7-3.全力で捕まえろ!

(な、なに? どうして? なんで、みんな、簡単に捕まっちゃったんだよ……)


 エルトは空中を軽やかに駆け回りながら、『赤い鳥』にあっさり捕まってしまった兄と姉を、恨めしげに見下ろしていた。


 ふたりは簡単に捕まってしまったのがよほどショックだったのか、水に濡れた猫のように、しょんぼりとしている。


 年上のふたりが捕まってしまい、この先どうしたらよいのか、エルトには全くわからない。


 というか、なぜ、自分が逃げなければならないのか、エルトは全く理解していなかった。


(とうさんは、自分でやりたいことを考えなさいって、言うけどさ……)


 自分を追いかける気配から逃れるのでいっぱい、いっぱいだ。条件反射で動いているだけ。少しも考えることなどできない。


 少し前、リオーネの「やばい! 逃げるぞ!」という言葉に、身体が勝手に反応して、言われるがままにエルトは逃げ回っていた。


 リオーネに逃げろと言われたから、エルトは逃げつづけているだけだ。


 しかし、リオーネとナニを置いて、どこに逃げてよいのか、エルトにはわからない。


 もし、合流場所を最初に決めていたら、こんな恐ろしい空間からは、とっとと【転移】を使って逃げていた。と、エルトは思う。


 今となっては、捕まってしまったふたりを置いて、自分だけが逃げるわけにはいかない。

 というか、ふたりを残して自分だけがさっさと逃げる……ということにすらエルトは思い至らなかった。


(どうしたらいいの?)


 空中に見えない足場をつくり、それを起点に飛び跳ねながら、エルトは必死に逃げる。

 答えをくれる大人たちはいないし、いつも先を進んでいるリオーネとナニは、あのザマだ。


 前髪に隠されたエルトの顔はくしゃりと歪み、口はへの字に引き結ばれている。


 最初は部屋の中を走り回って逃げようとしたのだが、魔法剣士であるフィリアの脚からは逃れられなかった。


 すぐに部屋の隅に追い詰められたエルトは、そこで素直に捕まっていたらよかったのだ。


 だが、三人のなかで一番幼く、経験も乏しいエルトは、反射的に新しい逃げ場所を求め、空中に向かって【跳躍】してしまったのである。


 いきなり、空に逃げたエルトを見て、「信じられないものを見た」とでも言いたげに、フィリアの顔が驚きで硬直する。


 捕まらなかったことに安堵しかけたエルトだったが、それは長くはつづかなかった。


「なにを驚いている! あれだけの数のモブではないゴブリンを倒したんだ。普通の子どもであるはずがないだろう。全力で捕まえろ! でないと、あいつらは逃げるぞ!」


 というギルド長の怒声が部屋に響いた瞬間、「空気が変わった」とエルトは感じた。


 フィリアの顔から優しげな笑顔が消え、目に険しい光が灯る。

 氷のように冷たい瞳に睨まれ、エルトの全身に震えが走った。


 強化系の魔法を多重発動させたのか、フィリアを中心に、魔力の強い渦ができはじめる。


(いやだ! いやだ! こわい!)


 恐怖!


 これは恐怖だ!


 身体の反応と心の反応が一致し、ぼんやりとしていたエルト感情が、一瞬で恐怖の色に塗り替わる。


(に、に、逃げないと!) 


 エルトは懸命に逃げた。


 本能が『恐怖』を感じとったら迷わず逃げろ、とエルトはギンフウから教わっている。


 とにかく、少しでも遠く、あの『恐怖』から逃れたい一心で、エルトは感覚を研ぎ澄ませ、身体を動かす。


 ギルド長以外の大人たちは、【施錠】のかかった査定受付場から逃げられないと思っているようだが、それは違う。


 【施錠】はあくまでも、外からの侵入を防ぐものであって、内側から出ていこうと思えば、出ることは可能だ。


 少なくとも、移動系の魔法が得意なエルトにはそれが可能だった。


 が、自分に向けられるギルド長の視線が怖すぎて、外に逃げようという気持ちにはなれない。


 彼が一言「もういい。もう逃げなくていい。ここに戻ってこい」と命令してくれさえすれば、エルトは素直にその声に従っていただろう。


 エルトは逃げるのをやめて、ギルド長の前に……リオーネとナニの側にかけつけたかった。

 だが、ギルド長は無言だった。

 なにも言ってくれない。


(どうしてなの? どうして……)


 他の大人たちは、ただぽかんとした顔で、天井を見上げているだけだ。なにもしてくれない。


(ひどいよ……。どうして、ボクだけ……。ボクだけがこんなことに……)





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