1-6.ぼくらはなにもしていないわけじゃないよ

 こうして互いの躰を寄せ合うことで、ギルの温もりと力強い鼓動が、フィリアへと伝わってくる。

 ギルの鼓動に耳を傾けていると、全身にまとわりついていた嫌な気配が弱まり、空気が軽くなっていくようだった。

 フィリアは嘆息すると、その心地よさに身を任せる。


「嫌な夜……」


 自分よりも大きなギルに身体を預けながら、フィリアは「苦しい」と小さな声で呟く。


 ここ数日、心がざわついて落ち着かない。

 理由はわからない。

 こんなことは初めてだ。

 心が、いや、魂が重苦しいとでもいうのか、焦燥感にかられ、じっとしているのがとても辛かった。


 憂いに沈んだため息が、ギルの口からこぼれ落ちた。


「今日は……とくに昏いな」


 ギルの穏やかで落ち着いた声が、フィリアの耳元で聞こえる。相棒の息遣いを側で感じ取りながら、フィリアは目を閉じる。


「そうだよね。月がでていないから、昏いよね」

「洞窟の中よりも暗くないか?」

「かもしれないね。とっても昏いよね」

「暗くて寂しい村だな……」


 ギルの言葉にフィリアは黙って頷く。

 空だけでなく、地上も昏い闇に覆われていた。


 ふたりが滞在しているのは、帝都から徒歩で数日離れた小さな村。

 村の名は、ベイッツ村とかいったが、フィリアにとって、それはさして重要な情報ではなかった。


 ベイッツ村は大きな村ではなかったが、帝都と街を繋ぐ街道沿いに村はあり、帝都近辺の拡大地図にも漏れることなく載っている。

 旅人相手の宿屋も数軒あり、日中は帝都を目指す者、帝都を出立した者が村を訪れ、それなりに賑わっていた。


 しかし、ここから半日ほど離れた場所に大きな街があるので、馬などの移動手段を持つ多くの者たちにとって、この村は休息地点、通過する村でしかない。

 旅人相手の娯楽施設もない村の夜は、とても静かだった。昼間が賑わっていただけあって、夜が一段と寂しく感じる。


 最初、この村を訪れたとき「宿屋がない村もあるなか、やはり帝都に近いベイッツ村は違う」とフィリアは思った。


 とはいえ、村は村だった。

 人口も建物の数も少なく、街に比べると寂しい感じがするのは否定できない。


 夜になると、なおいっそう寂しさを感じる。


 魔法の明かりを持たぬ村人たちの夜は早い。

 日の出と共に行動して、日が沈む頃にはさっさと仕事を切り上げて家に戻り、戸を閉める。

 そして、夕食を終えると早々に眠りにつく。

 夜にもなると、村はしんと静まり返って、活動を停止したかのようになるのだ。


 たまに、家畜の動く気配や、モーとかブヒブヒといった鳴き声が聞こえるくらいだ。


 明かりが灯っている家は数軒しかなく、少年たちをとりまく世界はとても昏くて静かだった。


「今日も待機だったなぁ――」


 フィリアよりも大振りな剣の鞘を触りながら、ギルは穏やかな口調でひとりごちる。


「今日も旦那さまは、部屋にこもりっきりだったし……」


 まったく、どうなっているんだ……とギルは口の中でブツブツ呟く。


 フィリアはもぞもぞと身体を動かすと、隣に座るギルの顔を見上げた。

 ギルは背の高さがあるぶん、威圧感があったが、灰色の瞳は柔らかな光をたたえ、小動物のような愛嬌があった。柔和な目元、ゆるやかな口元からは、彼が穏やかな気質の持ち主であることがよくわかる。


「そうだね。なんの進展もなかったね」

「フィリア、旦那さまは、いつになったら、この村をでるって言うのかな?」

「さぁ……」


 フィリアは「わからない」と軽く肩をすくめてみせる。


 フィリアには行き先も滞在期間も決めることはできない。それはギルも同じだ。こうしてただじっと、依頼人の指示を待つしかない。


「……なにもしないって退屈だな」

「いや、ギル、ぼくらはなにもしていないわけじゃないよ。ぼくたちは旦那さまの護衛をしているじゃないか」

「いつもは道中だけでいいって言っているのに、どうして、今回だけ、旦那さまは滞在中も護衛しろって言ったんだろう?」


 ギルは夜空に向かって疑問を吐きだした。

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