1-14.半身。魂の片割れだ
旦那さまが紡ぐ『力ある詞』と共に、頭上に光り輝く魔法陣が出現する。
ふわりと、温かな気配が旦那さまを中心として徐々に拡がっていく。
優しく清浄な風が吹きあがり、フィリアの周囲にあった淀んだ空気を浄化していく。
旦那さまの口から紡がれるのは、異国の言葉なのか、古代の言語なのか、フィリアに意味はわからなかった。
だが、意味はわからずとも、その旋律に耳を傾けているだけで、嫌な空気が逃げるように引いていき、徐々に身体が楽になっていく。
旦那さまの詠唱が終わると同時に、魔法陣は強い光を放って砕け散り、光の粒子は、苦しむフィリアの全身に等しく降り注いでいた。
フィリアは震える全身を叱咤しながら、身を起こそうとする。
「フィリア、まだ、横になっていた方がいいんじゃないか」
ギルが手を伸ばし、ふらついているフィリアを支える。
「だ、だいじょうぶ……だから」
そう答えると、フィリアは目の前に立つ壮年の男を見上げた。
フィリアたちが『旦那さま』と呼んでいる依頼主、行商を生業とする男の姿がそこにはあった。
意識がまだ朦朧としていてはっきりとは認識できないが、旦那さまは右手に輝く銀色の錫杖を持って立っている。
その姿は毅然としており、ぞくりとするほど美しかった。
「フィリア……おまえは怪我はしていない。だが、その痛みは『まがいもの』ではなく、真のものだ。おまえの半身が今、その身に負っている痛みだ」
旦那さまの声は囁くほど小さなものだったが、はっきりとフィリアの耳に届き、心へと染み入っていく。
「は、ん、し、ん?」
「そうだ。半身。魂の片割れだ」
「魂の……かたわれ?」
その言葉を聞いたとき、フィリアの心がわけもなく激しく揺さぶられた。
痛みが遠のき、意識が一気に覚醒する。
「そうだ。あまりの苦しさに耐えかねたおまえの半身が、無意識のうちにおまえに助けを求めたのだろう。半身が負ったであろう『死よりも苦しい痛み』を、おまえが少しばかり肩代わりしたのだ」
旦那さまの言葉の意味はよくわからない。
だが、半身、魂の片割れとは、なんと甘美な響きを秘めた言葉なのか。
フィリアの全身が喜びに打ち震える。
と、同時に、喪失感も同時に味わっていた。
今の痛みが『少しばかり』ということは、自分の半身は今、どれほどの苦痛に苦しんでいるというのだろうか。
叶うことなら、もっとその苦しみを肩代わり、いや、共に苦しみを分かち合い、半身の窮地を救いに行きたい。
心があらんかぎりに叫んでいた。
「落ち着け、フィリア」
旦那さまの大きな手が、フィリアの肩におかれる。
「旦那さま……?」
二年近く行動を共にしても、少年たちは依頼主の名を知らなかった。
依頼主は『風任せの行商人』とふたりには名乗り、行く先々では違う名前を使っていた。
その行動の意味と、名前のことを尋ねると、依頼主は面倒くさそうな顔をする。「長く生きすぎて、本当の名前を忘れた」だの「名などさして意味はないものだ」だの「好きに呼べばいい」という投げやりな言葉がその時々に応じて返ってくるだけだ。
なので、フィリアとギルは彼のことを『旦那さま』と呼ぶことにした。
装備がまだ整っていない駆け出しの冒険者を、行商人の使用人と勘違いする人が多かったからだ。
だが、フィリアたちは依頼人の名前を知るのをあきらめたのではない。
しっかりと依頼をこなし、依頼主の信頼を得ることができたら……一人前の冒険者として認めてもらえたら、名前を教えてくれるのではないか……とフィリアとギルは考え、その時は納得したのであった。
フィリアたちの依頼主である行商人は、過酷な旅にも耐えてきただけあって、肌は日に焼けて小麦色をしており、体格は戦士のように鍛え抜かれて逞しかった。
実際に野党や魔獣と戦ってみると、驚いたことに、依頼人はとても強かった。
本当に護衛が必要なのか、自分たちが必要とされているのか、疑問に思うくらいに強かったのだ。
晴れた日の空のような青い透き通った旦那さまの瞳は、人を相手にする商売をしているだけあって、人好きがするような優しい光を宿していた。
白いものが混じっている髪の色は銀色。肩下あたりまで伸びているものを、飾り紐で無造作に後ろで一つに縛っている。
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