4-7.必要ない。知りたくもない

 年甲斐もなくはしゃぎまくるエルフを、ギンフウは冷ややかな目で睨みつける。


「ねぇねぇ。よかったら、子どもたちの様子を実況中継してあげるわよ。気になるでしょ?」


 ギンフウの視線を勘違いしたのか、わざとそういう風を装っているのか。

 エルフの美女は、悪魔のような笑みを口の端に浮かべた。


「必要ない。知りたくもない」

「あらまあっ。無理しちゃって……」


 不機嫌そうなギンフウを、コクランは楽しそうに見下ろす。


「子育てするにおいて、大人の過干渉はよくない、と書いてあったぞ」

「へぇ? どこに?」

「コクランの会社が出版した育児本だ」

「あら……その本には、見守ることも大事って、書いてなかったぁ?」


 ギンフウは深呼吸をすると、コクランをキッっと睨みつけた。

 黄金色に輝く瞳の奥に、怒りの気配がうっすらとたちのぼりはじめる。


「でていけ」


 ギンフウはコクランに向かって冷たく言い放つ。

 これは、命令だった。


「……はいはい。わかりました。わかりました。ギンフウって、真面目よね。面白味がないわ。堅苦しいったらありゃしない。そんな、真正面からなにもかも背負おうとせずに、もうちょこっと自分の人生を楽しみなさいよ」

「…………」


 ここらが潮時と判断したのだろう。

 エルフの美女は、素直に出口へと向かって歩きはじめる。


 コクランは本気でギンフウを怒らそうとは思っていない。


 少し突いて、ちょっとだけ怒らせて、ガス抜きをしてやらないと、ギンフウの張り詰めた心が折れてしまう。


 ……と、彼女なりにギンフウのことを心配しているのである。


 コクランはずうずうしくもなければ、自惚れてもいない。

 ギンフウが心に負った傷を治そうなど、彼女は少しも考えていなかった。

 傷の肩代わりもコクランにはできない。エルフの美女は己の役割をちゃんと理解している。


 ただ少しだけ、ギンフウが生きやすいように、心の風通しをよくするだけだ。

 エルフはヒトの心の機微を理解するのは苦手とされているが、彼女は踏み込んでも許されるライン、引き際をちゃんと心得ている。


 それがわかっているからこそ、嫌々ではあったが、ギンフウもコクランの相手をするのだ。

 

 コクランは経費申請書類へのサインの礼を述べると、指先で煙管をクルクル回しながら部屋をでていった。


 ****


 コクランの気配が完全に遠のいたのを確認してから、『深淵』のボスは引き出しの中から予備の羽ペンをとりだす。

 が、そこでギンフウの手が止まる。


「まだまだ先のことだと思っていたのだがな。まさか、こんなに早く……」


 嘆きが声になり、苦いものが心の中にじわじわと広がっていく。


 ずっと自分のものだと思っていたものが、するりとその手から零れ落ち、他の者にかすめ取られる。

 いや、この場合は、本来のあるべき場所に戻ろうとしている……というべきだろうか。


 今、自分がなにを感じているのか、どういう気持でいるのか。うまく説明ができない。

 そもそも、なぜ、こんなことになったのか。予想していなかった展開に、ギンフウは多少の混乱もしていた。


 ギンフウはざわめく心を落ち着かせ、机の上に積み上げられている書類へとあえて意識を向ける。


「五年か……」


 多くの人々の人生を狂わすことになった五年前のあの事件。


 『エレッツハイム城の悪夢』


 あのときの子どもたちは、それはひどいものだった。


 辛うじて陰惨な闇の中から助け出すことはできたが、堕ちた神が子どもたちに残していった『気まぐれ』に、ギンフウは戦慄と同時にやるせない怒りを覚えた。

 子どもたちの生命を救ったことが、本当によいことだったのか、迷いもした。

 だが、子どもたちは健気で逞しく、そして、ずうずうしくも育っている。


「巣立ちのときか……」


 組織の長であるギンフウは部下の頂点に立つ存在であり、部下を育てたことはない。騎士団に所属していたときもそうだった。

 先代の騎士団長から知識と記憶は受け継いだが、実際の技は教育担当から教わった。


 実際に部下を教育して、育てるのは部下の役目である。


 なので、知識では知っていても、ヒトを育てるということをギンフウは経験してこなかった。

 子を育てるということも、この子らが初めてだ。

 自分には一生、縁がないものだと思っていたくらいである。


 いったんは堕ちた神に捧げられ、生き延びた子らに、どのように接してよいのか。

 傷つき、壊れた子どもたちを前に、わからないことだらけで、最初は衝突もしたし、失敗もした。

 その過程で片目も失った。


 苦い想いも味わったし、楽しいこともあった。


 というか、苦い想いも子どもたちのことになると、楽しいことに代わり、ギンフウの傷つき、乾ききった心に潤いがもたらされたのだ。


 ギンフウは子どもたちを保護したが、救われたのはギンフウの方だったのかもしれない。


 こういう感情はとうの昔に捨てたと思っていたのだが、まだ自分の中に残っていたことにギンフウは驚き、さらに子どもたちを慈しんだ。


 子どもたちが成長するのは、なによりも嬉しいことだった。

 それゆえ、子どもたちが自分の庇護下から離れていくのは、寂しくもあり、素直に喜べない。

 年上のふたりはあきらめもついた。

 だが、最後のひとりは……。


 黒く濡れた双眸が脳裏に浮かぶ。

 まだ小さくて、幼くて……記憶と感情を堕ちた神に壊された哀れな子ども。


 あの子の『いちばん』は、今の今まで自分だった。自分の魔力でくるみ、大事に護ってきた。


 その繋がりがぷつりと途切れてしまったのをギンフウは感覚で感じ取り、コクランには精霊を通して目撃されてしまった。


「嫌な予感はしてたんだ……。でも、なんで、あんなことが……」


 信じられないと呟く。


 部下には徹底的に調べさせた。なのに、あれだけ『わかりやすい』ことを見落とすなど、あってはならないミスだ。


(全くわからん……)

 

 己の内側に渦巻く感情をうまく制御できずに、ギンフウは再び、ペンを折ってしまう。


「こんなことになるとわかっていたら、許さなかったのにな……」


 舌打ちと共に呟かれた言葉は、虚しく消えていく。


 二つに折れてしまった真新しいペンをゴミ箱に投げ入れながら、ギンフウは次の書類へと手を伸ばした。



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