第17話 ゾウさん

「う~んズキズキする~。いたた……」


 エプロン男退治をした夜が明けて朝が来た。

 志依は出掛ける予定があるらしく、のそのそと自室で身支度を始めていた。


「はぁぁ、僕の手柄がぁ~」


 ドレッサーの前で髪をかす志依を眺めながら、お兄さんはその隣にあるベッドの上で氷が解けたように項垂うなだれて言った。


『何言ってんですか。あんな怖い思いをしたんですから、むしろ忘れて良かったでしょ?』

「……ううん。やだ。こんなの不公平だー!!」


 うるせー。昨日はあのまま玄関でからびそうだったくせに、ずいぶんと元気になったものだ。

 つか今だっていじけているように見せて、志依ののこをくんかくんか吸って生気を養っているに違いない。お兄さんは色情霊だから。


「あの時せっかく高校生がテンパって、志依ちゃんの前で僕のことをいっぱい呼んでくれたのにさぁぁ~。これじゃぁぁ今まで通り、たまーにえっちなこと言われて、たまーにえっちに身体触ってくる、ただの変態幽霊としてしか認識されていないじゃないかよぉもぉぉ~」


 そうなんだよな。お兄さんが嘆いている通り、志依はエプロン男とのことをたったひと口飲んだ酒の力によって忘れてしまったらしい。

 普通に考えたらあり得ないことだけど、志依は缶ビールの底に残った微々たる量でも酔っ払えるから、きっとそれも可能なのだろう。それに……


「痛い……片頭痛かなぁ」


 まさかの二日酔いまでしているときた。全く、先が思いやられるぜ。


「くそぉぉ~」

『いやいや、悔しがってますけど仕方ないですって。だってお兄さんは実際に変態行為しかして来なかったんですから』

「う。だってそれは志依ちゃんが可愛いからだし……」

『はいはい』


 だからまぁ昨日のキスもノーカンになった。って言っても、お兄さんや同居人が志依にしたことは、俺の中でノーカンにはならないけど。


「余裕そうにしちゃってムカつくなぁ……。そりゃあ君はいいよ! 何だかんだ言って志依ちゃんと喋れるんだから!」

『あれ……? もしかしてお兄さん、妬いてます?』

「…………へ?」


 はい終わり。悪霊退散!

