳥』のメンバーと一緒に、狭いテーブルで食事をしていた。
「外食ねぇ……。どこでなにを食べるつもりなのかしら? 興味があるわ」
「そうですか。そうですね。夕食になにを食べたのかは、聞き取りしておかなければなりませんね。お肉ばっかり食べないで、ちゃんと野菜も食べてますかね」
「…………」
「お菓子で済ませたとかはだめですよね。庶民が食べる詐欺まがいのジャンクフードを食べて、お腹を壊さなければよいのですが……」
バーテンダーの返事に、酒場のマダム――コクラン――は軽く肩をすくめる。
後方支援の医療を担当している薬師、回復術師でもあるリョクランは、健康管理にうるさい。
五年前のあの事件以降、その傾向がさらに強くなった。今は子どもたちをいかに、立派にたくましく育てるかに夢中だ。
とくに、一番年下のセイランは魔力能力値のバランスが非常に悪く、よく体調を崩して寝込むので、リョクランはとても気にかけている。
口にはださないが、ちびっ子たち……特に小さなセイランが心配なのだろう。
なんとなくソワソワしていたし、一日中、ひとつのグラスしか磨いていない。
終始落ち着かないリョクランを、コクランはカウンター席から観察する。
『深淵』のナンバー・ツー的な存在であるコクランは、ちびっ子たちの身になにか起こるとは考えていなかった。
むしろ、ちびっ子たちがなにかをしでかすとふんでいる。楽しみで、楽しみでたまらないのだ。
「ねえ、賭けをしない?」
「なにを賭けるというのですか?」
コクランの提案に、リョクランは淡々と応える。存在感の薄いリョクランは、感情も、そして表情の変化も分かりづらい。
興味はないが、仕方なくコクランの相手になっている……ようではある。
「アノコたちが帰ってきた後、ギンフウがどうなるか」
「……やめておきましょう。そんな賭けなどしたら、わたしたちがギンフウにどうかされてしまいますよ……。コクランの暇つぶしにわたしまで巻き込まないでください」
リョクランにあっさりと断られ、コクランは「つまらない男ねぇ」と、大仰に落胆してみせる。
そのとき、カロンコロンと訪問者の登場を告げる鈴の音が酒場内に鳴り響いた。
魔法防御が組み込まれた木製の扉がゆっくりと開く。
退屈そうにカウンターの椅子に腰掛けていたコクラン、丹念にグラスを磨いていたリョクランの視線が、入口の扉へと移動する。
酒場の女主人と、影の薄いバーテンダーが無言で見守るなか、青みがかった銀色の髪の男が、薄暗い酒場に足を踏み入れる。
整った顔立ちの男は、一度入口付近で立ち止まって、流れるような動作で外套を脱ぐ。客のいない狭い店内を見回した後、男は迷うことなくカウンターの席に座った。
銀髪の男は黒を基調とした身体にフィットした上衣と、細身のスボンに長靴という出で立ちだった。
シンプルなデザインではあったが、この優男の長身と長い足、引き締まった体躯を引き立てるのにふさわしく、この衣装は彼のために用意されたものだと誰もが納得するだろう。
凝った飾りはないが、ひと目で仕立てのよいものだとわかる。生地には防御の魔法が織り込まれ、すべてのボタンに護りの魔法陣が刻まれている。
腰には、見事な意匠がほどこされた細身の中剣を帯びていた。
長い青みがかった銀色の髪は、軽くまとめて三編みにされ、いつもは後ろに撫でつけられている前髪は、今は前に降ろされている。
着るものと髪型を変えるだけで、ずいぶんと印象が違って見えるが、酒場を訪れた長身の客は、陽の当たる世界ではルースと呼ばれ、帝都にある冒険者ギルドのギルド長として、冒険者たちから魔王のごとく恐れられ、絶対王者として君臨している。
「あら、珍しいわね。ランフウが護衛を連れてココに来るなんて」
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