 それはそうとして。


「なぁ志依? 今日はどこへ行くんだ?」

「わ! びっくりした……幽霊さん居たんだね?」


 ガーン。


「おいおい、お前に憑りついているんだから当たり前だろ? いい加減慣れろって」

「う、うん。そうだね、ごめん。えっと、今から行くところは……——」



「し~♡ よく来た!」

「偉いぞぉ、しー♡」


 志依は運動場に到着するや否や、AとBに頭をこねくり回される。

 前にも思ったけど、志依ってまるで2人のペットみたいだな。相変わらず溺愛されている。


「えーちゃん、びーちゃん。大会が控えているのに、ずっと部活休んでてごめんね」

「いいんだって。それにずっとって言ったって、ちょっとインフルをこじらせた程度だしさ! 全然、平気平気!」

「そうそう。じゃあ早速着替えに行こっか?」

「うん。そうだね……あ」

「「ん?」」

『着替えてくるね?』


 志依はヒソヒソ声だったが、スクールバッグの中に向かって話す様はさすがに奇をてらっていた。

 AとBの2人は一瞬だけ怪訝そうに眉根を寄せたけど、不思議ちゃんの友達だけあって理解が早い。また満面の笑みになった。


「何それ? ぬいぐるみ? 見せて見せて!」

「わかった! しーの部屋にあったゾウだよっ、ほら!」

「あ……!」


 志依は慌てて手を伸ばすが間に合わず。

 志依が部屋から持ち出した手のひらサイズのゾウのぬいぐるみは、Bによって引ったくられた。Bがゾウに頬擦りすると志依は涙目になる。


「あーん。びーちゃんめてよ~」

「何でよ? いいじゃん! かぁいいねぇ♡」

「いいなぁ。ちょっとびー、私にも貸してみて?」

「いいよー」


 ほいっと投げられ、ゾウは志依の頭の上で一回転。それをAが胸で受け止めるようにキャッチすると、志依はもっと泣きそうな顔になった。


「えーちゃんのばかぁ~」

「かわちぃねぇ、このゾウさん♡ って、しー? 今私のこと馬鹿って言った? どうしたさっきから。そんなに大切だったのこれ? あ。もしかして彼氏に貰ったやつとか? ならごめんだけど……」


 ガーン!! 彼氏!! やっぱ付き合っているやついんのかよぉぉぉ!?

 くそぉぉぉぉ。帰ったら犯してやるぅぅぅぅ。

 あーんなことだって、こーんなことだってしてやるんだから、ちゃんと覚悟しておけよぉぉぉ!? うぉぉおお——


「ち、違うよ。彼氏いないもん……」

「だよね? 志依が私たちに内緒で彼氏なんて作るわけないじゃんよ。えーおまえじゃないんだから」

「何だよ、びー。まだ根に持ってんのかよブスだなぁ。ね、ゾウさんもそう思うよね~? ちゅ」

「そんなことないし! 私可愛いよねー? ちゅ」


 何かよくわからねーけど、2人は口喧嘩をしながら奪い合ったゾウにキスを繰り返す。その度に志依はゾウを追い掛け、泣きそうな声であーんと言った。

 左右に振られる志依の姿は、まるでバスケとかサッカーとかの球技中に運動音痴が取るモーションのようだった。


 くくく……このまま見ていても面白そうだけど、俺も誤解されちまうし教えてやるとするか。


「志依、俺はここだ。すまんがここに着く前から自分の体に戻っていたんだ」

「え?」


 実は志依がまだ部屋で身支度をしていた時。いちいちビビられたら傷付く……じゃなくて困るから、俺はゾウに憑依することを提案してみたんだ。

 俺的には部屋に居る時だけのつもりで言ったんだが、実際にゾウに入って話し掛けてやると、


「ゾウさんが喋ってるみたい……」


 そう志依は静かに感動した。

 そんな志依の可愛さにやられた俺は、結局ゾウの姿でここまでいて行くことにしたんだ。ちなみにお兄さんは省エネ(留守番)中だから、俺は今1人ね。


 それで玄関を出た後しばらくはバッグの中で揺られてたわけだけど、最寄り駅に着く辺りから誰かに見られている感覚がして……。だから俺は、志依に内緒で様子を窺いに表へと飛び出てみたんだ。

 感覚は当たっていた。

 あぁもう志依のやつは駄目だ。色情霊たちの元あるじだけあって、すぐ悪い男を引き寄せる。

 生霊を飛ばしてこようとしたやつは俺の気迫で何とかセーブ出来たが、昨日の一件もあって、やっぱ生きている人間が一番危険だと痛感した。


 とにかく、俺は志依を守っていたから既にゾウには憑依していない。


「そうだったんだ……」


 俺の言葉に志依は振り返ると、乏しいながらもほっとした表情になった。


「何だよ。まさかお前、妬いているのか?」

「……着替え」

「え?」

「えーちゃん、びーちゃん。着替えに行こう?」

「「オッケー」」


 ふぅ、逃げられたか。まぁいい。あの反応は返事を貰っているのと同じだしな。


 それにしても、こんなとろくて普段ローテンションのやつが運動部に入っているなんて意外だ。寡黙で頭が切れるってタイプでもないし。


 そんなこんな考えつつ、芝生で1人雲が泳ぐ青空なんて見上げて待っていると、AとBと一緒に志依が戻って来た。


「うぇ!? ちょ、その格好は攻めすぎなんじゃないか!?」

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